2004/09/12 第5回全国連絡会全国会合開催(京都)

記念講演:「戦後日本の大学問題と鹿児島国際大三教授解雇事件」

下山房雄氏

T はじめに−私の大学論の背景 
 下山です。ただいま、過分のご紹介のお言葉をいただいて恐縮です。
 鹿児島地裁に提出した意見書では、私は、肩書きをたくさん書きました。裁判所は権威主義だから、こっちも権威主義でいこうと思って、たぶん世間では偉いと思う肩書きは、全部そこに書いた。そのうちの下関市大学長は、今年の3月、2期6年の任期満了で辞めました。代々の市議会議長から辞めろ、辞めろと言われたのですが、辞めないでがんばりとおし、神奈川に戻ってきました。
 ですから、もう私は大学人ではないのです。それから、研究者としてもリタイアだということを社会的に明らかにするために、主要学会である社会政策学会も辞めました。研究者として、私は4つの職場を動いているのですが、その最初は、財団法人・労働科学研究所で、10年ほど働きました。大学とちがって、スランプでモノが書けないという状態で何年もいることは許されない環境で鍛えられるわけですので、そこでの先輩研究者たちは70代、80代になっても、隔年ぐらいにこんな厚い本を次々出す、すごい先生がいっぱいです。私は劣等感もあって、あれと同じことはやれないし、やるまいと、かなり早くから決めていました。
 大学人でも研究者でもない状況で、戦後日本大学問題の流れの中に鹿児島国際大学事件を位置づけるといった講演ができるか、かなり迷ったのですけれども、自由気楽に喋ってもそれで3人の職場に戻る力の一つになると自分に言い聞かせて、いまこの場におるわけです。
 研究者としての私の専門は労働問題、古い言葉では社会政策学です。基礎にしている理論は殆どマルクスです。この点での同門の研究者は少なくありません。しかしその大勢において、研究の方法はウェーバーなのです。研究対象の労働運動については、ほぼ観照に徹する。対して私は、戦後労資関係の認識を、たくさんの争議団を支援しその活動家とつきあいながら、行ってきました。その多くの争議団の1つとして鹿児島国際大の3人も考えているのですね。
 ただ、この争議団が非常に特殊であることも確かです。下関を引き揚げる前に、九州、中国でぜひ行きたいところを何カ所か定めて、今年の1月には妻と2人で開聞岳に登ったのですけれども、そのときに3原告ご夫妻に、我々夫妻を招待してごちそうしてもらったのですね。たくさんの争議団とつきあったけれども、争議団にごちそうしてもらったのははじめてでした。昔、東京争議団の飲み会で、後に日本音楽家ユニオンの代表になる日フィル・ビオラ奏者の松本伸二さんのお酌を受けるというおそれ多いことがありましたが、勘定はワリカンでした。伊能忠敬が日本一の絶景と称賛した枕崎海岸で、鹿児島国際大学事件とは勝つまでつきあわなければならないと改めて思った次第です。
 私の大学論といえば、私が市大学長在任6年の後の4年半、作って公開していたHPに収められているテキスト約二百がそうだといえます。このHPは、未だ市大のサーバーで活きていますので、大学HPからはもうアクセスできませんが、ヤフーなどの検索で見ることができます。私の大学論主要テキストとして今日のレジュメに4点挙げていますが(本稿後掲※参照)、そのうちの2、3、4は、そのなかに入っているものです。
 もう1点。私が労働科学研究所、横浜国大、九州大学それぞれで働いているときは大学学長の職に就くということなど全く考えたことはありませんでした。「長」の名でやってきたのは、運動体の事務局長、委員長、書記長、会長、理事長。そういうのをずっとやってきたのですね。
 ところが市大学長の仕事はかなりその延長線上です。つまり民主的組織の責任者と同じで、どうやってメンバー、成員の自発性を引き出していっしょにやるかという姿勢です。民主的管理というのでしょうか。会社ではなかなかそれが困難だが、大学では未だそれがやれるということだったと考えます。しかし、トップダウンの管理こそが良い大学を作るとの主張や政策がもてはやされる日本の大学の現状では、民主的管理の可能性は狭くなってきてはいます。

