大学教職員の主要な権利侵害事件(80年代後半以降)

1986年
◆中京女子大学解雇事件(解雇3名,停職1名)

 1986年8月,大学理事会は,大学民主化運動の先頭に立っていた4教授に対して正当な理由もなく懲戒処分とする(3教授に解 雇,1教授に停職3ヶ月)という暴力的姿勢を強行した。4教授側は,処分無効と地位確認・保全を求める仮処分裁判を名古屋地裁に 申請し,同年12月25日,仮処分決定がだされた。同決定は私大における教育研究の公共性を強調し教授会の権限を認め理事会 のなした懲戒処分をいずれも無効とする画期的判決を示した。
(資料@172〜173ページより抜粋)

1991年自主和解。

(1) 事件の概要
(2) 名古屋地裁仮処分決定の意義

(3) 仮処分判決(全文)


1987年
◆四天王寺国際仏教大学解雇事件(懲戒解雇1名,停職2ヶ月2名,訓告2名)

 1987年2月,四天王寺国際仏教大学において,懲戒解雇1名,停職2ヶ月6名,訓告2名の大量処分事件が起こった。主要な処分 理由は,@大学の行う宗教行事礼拝に出席しなかったこと,@86年度担当科目指示についての副学長の出頭命令に応じなかった こと,の2点であった。処分された全員が組合委員長・書記長を含む組合執行委員であることからも明らかなように組合潰しをねらっ た不当処分であった。(資料@169ページより抜粋)
1994年職権和解。

(1) 事件の概要
(2) 裁判とその後
(3) 日本科学者会議の声明
(4) 仮処分判決(全文)
(5) 仮処分抗告大阪高裁決定(全文)


●労判517号

◆関西外国語大学解雇事件

 この事件は,外国語大学教授に対し,大学当局が,(1)1年ごとの雇用契約関係であり,その地位は期間満了により終了した,(2) 出版費用・書籍費の不正流用,担当部門の活動停止等の事由により解雇した事件である。
 仮処分決定(大阪地裁昭和1987年11月6日)では,(1)雇用契約は期間の定めのないものであり,(2)解雇に相当する事由は存在 せず,解雇は無効であるとされた。 しかし,1994年大阪地裁は,懲戒解雇事由を認め,解雇を有効とする判決を下した(1994年5月30日判決)。

●仮処分判決-労判509号,本訴-労判654号。


1991年
秋田経済法科大学昇任拒否事件

 本件は,秋田経済法科大学の女性講師が在職8年を経た1991年11月,大学の教員選考基準に基づいて,他の講師4人とともに 助教授への昇任審査を申請したところ,法学部教授会かで彼女だけが昇任を否決された事件である。
 原告の女性講師は,法学部長らに否決された理由を説明してほしいと申し入れたが黙殺されたため,この事件を不当な人事差 別,アカデミックハラスメントであるとして大学や法学部長らを被告とし,1992年9月慰謝料請求訴訟を提起したものである。
 ところが,1992年10月,裁判提訴などを理由に教授会は原告の教授会出席停止,講義担当解任,委員会活動停止を決議した。 理事長は学長に対し,決議が原告に弁明の機会を与えずなされたこと,裁判を受ける権利が侵害されることを理由として,教授会に 再考させるよう通知したが,教授会がこれを拒否したため,原告は1993年3月,決議の無効確認などを求めた損害賠償等請求裁判 を提起し,二つの裁判が並行して審理された。
 裁判の結果は,「教授会自治の壁」が厚く,昇任期待権裁判の方は第一審が「助教授昇任は教授会が決めるもの」として請求を 棄却,そして控訴審,上告審とも原告の請求を棄却した。
 一方,教授会決議の無効確認を求めた裁判の方は,第一審が「教授会は司法の審査の対象とならない」として原告が敗訴した が,控訴審では一部勝利和解(教授会決議撤回)をし,残った損害賠償については1998年9月30日逆転勝訴判決を勝ち取った。被 告が上告しなかったので判決は確定し,現在,原告は現職に復帰し従来通り講義をして教授会に出席している。
 判決の第一の意義は,教授会出席や講義は単なる教員の義務ではなく権利でもあることを認め就労請求権問題を前進させた点 にある。さらに,「教授会は聖域」で司法の審査になじまないという第一審判決をくつがえし,いわゆる「教授会の壁」を崩した点は, 当然のこととはいえ高く評価できる。
(資料@175〜176ページより抜粋)

