四天王寺国際仏教大学における不当処分の撤回を要請する
1990年5月27日
日本科学者会議第25回定期大会
1987年2月四天王寺学園理事会は、四天王寺国際仏教大学教員9名に対し、懲戒解雇1名、停職2カ月6名、 訓告2名という大量処分を行った。聖徳太子の仏教精神を建学の精神に掲げる同学において、被処分者が大
学の行う宗教行事「木曜礼拝」に欠席したというのがその処分理由である。建学の精神を定め、私学の独自性 を求めることは、否定されるものではない。しかし、建学の精神の存在とそれに基づく行為は憲法と民主主義の
原則を越えるものであってはならない。しかるに、本件は、宗教行事への参加を処分をもって強制している点 で、日本国憲法に保障された基本的人権である思想・信条・信教の自由を侵しており、また、処分が、被処分者
らに弁明の機会も与えず、教授会の論議さえ経ないでなされた経過は、公正手続を欠き、教授会自治の原則 に背くものである。さらに、被処分者らは、教職員組合執行委員らとして、理事会に対して教学の正常化、基本
的人権の保障など同学に山積する切実な諸問題を提示し、改善を求めてきた当事者であったことを考えると、 本処分はそうした運動を嫌悪し、建学の精神を名目にしてなされた不当労働行為であるとの疑念を禁じえな
い。
被処分者らは処分無効の命令を求める仮処分を申請し、裁判所はそのうちの戸田文明氏に対する懲戒解雇 は解雇権の濫用として処分無効の判決を下した。同時に、宗教行事の出席を就業規則によって強制することに
ついても疑問との判断を併せて示した。しかるに、同学園は、この決定に服さず、本訴に持ち込んで事件の長 期化をはかった。この裁判において同学園は、私立大学においては、建学の精神に絶対的に服従すべきであ
るとして、教職員が自らの信教の自由、学問の自由に従って真理を探求するということは、「一つのわがまま」で あり、「あくまでもそれにこだわるなら国公立の大学に行けばよい」、「平たく言えば私学に信教・学問の自由は
ない」などとの証言を繰り返している。これは明らかに憲法や教育基本法・学校教育法・私立学校法の精神を 著しく逸脱していると同時に、国民から信託を受けた公教育機関としての私立大学の役割を自ら放棄するもの
であり、国民の厳しい批判を免れえないであろう。
四天王寺学園は本訴に持ち込む一方で戸田氏に「自宅待機命令」を発し、貸金こそ支払うものの、学内への 立ち入りを一切禁じた。このため同氏は教授会への出席や図書館の利用はもとより、研究室に置いた自分の
蔵書や資料さえ自由にならない状況に現在も置かれ、.研究者、教育者として多大な不利益を被っている。
なお、この「自宅待機命令」の無効を求める仮処分申請に対して、裁判所はこれを労働義務の免除としての み捉え、申請を退けた。このいわゆる「就労請求権」の否定は、とりわけ専門的能力の維持と向上のため、就
労の持続性、継続性を必要とする研究者、教育者の経歴に計り知れない不利益をもたらすものであり、承服し がたい判断といわざるを得ない。
四天王寺学園において、このように憲法と研究、教育の民主的原則に触れる重大な事態が引き起こされてお り、われわれは、これを、同学の内部問題として見過ごすことはできない。これまでも少なくない私立大学におい
て、学園経営者による大学の専断的運営と研究者の権利侵害が発生してきており、われわれ日本科学者会議 は、学問、教育の真の発展と研究者、教育者の基本的権利を擁護する立場から、その是正と解決を強く求め
てきたところでもある。
われわれは、学園当局が一日も早く、不当な処分を撤回し、問題を解決するよう強く要請する。
同時にわれわれは、全国の心ある人々とともに、現在粘り強い闘いを展開している戸田文明氏らを支援し、 学問・思想・信教の自由と科学者の権利を守る世論と運動を、いっそう前進させる決意をここに表明する。
[出所:『日本の科学者』Vol.25,No.8]
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