U 鹿児島国際大学事件と私学のワンマン体制
 鹿児島国際大学事件をどう理解するのか。
 学長や理事長のコネで教員が採用できる私大が実は多いのですね。賃金もワンマン的に決められる。当然に恣意的首切りもある。世間では「大学自治」と言われているが、自治は教授会自治どころか大学トップの専制的統治であり、客観ルールにより管理されるウェーバーの「近代官僚制」でさえないのです。
 鹿児島国際大学三教授を支援する全国連絡会刊行の『いま大学で何が起きているか』で浜林さんが研究者の権利を論じているのですが、そこで「だいたい私学の経営者にはワンマンが多い」と言われています(79頁)。全くその通りなのです。
 憲法23条の学問の自由は大学の自治に具現化され、大学自治の中核は教授会の人事権というふうに理解されています。しかしそういう教授会自治が実際にあったのかどうかが、実は大問題なのだけれども、あまりそういう問題にならないのですね。教授会に人事権があるかどうかということについて、統計調査も無い。教育公務員特例法4、6、25条によって筑波大以外の国公立大には、教授会に人事権が保障されているわけですが、法人化はその法的保障を力関係による制度ということにしますから、私学・国公立大通じて、教授会に人事権がある大学と無い大学とがどんな具合になっているのか、調査がますます必要になってきたと私は考えています。
 鹿児島国際大学は、今回事件の経過の中で教授会に人事権の無いワンマン型私学に変わってしまったわけです。学長だった菱山さんが、京大閥のコネクションから人材を採ろうとしてうまく行かなかったのが猛烈に頭にきたというのが、率直に言えば、ことのはじまりではないかと思うのですね。それで、自分の閥の人士を動員して、学長の意に添わない人事を進めた3人の懲罰まで突き進んだのでしょう。
 教授会に人事権のある権威ある私学から、筑波と同じ学長直轄の人事委員会が人事権をもつ大学に代わった。しかしそれだけならことはさほど異常ということではなく、普通の私学に代わっただけなのだとも言えます。しかし、非常に劇的でとんでもないと思うのは、その教員採用で学長の意に添わなかった教員3名を解雇してしまったことです。どう考えてもめちゃくちゃだと思うのです。学長が採りたい人材を、教授会のおまえらが採らなかったのはダメだと言って、人事を潰した。それで終わりになったのかと思ったら、終わりにならずに、既定の教授会自治ルールに従って人事を進めた教員を解雇してしまった。これはどうしても許せないというふうに、私としては理解しているわけであります。