●労判717号,752号,759号


1992年
◆長崎総合科学大学再雇用拒否事件

教授会による再雇用決議が理事会によって否定された事件。

長崎地裁判決(1993年7月28日)債権者の主張要旨

(1)教育や研究の専門性,実績および学問的能力等の教授としての適格性の判断は,教授会の自主的決定に委ねられるべきで ある。教授の最終的任免権を理事会が有するとしても,任命権の行使は,教授会の自治によって制約を受けるものであり,理事会 は教授会の決定を最大限尊重すべきである。
(2)本件大学における選任教員の定年後の再採用については,本人の希望があれば教授会の再採用決定を経て学長を通じて理 事長に申請し,常務理事会が教授会の決定を尊重して再採用されることが長年にわたって繰り返されており,慣行としてすでに確 立している。債務者は,債権者や教授会に対して再採用を拒否した合理的理由を何ら明らかにしておらず,任命権の濫用にあた る。
(3)確立した慣行の下では,債務者は,定年退職した専任教職員一般に対して,使用者として,黙示的に再採用の申込みをしてい るといべきであり,定年退職者が再採用の意思表示をすれば直ちに再採用契約が成立する。本件では,債務者は,予め手稲後の 再採用を求める意思表示をし,教授会も再採用を決定しているのであるから,再採用契約が成立している。
(4)債権者が債務者の再採用を拒否したのは,債務者が本件大学教職員組合員であることを理由とした不当労働行為であり,違 法無効である。
93年7月28日長崎地裁は,仮処分の申立を棄却した。
93年12月6日仮処分抗告福岡高裁決判決は,定年制は有効,再雇用拒否も有効とした。
●仮処分判決-労判637号

1994年
◆秋草学園短期大学解雇事件

この事件は,経歴の不実記載,学生に対する言動,教授会での言動,学内での入試業務などへの非協力などを理由として助教授 を解雇した事件である。

(1) 事件の経過
短期大学が設立された後の1981年1月,学園の民主的運営と労働・経済的条件の改善を求めていた教職員組合が結成され,以来 今日に至るまで数々の成果を勝ち取ってきた。この組合運動を支え,かつ中心的存在となっていたのは水原助教授であった。学園 側は同人を排除するチャンスを狙っており,水原助教授はじめ5人の教授昇任問題が日程に登ったのを好機に,学園関係者が熟知 しているはずの過去の履歴書を持ち出すなど,一気に解雇理由を作り上げたうえ,就業規則を改定し懲戒処分に関する規定を新設 することによって解雇に及んだ。(資料@178ページより抜粋)

(2) 裁判の経過
1995年8月17日,浦和地裁川越支部は,仮処分棄却を決定。原告側は同年9月23日,同支部に対して雇用存続確認の訴えをおこ す。1999年1月21日,原告の主張を全面的に認めた原告完全勝利の判決を勝ち取った。同年,2月19日には埼玉県地労委も,申立 人秋草学園教職員組合および水原助教授の主張を認め,解雇は不当労働行為である旨の決定を出した。
これに対して,同年1月25日,学園側は東京高裁に控訴した。しかし,高裁は和解勧告を行ったため,双方は和解交渉に入り, 1999年9月29日和解が成立。
(3) 仮処分判決(全文)
(4) 本訴判決(全文)


