中京女子大学事件の概要
1985年末以降、谷岡太郎理事長は徹底した秘密主義で家政学部の改組転換、体育学部の定員増、これらに 係わる新規教員採用人事等、大学の将来構想を進めてきた。
 1986年になると教授会の審議を抜きに既に具体的な人事も決定されているという状況が明らかになった。教 職員組合の提案でこの不規則な事態を改善するために圧倒的多数の良識ある教員の支持を得て「教授会を 正常化する会」が組織され(86.6.10)、再三、教授会開催要求が行われた。しかし、谷岡理事長・学長はこの 要請に耳をかさないばかりか、突如、実娘郁子を学長とする旨の公示をし混乱を更に広げた。教員側は新学 長不承認を声明した。新学長郁子は、将来の身分は保障の限りでないと洞喝し、教員に改組転換に関する個 人調書・業績書の一方的提出を迫った。学長が教授会開催要求に応じない中、教員側は自主的参加による臨 時教授会を開催して校務を遂行したも臨時教授会は暫定的に学長事務取り扱いを選出し、異常事態を解決す る為に理事長と話しあおうとした(86.7.8)。理事長はこれにも応ぜず、4教授に対して懲戒処分を前提に就業 差止・聴聞呼出の通知を発した(86.7.26)。さらに、教授会での議決もないまま理事会を開催して4教授に不 当にも解雇等の懲戒処分をくだした(86.8.11)。なおまた、理事会は上記の仮処分決定にも従わず、4教授に 本訴を提起せざるを得なくせしめた。名古屋地裁での本訴裁判が進行中の1989年秋以降、自主的な和解交渉 が進められ、1990年3月に事件は一応の収束をみた。理事会は処分は取り消したが、専断体制は変更されな いまま今日に至っている。
 処分事件直後、理事会は教授のみの教授会に改悪し、今日も全教員構成の教授会ではない。また、被処分 者ののうちの1人は和解内容にある大学への教壇復帰がならず、いまも理事会付置の生涯学習研究所に置か れたままである。(資料@173ページより抜粋)

名古屋地裁・仮処分決定の意義
名古屋地裁の「決定」は、当該処分は懲戒権の濫用であり無効であるとした。その理由は、

@ 4教授は大学の自治の担い手である。

A その行為は大学の自治の慣行を確立・改革しようとしたものである。

B 「大学の自治を確立し大学が更なる発展を期するには、ときに大学が新たな変革と創造を目指すことは不 可欠の要請であり、その過程で各々の立場や見解の相違から軋轢摩擦が生じた場合、当局者は使用者として の立場から教員を見るだけでなく教員や教授会の役割を認識し…行き過ぎがあったとしても、これを軽々に経 営権・人事権の侵害又は秩序の紊乱と結論づけることは慎重でなければならない」とするものであった。これは 常識的だが正当な判断を示すものである。

 同「決定」は、理事会と教授会の関係を正面から論じた。その意義は次の点にある。

@ 教授会は学長の諮問機関ではなく、また、理事会のみが大学自治の主体でもない。教授会は「独立した大 学の管理機関」であるとした。

A 理事会と教授会はともどもに大学の自治を担い協働することが望ましい。

B 教授会は審議するのみで審議には「議決」は含まれないのではなく、「統一的意思決定」をなすものと認め た。

C 教員には大学運営において旧弊を改善し、「変革と創造」の為に果たすべき役割があることを積極的に認 めた。この点は従来の判例には見られなかった特筆すべき点である。

 以上の決定内容には、学生と国民の幸福のために大学の発展を日々念願して奮闘してきた良識ある教職 員・組合員の信条と実践が刻まれている。(資料@173〜174ページより抜粋)