事件の概要
 1987年2月、四天王寺国際仏教大学(以下、四天大)において、懲戒解雇1名、停職2ケ月6名、訓告2名の大 量処分事件が起こった。主要な処分理由は、@大学の行う宗教行事礼拝に出席しなかったこと,A86年度担 当科目指示についての副学長の出頭命令に応じなかったことの2点であった。処分された全員が組合委員長・ 書記長を含む組合執行委員であることからも明らかなように組合潰しをねらった不当処分であった。

 処分理由@からも明らかなように、当時四天大では、教職員の信教の自由すら認めない異常な大学運営が 行われていた。また、処分理由Aのように教員の担当科目さえ教授会で審議せず副学長(実質上の運営責任 者)が専断的に決定する教授会無視の大学運営が行われていた。

 四天大でこうした運営が行なわれるようになったのは、1978年以来のことであった。1978年10月、大学執行部 の体制が一変し、宗教法人四天王寺塔頭の奥田清明・出口正順の両氏がそれぞれ副学長・常務理事として大 学運営の実権を握るようになった。この2人の人物によって、四天大の教育・研究体制は大きくゆがめられるこ とになった。

79年10月には、学則を改正し、それまで幅広く「重要事項」の審議を行なうとしていた教授会の審議事項を限定 列挙の形で極端に制限し、また教授会の審議も「建学の精神にのっとって」行うこととした。そのうえで、こうした 体制に異を唱える教職員に対しては、個別に呼び出し、何人もで取り囲み、吊し上げが行なわれた。

 そうした中で、教授会は次第に沈黙が支配するようになり、批判の声も封じられていった。その結果、教職員 の論議もないまま学科が一方的に改編・廃止され、また、カリキュラムも副学長を中心とする一部教員・事務職 員が一方的に決定するようになっていった。しかも、副学長らの意に添わない教員に対しては、授業を取り上げ る、専門を無視した授業を担当させるなどの、「懲罰的なカリキュラム」さえ作成されるようになった。

 教育そのものについても、授業中に突然副学長が教室に乱入し学生に暴行を加えるなどという事件も起こっ た。研究に関しても、教員を呼びだし、共産党員であると決めつけ、退職勧奨をしたり、マルクス経済学批判を 強要したりするという事態も起こった。こうした奥田副学長・出口常務理事の体制に対する忠誠度を測る「踏み 絵」の役割を果たしたのが「宗教行事礼拝」であった。

 このような大学にあるまじき教育・研究条件並びに労働条件を改善するため、1985年9月に労働組合が結成 された。組合は、教職員の権利を守り、教育・研究条件の改善を求めて活動を続けたが、学園当局はそれに応 じようとしないばかりか、組合潰しを策動し、秘密裏に就業規則を改悪し、教職員の宗教行事への出席を義務 づけ、また新たに懲戒手続き規定を作成した。

 こうして起こったのが、如年2月の不当処分事件であった。(資料@169〜170ページより抜粋)

 

裁判とその後
解雇された戸田文明を中心に裁判が提起され、地位保全の仮処分では、教職員に対する宗教行事参加の義 務づけは「大いに問題が存する」との文言の入った決定で、解雇無効が言い渡された(88年5月)。しかし、学園 はこれを不服として本訴に持ち込み、以後、1994年の和解に到るまで裁判が続けられた。和解内容は、

@ すべての処分を撤回する。

A 原告らは宗教行事に出席する(但し、事前事後の届け出により欠席することができる)。

というものであり、全面的な勝利和解であった。しかし、和解成立後も、改悪された諸規則はそのまま残り、教 授会権限は制限されたままである。また、教授会においてもほとんど一般教員の発言はなされず、カリキュラム などの教学に関しても教授会での議論は全く行われていない現状である。

 裁判では、宗教行事出席の義務づけが主な争点となったが、事件の本質は、教授会権限と理事会の関係、 教学権の所在をめぐるものであった。大学の自治に関しては、学園側は大学自治の主体は学校法人であり、 学校法人が「建学の精神」に基づいて独自の教育・研究を行うのが大学自治である、との主張を行っている。