1995年
高崎芸術短期大学事件


静岡理工科大学期限付雇用外国人教員雇止め事件

(1) 事件の概要

(2) 判決
1997年4月16日,静岡地裁浜松支部は,原告の請求を棄却。
判決文全文

(3) 判決の問題点

●労判727号

1996年
九州女子短期大学高校配転拒否解雇事件


(1) 裁判所の判断
1995年9月14日,福岡地裁小倉支部は,原告らの配転命令は違法であり,これを拒否したことを理由とする解雇は無効であると判 断した。

(2) 仮処分判決(全文)

 

◆旭川大学期限満了解雇事件

(1) 事件の概要

 

(2) 裁判所の判断
 2000年2月1日,旭川地裁は,原告の申してを棄却。
 2001年1月31日,札幌高裁は,同様に棄却。
 



(3)旭川地裁判決(全文)
(4)札幌高裁判決(全文)

 

1997年
奈良芸術短期大学非常勤教員解雇事件

(1) 事件の概要

 1991年から6年間,非常勤講師として勤務してきた教員を1997年2月末に,単に期限が来たという理由で雇止めした事件。
同大学では,組合がなく,原告は県労連に加盟(後に大阪私大教連に加盟)して学園と交渉。学園側は,「更新をして昨年度並の 給与を一括払いするが,学園には一切出校しないで期限が切れるとともに必ず退職する」という内容の「非常勤講師契約書」を出し てきた。原告がこの提案を拒否すると,「契約書」を撤回し,非常勤講師の地位も失った旨の通知を一方的に送りつけ交渉を打ち切 った。
 学園側は同年11月「雇用関係不在確認請求」を奈良地裁に提訴。それに対して教員側は「反訴」を提出して裁判が始まった。

(2) 裁判の争点
 @雇用契約の更新拒絶について,解雇権濫用の法理が類推適用されるかどうか。
 @解雇権濫用法理が適用されるとして,更新拒絶に合理的理由があるか否か。

(3) 裁判所の判断
 1999年12月15日奈良地裁判決 棄却。
 2000年12月21日大阪高裁判決,棄却。

 地裁・高裁とも判決は,非常勤講師と専任講師との差異をことさら強調し,専任並みに勤務していた実態を否定。そして,10コマの 授業担当について,公務がないこと,担当が実技演習であること,生徒数が少ないこと,家にまで仕事を持ち帰っていなかったとい う理由からそれを是認。
 解雇権濫用法理の類推適用に関しては,職務,勤務,雇用条件からみて,公務やカリキュラム作成,給与,社会保険の加入の有 無などから専任教員と非常勤講師は明確に区別されていて,学園と非常勤講師の結びつきは,使用者と臨時工よりも結びつきが 弱いものであり,類推適用されないとしている。
(以上,資料@179〜180ページより引用)


(4) 奈良地裁判決(全文)


1998年
大垣女子短期大学解雇事件

(1) 解雇事件の概要

大垣女子短期大学は、1969年に開設され、第一部では幼児教育科、音楽科、美術科(後にデザイン美術科に改称)、保健科(後に 歯科衛生科に改称)、第三部(昼間二交代制)では幼児教育科、保健科で1990年まで運営されてきた。
 ところが80年代後半から第三部学生が年々減少していや傾向が生まれた。それを克服するため第一部の拡充を図るべく学科増 設が計画され、1991年に国際教養科(入学定員100名)が開設された。
 国際教養科は開設以来1995年ぐらいまでは順調であったが、96年から入学者79人で定員割れを起こし、97年52人、98年34人と なった。国際教養科の学生減に対して理事会は、1997年4月「国際教養科の体質強化」のためと称して教養科と国際教養科を統合 した。そして1998年2月に国際教養科の学生募集停止・廃科を決定し、わずか7カ月後、理事会は何ら経営努力もせず、また学内で 行われていた議論も無視し、同年9月に国際教養科所属教員12名に対して退職予告をした。最終的に、私(=堀江)のみがこれを 拒否したため、解雇され、裁判で争うことになった。