V 産業としての大学と産業民主主義の歴史
 高等教育を担当する大学は、あらゆる産業部門が特殊な存在であると同様で特殊でありますが、しかし、産業としての普遍性があるという考えを少し展開させて頂きます。産業では、そこの構成員、多数は労働者ですけれども、その意志がまずは労働のあり方について、さらには経営体のあり方全体について、どのようなかたちで産業の運営に取り入れられるかというのを世界史的に、巨視的に見てみる必要があります。    
 まずは労働の仕方については、もともとは、というのは近代つまり資本主義の出発点においては、労働者自治なのです。
 つまり、仕事のテンポとかやり方とか手順とかいうのは、労働者が自分で決めている、労働者世界の内部のことなのです。資本は、それをいわば外側から包摂して、トータルでいくらというふうにして請け負わせるわけです。明治期の重工業の現場労働が○○組、△△組という労働者集団によって、為されたごとくです。内部の秩序は自治なのです。資本主義の初期は原生的労働関係で無権利状態とはかなり違った世界があったということです。労働態様が生産手段体系よりも労働者の体力知力に専ら依存する生産力段階では、マルクスの表現を借りれば、賃労働は資本に形式的に包摂されているのであり、労務管理論の用語を使えば労務管理は間接管理なのです。戦後日本の大学での教育労働も形式的には、そのような段階の労働包摂・管理に似ています。富士大学の川島さんが受けたような侵害を別とすれば、教員がどういう教育をするかは、教授の自由として、個々の教員に任せるというのが、ワンマン体制の私学を含めての通則です。国立大学の場合は、大蔵=文部省が決める運営費(校費+旅費)総額で、大学運営を教授会が請け負ってきたとも言えます。
 ところで、道具→機械という生産力革新がもたらした産業革命のもとで、資本の賃労働実質的包摂あるいは経営の労働直接管理の段階に進みます。仕事のやり方は、資本=雇い主のもとで規格化されルール化されます。さらに、19世紀末から20世紀にかけての重化学工業でおきた技術革新は、機械装置の運動態様が労働態様を規定する傾向を一層強めました。テーラーの科学的管理法では、労働の動作研究、時間研究を踏まえて、秒刻みで仕事のやり方が経営側スタッフの手で決められます。そのテーロリズムをコンベア流れ作業で展開したのが、現代の典型的労働様式つまりフォーディズムですね。
 分業を徹底させて、仕事のやり方中味については、労働者は考えなくてよい、考えることは不要、作業指導票に指示されたとおりにやるというシステムですね。コンセプション(構想)とエクセキューション(執行)の分離と言われる構造です。
 今、日本の大学でおきているのは、ヒラ教員は大学運営に関わるな、研究もやらなくてよい、ということですから、テーラー主義的労働への近接です。セールスマンが目くらまし的に商品をPRするために開発されたパワーポイントでも使い予備校などで作られたソースを学生に伝達するような講義が推奨されます。もうフォーディズムではないですか!国家主義教育、天皇主義教育のための、規格化が厳しく進められている初等・中等教育では、こうした傾向はもっと強力です。式典の進め方が50項目にもなる細部まで様式が決められる。職員会議は全く上意下達の機関に化した。これらは、大学が日本の支配層によって引きずられていく先にある姿と私はみるのです。
 製造現場での労働者からの決定権剥奪傾向に対しては、労働者の側からと労務管理自身の側からの両面で反作用がおきました。労働組合の職場組織が現場交渉によって、イギリスではミューチュアリティーといわれます、あるいはドイツに典型をみるような工場の従業員参加機構=工場評議会による協議によって仕事のテンポとか、小休憩・ティータイムの取り方とかを、交渉的に決定するようになりました。あるいはもっと組合の力が発展すれば、第二次大戦直後の日本の職場がそうだったように、労働者が職場労働条件を自主的に決定するということになります。他方、産業レベルさらに全国レベルで、労働組合の規制力が強まり、あるいは経営や国政(コーポラティズム)への参加が進みます。これが新自由主義登場以前の大きい産業の流れだと思うのです。
 労務管理論においては、徹底細分された労働の高速反復労働が却って能率低下になるとか、労働者に参加帰属意識を持たせるために人間関係重視が必要とかを唱えるのが現代労務管理思想であり、その思想はテーロリズム克服だとしていくつかの姿をとって、実践もされてきています。労働者の職務持ち分領域を拡大する、多能工化ですね、あるいは春闘の際に国際競争の中での会社の勝利の途を考えさせるとかの日本的労使関係は、その一つの姿です。日本的労使関係が、ポスト・フォーディズムと言われたりする所以です。私は、トヨティズムはフォーディズムであり、日本的経営で言われる人間重視は欺瞞的なものと考えていますが、言説の上では現代労務管理思想では労働者が全人格をあげて作業のあり方から会社のあり方に至るまでの領域で参加を重視しているのは確かなのです。
 トップダウン方式を進め、そのトップには「社会」の意思を反映させるためと称して「会社」と「役所」の人士を加える現在の日本の大学改革主流の思想は、現場労働者の参加をキータームにおく現代労務管理の思想にも反するものです。
 私は、大学の自治は、産業自治の一つの姿だと考えるのです。教授会、評議会という決定機構、教員組合、職員組合、あるいは学生自治会というときにはストを行使する交渉機構、こういった機構によって、教育研究労働者、職員=支援労働者、学生=学習労働者の三構成員が大学の管理運営に参加するというのが、大学自治の現在までの到達点といえるのではありませんか。
 組織構成員の運営参加については、産業民主主義発展の歴史的経験を踏まえた吟味が必要だと思い、以上にお話しました。この脈絡で考えると、戦後、多くの私学であり続けたワンマン体制や、いま国公立大法人化において推奨されているトップダウン方式を「自治」の名で呼ぶのにためらいます。それならば、全従業員参加と欺瞞的に唱えられながら、実態は社長専制的色彩の強い日本企業を「会社の自治」というのでしょうか。民間会社の場合は、重役会の過半数は社外からなどの縛りはありません。国立大学法人法は、経営協議会の過半数は学外からと定めています(法20条3項)。それでも「自治」というなら、会社の方がよっぽど「自治」でしょう!