 四天大の場合、理事者の意向によって簡単に教授会権限が制限され、それが教育の質を大幅に低下させる こととなり教職員のみならず学生も大きな被害を蒙ったといえよう。こうした状態を許した最大の原因は理事者 の窓意を監視し抑制する機関・組織が存在しなかったことである。幾人もの良心的な教職員が存在していた が、個別分断された状況の中で、あるいは沈黙を守り、あるいは大学を去らねばならなかった。恒常的に教職 員、学生の権利を守るための組織としての労働組合が早くからあれば、さまざまな権利侵害も未然に防げたの ではないかと思われる。(資料@169〜170ページより抜粋)

 

日本科学者会議の声明
四天王寺国際仏教大学における不当処分の撤回を要請する

                                

1990年5月27日

日本科学者会議第25回定期大会

 1987年2月四天王寺学園理事会は、四天王寺国際仏教大学教員9名に対し、懲戒解雇1名、停職2カ月6名、 訓告2名という大量処分を行った。聖徳太子の仏教精神を建学の精神に掲げる同学において、被処分者が大 学の行う宗教行事「木曜礼拝」に欠席したというのがその処分理由である。建学の精神を定め、私学の独自性 を求めることは、否定されるものではない。しかし、建学の精神の存在とそれに基づく行為は憲法と民主主義の 原則を越えるものであってはならない。しかるに、本件は、宗教行事への参加を処分をもって強制している点 で、日本国憲法に保障された基本的人権である思想・信条・信教の自由を侵しており、また、処分が、被処分者 らに弁明の機会も与えず、教授会の論議さえ経ないでなされた経過は、公正手続を欠き、教授会自治の原則 に背くものである。さらに、被処分者らは、教職員組合執行委員らとして、理事会に対して教学の正常化、基本 的人権の保障など同学に山積する切実な諸問題を提示し、改善を求めてきた当事者であったことを考えると、 本処分はそうした運動を嫌悪し、建学の精神を名目にしてなされた不当労働行為であるとの疑念を禁じえな い。

 被処分者らは処分無効の命令を求める仮処分を申請し、裁判所はそのうちの戸田文明氏に対する懲戒解雇 は解雇権の濫用として処分無効の判決を下した。同時に、宗教行事の出席を就業規則によって強制することに ついても疑問との判断を併せて示した。しかるに、同学園は、この決定に服さず、本訴に持ち込んで事件の長 期化をはかった。この裁判において同学園は、私立大学においては、建学の精神に絶対的に服従すべきであ るとして、教職員が自らの信教の自由、学問の自由に従って真理を探求するということは、「一つのわがまま」で あり、「あくまでもそれにこだわるなら国公立の大学に行けばよい」、「平たく言えば私学に信教・学問の自由は ない」などとの証言を繰り返している。これは明らかに憲法や教育基本法・学校教育法・私立学校法の精神を 著しく逸脱していると同時に、国民から信託を受けた公教育機関としての私立大学の役割を自ら放棄するもの であり、国民の厳しい批判を免れえないであろう。

 四天王寺学園は本訴に持ち込む一方で戸田氏に「自宅待機命令」を発し、貸金こそ支払うものの、学内への 立ち入りを一切禁じた。このため同氏は教授会への出席や図書館の利用はもとより、研究室に置いた自分の 蔵書や資料さえ自由にならない状況に現在も置かれ、.研究者、教育者として多大な不利益を被っている。

 なお、この「自宅待機命令」の無効を求める仮処分申請に対して、裁判所はこれを労働義務の免除としての み捉え、申請を退けた。このいわゆる「就労請求権」の否定は、とりわけ専門的能力の維持と向上のため、就 労の持続性、継続性を必要とする研究者、教育者の経歴に計り知れない不利益をもたらすものであり、承服し がたい判断といわざるを得ない。

 四天王寺学園において、このように憲法と研究、教育の民主的原則に触れる重大な事態が引き起こされてお り、われわれは、これを、同学の内部問題として見過ごすことはできない。これまでも少なくない私立大学におい て、学園経営者による大学の専断的運営と研究者の権利侵害が発生してきており、われわれ日本科学者会議 は、学問、教育の真の発展と研究者、教育者の基本的権利を擁護する立場から、その是正と解決を強く求め てきたところでもある。

 われわれは、学園当局が一日も早く、不当な処分を撤回し、問題を解決するよう強く要請する。

 同時にわれわれは、全国の心ある人々とともに、現在粘り強い闘いを展開している戸田文明氏らを支援し、 学問・思想・信教の自由と科学者の権利を守る世論と運動を、いっそう前進させる決意をここに表明する。

[出所:『日本の科学者』Vol.25,No.8]