(2) 解雇事件の特徴とその性格
 大垣女子短期大学解雇事件の特徴としてまずあげられるのは、国際教養科廃科即、所属教員全員の解雇ということである。全国 の私立大学では初めてのケースである。
 理事会は、大垣女子短期大学の解雇事件は国際教養科の廃科に伴う整理解雇であると主張している。しかし整理解雇であるか らただちに解雇は有効であるということにならない。最高裁の判例では整理解雇するためには4要件が必要であるが、本件は整理 解雇に該当しない。つまり、国際教養科の立て直しが可能であるか,また解雇回避措置を尽くしたかが問題になるが、配置換えの 可能性を十分検討していない。
 また理事会は「短期大学設置基準の大綱化に基づく一般教育の見直し、その結果としてのカリキュラムの改正」が解雇理由であ ると主張している。しかし、統合の前後に何らカリキュラムの変更はない。2000年度のカリキュラムから「一般教育科目の見直し」が 実施されたのであるから、退職勧奨や解雇予告通知の後に解雇理由が生じたことになる。これは明らかに矛盾である。退職勧奨の 時期には、カリキュラムの改正は行われていないので、国際教養科が廃科されても私には担当科目があり、廃科を理由とする整理 解雇は私には妥当しない。
 そして、理事会は、教授会で審議することなく私の解雇を決定するという手続き違反を犯している。

(3) 解決に向けての闘い(教職員組合、教授会の対応)
 私は、1998年9月に解雇予告通知を受け、すぐさま当時の教職員組合執行委員長に国際教養科教員の解雇通告について事情 聴取を申し入れた。しかし申し入れは拒否され、総会でも次期執行委員の選出問題にすりかえられてしまった。その後、当時の執 行委員長はじめ組合員の脱退が続き、2000年4月でわずか3人の組合になった。教員の組合脱退を見ると昇格問題が大きな原因 になっている。理事会の前での教職員同士の競争を禁止し、解雇を守るという最後の一線に歯止めがかからない組合は機能停止 することになる。
 また、教授会から助教授以下の教員が排除され、教授会は機能しなくなった。最終的には、2000年2月に教授会自ら、教授会を 審議・決定する機関から単に審議する機関としてしまった。このように教授会の機能が変質されたのは、教授会が教職員組合運動 に支えられなかったためである。

(4) 運動の広がり
 2000年3月10日の第1回口頭弁論の前、3月4日に「大垣女子短期大学解雇撤回闘争を支援する会」が開かれた。日本科学者会 議岐阜支部、東海地区私立大学教職員組合連合をはじめ国公立大学、さらに地元の団体・組合の支援を受けることとなった。急速 な運動の盛り上がりに支えられて、大垣女子短期大学の門前におけるビラまき2回、署名3600人、全国の大学数員の理事会に対 する解雇撤回を要請する要請書を210人集めることが出来た。 (堀江一晃)
(以上,資料@181〜183ページより抜粋。著者は原告)

(5) 訴状
(6) 日本科学者会議の決議
(7) 裁判所判決(全文)
  平成13年8月14日,岐阜地裁大垣支部 容認。
(8) 関連ホームページ
  弁護士 山田秀樹氏のページ

 

2000年
◆鈴鹿医療科学大学期限付き教員雇止め事件

(1) 事件の概要

(2) 裁判所の判断

(3) 仮処分判決(全文)

 

 

2001年
富士大学大学教員事務職員への配転事件

(1) 事件の概要

2001年8月1日 助教授が講義方法に適切さを欠いていることを理由に,教育職員を解任し,事務職員に配転された事件。
債権者は,配転は無効だとして,助教授の地位保全,研究室の貸与を求めて仮処分を申請。

(2) 裁判所の決定
2002年4月12日,森岡地裁は,地位保全,研究室貸与請求権を認めた。

(3) 富士大学配転事件仮処分判決全文

しかし,大学側は仮処分判決後,4月16日,同助教授を不当解雇した。

2002年
富士大学教員解雇事件

別ページに掲載。

鹿児島国際大学懲戒解雇事件(懲戒解雇3名,減給6ヶ月1名)

 

 




[資料]

●日本科学者会議編集『科学者・研究者・技術者の権利白書』水曜社,2001年,[資料@]