W 戦後日本の大学自治の3類型
 学生自治会のストライキに対して、1969年までの東京大学は学生大会議長、スト提案者、自治会委員長の3名を退学させる俗称「東大3原則」で対処してきました。しかし「大学紛争」解決時に締結された「確認書」で「大学の自治=教授会の自治」は誤りであり、教員、職員、学生・院生がそれぞれ固有の権利をもって「自治」に参加するという「三者自治」が宣言されました。しかしこうした「三者自治」は理念に止まり、ほとんど実践されずに今日に至っていると認識いたします。一橋の学長選挙については、学生の意志を問うような仕組みがずっとあったのですが、阿部謹也さんが学長のときに、文部省の熾烈な攻撃でそれをなくしたのですね。それが最後の止めといってよいでしょう。
 いろいろなチャレンジはあったけれども、実現しなかった構成員全体、職員とか学生も含めての自治制度というイメージは当然、今後も追求されなければいけないのだけれども、現実的に現存してきた大学自治の姿は、次の3つの類型です。

教授のみの自治:A 
本雇い教員に拡大された自治:B 
トップ機構(理事会 教育研究協議会 人事委員会など )による「自治?」:C

 北陸大学で教授会廃止という脱法行為がまかりとおっていることを措けば、C類型では、学校教育法54条に「おかねばならない」とある教授会は存在しています。しかし人事権が無い。B類型は学校教育法同条の「助教授その他の職員を加えることができる」を使って、助教授あるいは講師などまでメンバーを拡大した人事権を持っている形です。このB類型には、助教授から教授への昇進人事については教授のみの人事教授会でやるというややAに近い亜種ABがあります。この亜種では、教員相互の平等性が人事権において無い「自治」ということになります。大学の経営形態別に、これらの4類型の存否をみれば次のようになりますね。

私立大学 A AB B C(鹿児島国際大 AB→C)
国立大学 A AB B (筑波大学:C)  国立大学法人 A AB B C
公立大学 A AB 公立大学法人 A AB B C

 私が最初に大学常勤教員として働いた横国大経営学部は、私に対して「研究はご自由だが、この学部での教育は困る」といった宣告をするような民主的とはいえない雰囲気に次第になっていった学部ですが(『経済科学通信』73、74号の私へのインタビューで多少の経緯が語られています)、リベラルな経済学部から分離してできた学部ですから、教授会は経済学部の方式をそのまま踏襲で、助教授も教授会には参加するのですね。しかし、助教授は教授昇進人事を扱う人事教授会の構成員ではないのです。つまりAB型。
 その次に行った九大の経済学部は、戦時に向坂逸郎さんがパージされた歴史をもつ所ですね。ここはもっと民主的で、自分のプロモートのときには助教授は参加しないけれども、よそから採用するとか、同僚が昇進のときは、助教授も教授会に参加するB型です。下関市大もこの方式でした。
 以上の私の経験からしても、教授の権威が精神的あるいは学問的なものではなく、助教授に対する人事権をちらつかせて保持されるようなものになりやすいA方式AB方式はB方式に改革する運動がもっと展開されてよかったと思うのです。現在はむしろC方式が、さらに任期制と結びついて広まる傾向で、教員相互の平等性は損なわれ、ごく一部の教員が人事権をもつ形が支配的になろうとしているわけです。
 国立大学法人、公立大学法人では、後掲※※関連法規のところにあげている「教育公務員特例法」適用から外されるわけですから、「学校教育法」規定で教授会は残るが採用・昇進などの人事権は無くなり、C方式になる恐れがある。現に都立大や横浜市大ではそれが劇的に強行されようとしています。
 1980年刊・有倉遼吉編集代表の『解説教育六法』が、いま手元にあるのですが、これを見てみると、「教育公務員特例法」4条の判例「大学教員の採用と教授会」に「昭和54年1月神戸地裁判決」の八代学院大学事件が挙げられています。「大学教員の採用にかかる審査権限は教授会に属し、その自主性に基づきなされるべきものであり、他の機関の干渉ないし影響は、当然に排除されなければならない」との判例です。八代学院は、私学ですね。だから1979年のころは「私学でも「教育公務員特例法」の教授会が採用を決めるということは、準用すべきである」というふうに裁判所は考えていた。鹿児島地裁もこの判例を継承すべきだと私は主張いたします。
 国公立大学の法人化では、教授会自治が実質的に残るかどうか、C方式に行ってしまう大学がどの程度になるのか、この点が重要なポイントです。国立大学のかなりの部分は、例の「国旗国歌法」で君が代斉唱をはじめたりしています。そのような国立大学は、すべてC型のパターンにいくのではないかと思う。公立大学法人化については、運営機構をこまごま決めない形で立法化しました。詳細は地方自治なり大学自治に委ねていると解釈すれば、国立大学法人化よりはよいとの判断があり、事実、公立大学協会執行部は95点の出来と自称していました。しかし私は、白紙部分を作るという形は両刃の剣であり、地方政治の復古主義的勢力と新自由主義勢力のコンプレックスのもとでは、極めて危険なことにもなると言ってきました。その危惧は残念ながら当たってしまい、東京、横浜では現に大学臨時措置法でも事実上はやれなかった廃校をいとも簡単にやってのけようとしています。公立大学協会総会の場での議論で、文部省派ともいうべき学長の何人かが、法人化に際しては一旦全員解雇して再雇用する形が必要と国鉄民営化の手法を想起させる主張をしていましたが、彼らは何かの根拠をもって意見表明をしていたわけですね。
 いずれにせよ、法人化後の国公立大学が教授会自治をCとせず、A→AB→Bの民主化方向で強めることが重要な戦線になると思います。民主化で構成員が多くなり直接民主主義では運営しがたくなるならば、代議員による教授会でもよいでしょう。代議員選挙で教授ではなくて講師が選ばれるといった緊張関係があることは素晴らしいことだと思います。
 教授会自治を三者自治に発展させる課題について言えば、国公立大学法人化で教員組合、職員組合がスト権を持つということが、プラス要因になってほしいと考えます。学生参加は、制度を教員側から作っても、学生の主体的条件が現状では、なかなか動きませんよね。この点で言えることはまあ無いのですが、私が日本的労使関係のもとでの多数派組合中の少数派潮流および少数派組合の機能を重視している認識視角を応用すれば、全員加盟自治会だけでなく様々のサークルとの協議折衝を重視して、大学運営に反映させる努力を教員側がやるべきだということになるでしょう。

X むすび−日本の大学発展の途
 日本の大学発展の途として、私はまず進学率の向上、つまり一層の大衆化を主張したいのです。現在の高等教育進学率は5割弱ですよね。高校全入=中等教育の国民教育化に続いて大学教育も国民教育化することが必要と考えます。
 ヨーロッパ中世に始まった大学は、僧侶なり行政官養成の支配階級の訓練場所であったわけですが、いまや庶民の教育機関です。この方向を進めるためには、昨年9月の公開シンポで田中昌人さんが強調されているように(前掲『いま大学で何が起きているか』46〜50頁)、国連の国際条約(「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」1966年採択。日本政府は公休日の有給化、スト権、消防士の団結権、中等・高等教育無償化について留保して1979年に批准)、高等教育無償化の国際基準に倣うことを課題とすべきです。日本ではそのことは、普通の庶民はもちろん、大学改革を指向する動きの中でもほとんど取り上げられていません。私学が多いから、無償化は、給費奨学金の一般化をとるなど、いろいろ工夫がいると思うのですけれども、国際標準は、大学はタダだというPRをもっとやらねばなりません。
 日本の高等教育予算が国際的にみて少ないということは、メディアは書きますが、その中身については、研究費が少ないということは展開するけれども、学生に負担がうんと多いということは、ほとんど展開されません。
 高等教育の国民教育化が必要と考えるのは、次代の労働力をいかなる労働力として大学が生産してゆくかについての私の理念に関わっています。私は、大学紛争時の全共闘理論は教養主義的でダメと思っています。産業への労働力育成機関という産業だと大学をおさえた上で、どういう人格に担われた労働力を育成していくかが問題と考えるべきです。産学協同についても、いかなる産学協同かが問題で、絶対反対はナンセンスです。
 社会を担っていく労働力を担う人格が、自然社会全体の、宇宙百億余年の歴史を踏まえた全体認識を持たなければ、地球存続的つまり人類存続的な生産なんかはできないわけなのですね。そういう人をつくり出していくのが高等教育機関の任務であるという考えです。
 学生はそういう教育労働の対象であるのだけれども、同時に学生は学習労働の主体であり、高等教育は、学生と教員・職員の共同労働なのですね。この点、医療産業も同様です。医師、あるいは関連医療労働者と患者との共同作業でなければ病気は治らないですね。患者だってふてくされて、何もやらないではね。学生もそうでしょう。学生がその気になってやはり教育が成り立つ。
 しかし学生がなかなかそういう気にならない現状があります。『毎日新聞』が毎年秋にやっている調査数字で、1カ月間に本を全然読まなかった生徒の比率があります。大ざっぱに言うと、小学生の低学年では全然読まなかったというのは、2割ぐらいしかいないのです。高学年になるとそれが4割ぐらいになって、高等学校の生徒になると7割ぐらいが全然読まない。大学生はもっと読まないのではないかと思うのですね。
 小中高校の基礎学力をきちんとつけて、自然とか社会現象を不思議だ、何故だと思って認識するというような姿勢が、だんだん萎んだ状態で大学の門をくぐってくるわけですよね。この点では、大学教員は、もっと小中高校の教育に関心をもたねばならないと思います。
 少子化が大学教育需要減少にならないためにも、進学率向上は現在の高等教育に重要な課題です。流行りの大学論のなかには、アホがいま大学に来るようになったのが問題で、それが大学がレジャーランドになる原因だと言われる。私はそう考えていないです。
 議会制民主主義のもとで庶民に知恵をつけることこそが、自然とか社会をどうやって維持するかに決定的なわけですね。社会の共同行為は殆ど政治機構を通じて為されるわけで、その権原は普通選挙によって選出される議会ですから、民主主義が多数決民主主義、劇場民主主義にならないために、庶民が衆愚でなくて社会に科学的に働きかけることができる公民にならねばならないわけです。ここにこそ今日の高等教育の意味があり、高等教育の無償化と小中教育改革による大学進学率向上の意味があるのです。
 地球上の自然・社会の維持・発展のための研究拠点としての大学としては、学問の自由の意義を改めて確認したいです。とりわけ、停滞する日本経済から要請されている創造的技術開発にとっての、学問の自由が根幹となる大学の自由な雰囲気の必要性を強調したい。
 工程革新で既存の商品のコストダウンで、世界市場を制覇するという道はもう殆どない。結局、独自な製品革新に至るような新しい技術開発をしなければいけない。日本の財界がそういう焦燥感に駆られて、大学は何をしていると彼等の大学改革構想を民間会社的経営体になれという形でおしつけていると思うのです。
 創造的技術開発の人材育成をどうするかというニーズはあって当然だと、私は思うのですが、その為には民間会社的に投資に短期的かつ確実に報酬を要求する姿勢ではダメで、1本の大木を育てるのには千本の苗床が必要で、一見してむだな投資が不可欠だという余裕がなければならないと思います。ただ、その余裕によりかかって大学の教員に腐敗が起きるということも当然あるのですね。そういった意味で、大学の自己規律が自治の中できちんと維持されていかないと、世の中の納得は得られないと思うのです。
 大学にいくら金を入れて、いくらそこから出てくるという新自由主義的な市場取引的構図からではなくて、無数の研究の失敗から、経済世界に大貢献するような成功的発明や発見が生まれるのです。そういう研究は、短期的効率を行動基準にせざるを得ない企業における研究機関では不可能なので、そういう研究にこそ大学の意義があるのに、民間企業と同じようにやれというのでは、何を言っているのかというふうに考えます。
 だいたい現在、民間企業それ自体が非常に深刻な行き詰まり状態にあるわけでしょう。その手法に大学は倣えといろいろな面で言われるのですが、そういう主張の論理が私にはさっぱりわからないですね。
 大学には、アカデミズムの自由な雰囲気が大気のように存在することが、ものすごく重要ですね。戦後半世紀にわたって、中等初等教育においては、学校式典行事における国旗国歌の扱いをめぐって、つまり国家主義、君主主義の位置づけをめぐって、国権の側と教員労組のあいだで深刻な争いがおこなわれてきて、ほぼ文科省側は勝ったのですね。それを大学にいかに及ぼすかといま文科省は考えていると思うのですね。 
 例の「国旗国歌法」が出たあたりに新潟大学とか、岡山大学でおきたわけですが、大学の教員が並んで「君がぁ代ぉは」と君主制賛美の歌を歌っている風景。この中から自由な創造的研究成果など生まれるわけがないと私は考えます。
 技術革新に関わる自然法則の認識においてのみ自由で、社会の認識については文部省お好みのお仕着せでとおすというのは無理でしょう。そういうのは、ちょっとあり得ないと思うのですね。新技術のための自由によって左翼が3割出てもしようがないというふうに財界も考える度量が無ければと思います。自然の観察だけ創造性が発揮されて、社会認識では創造的自由ではなくて、国定でいきますというようなロボット人間ではだめだと思うのです。
 財界との関係ではもう1つ、触れておくべき論点があります。大学論で社会との関係が議論されるときに、いつのまにか社会が産業になってしまっているのですね。社会には住民運動もあるし、労働組合運動もあるし、いろいろな階層の住民がいます。それらを反映しなければいけないのに、なぜ産業だけになってしまうのか。しかも産業組織はカンパニーだけでなく、産業人は会社重役だけではないのです。労働者がおり労働組合があります。鹿児島国際大学事件で争われているターム=「労使関係論」にも関係するのですけれども、労使関係の原語はindustrial relationsというのですね。主体は2つです。ユニオンとカンパニーと、これが産業なのです。
 ところが日本では、産学連携が主流、社会との関係といって、社会からご意見をうかがうというと、だいたい財界代表が出てくる。いろいろな審議会がだいたいそうですけれどもね。公害関係の審議会について、加害者つまり会社代表ばかり集めて被害者つまり住民がいない構成が批判されるごとくです。
 昨年の公開シンポでの田中さんの展開の中にユネスコ「21世紀の高等教育宣言」の大学人の任務として「社会に対して充分に責任を持ち、説明責任を負い、地域社会、国および世界の秩序に影響をする問題の特定と解決において支援的な役割を果たさなければならない」との文言が引かれている部分があります(前掲『いま大学で何が起きているか』42頁)。ここで言われる社会的責任は、広い多元的社会に大学が直接責任を負うということですね。そういうものとして考えないで、何か財界からお呼びすると、社会との関係ができたと言うのはどう考えてもおかしいのです。
 鹿児島国際大学の3教授を戻すというわれわれの闘争勝利は、大学が行かねばならぬ方向への大きな推力になります。逆に負ければ、大学運営トップダウン構造の中でトップが気にいらない人は窒息状態に追い込まれ、大学は様々な意味で危険な方向に進んでしまう流れが強まりますね。我々は、いろいろな戦線でがんばらなければいけないのですが、3人を戻すというこの戦線はその重要なひとこまだというふうに私は考えます。この戦線での闘いからはリタイアせず、皆さんとご一緒につきあい続けると宣言して講演を終わります。有り難うございました。

 下山執筆大学論関連主要テキスト:
@「大学改革−何が問題か」(『福岡教育問題月報』67、1993年6月。当日コピー添付)
A「鹿児島地裁への意見書 2003年10月29日」(『いま、大学で何がおきているか』2004年5月、127〜132頁 この意見書は HP『下山房雄の論集』U−37に、補足資料「大学教員任期 制=クビキリ制に反対する声明 1996年3月 九州大学教職員組合中央執行委員会」とともに所収)
B「下関市立大学法人化の論点−検討メモ−(2003/10/16)」( HP『下山房雄の論集』T−56所収)
C「日豪高等教育フォーラム・レポート 経済・社会の変化に対する大学の対応 2002年5月」(HP『下山房雄の論集』T−37所収 Season’s Greetings 02.05.29も参照)

 関連法規:
学校教育法第59条「大学には、重要な事項を審議するため、教授会をおかなければならない。教授会の組織には、助教授その他の職員を加えることができる。」

教育公務員特例法第3条5「教員の採用及び昇任のための選考は、評議会の議に基づき学長の定める基準により、教授会の議に基づき学長が行う。」

同 第5条「学長、教員及び部局長は、学長及び教員にあつては評議会、部局長にあつては学長の審査の結果によるのでなければ、その意に反して免職されることはない。教員の降任についても、また同様とする。」

国立大学法人法21条「教育研究評議会は、次に掲げる事項について審議する。……四 教員人事に関する事項 」

(04.12.06―京都講演04.09.12記録を改訂)