就労請求権の判例状況と学説


1. 就労請求権とは

 就労請求権は,労働契約が存続しているにもかかわらず,使用者が労働者の就労を拒否した場合に,労働者は使用者に対して,賃金請 求とは別に,就労を請求できるかという問題である。

2. 判例の傾向

 判例では,1920年代半ばまでこれを肯定するものが見られたが,その後,否定されることが多くなり,今日では「原則否定例外肯定説」に 立つ判例が多くなっている。この判例のリーディングケースとなったのが,読売新聞社事件(東京高裁昭和33年8月2日決定)である。
 この事件で東京高裁は次のように決定した。「労働契約においては,労働者は使用者の指揮命令に従って一定の労務提供する義務を負 担し,使用者はこれに対して一定の賃金を支払う義務を負担するのが,その最も基本的な法律関係であるから,労働者の就労請求権につ いては労働契約等に特別の定めがある場合又は業務の性質上労働者が労務提供について特別の合理的な利益を有する場合を除いて, 一般的には労働者は就労請求権を有するものでないと解するのを相当とする。」
 つまり,労働契約において,労務の提供は義務であって権利でないという決定である。ただし,「労働契約等に特別の定めがある場合」, または「業務の性質上労働者が労務の提供について特別の合理的な利益を有する場合」には,就労請求権を例外的に肯定するというもの である。その後の就労請求権をめぐる判決は,基本的にこの読売新聞社事件・東京高裁決定の判断を踏襲している。

(読売新聞事件以外の判例)
渡辺工業事件・名古屋地裁決定昭和25年10月18日(労民集1巻追録1294頁)
中央交通事件・横浜地裁決定昭和35年11月15日(労民集11巻6号1302頁)
国鉄品川機関区事件・東京地裁決定昭和44年12月15日(労民集20巻6号1716頁)
ソニー事件・仙台地裁決定昭和38年5月10日(労民集14巻3号677頁)
松下電器事件・大阪地裁決定昭和47年2月17日(季刊労働法85号120頁)
NHK名古屋放送局事件・名古屋地裁決定昭和48年7月11日(労判183号35頁)
 
 これらの判例は,労働者の労務の提供は,「労働者の義務」であって,「労働者の権利」として考えるものではないとして,就労請求権を 原則否定し,「特段の自由」「特別の事情」,あるいは「労働契約等に特別の定めがある場合」「業務の性質上労働者が労務の提供につい て合理的な利益を有する場合」とかの文面を用いて,例外的な肯定事由を認めている。
 しかし,例外的事由の認定については,判例は消極的であり,ほとんどの場合否定されている。例えば,私立大学の専任講師に対する 自宅待機命令が争われた四天王寺仏教大学解雇事件(大阪地裁決定昭和63年9月5日)では,「教育をすることについて合理的利益があ ることの主張がなされていないこと」「研究について大学施設を利用することが必要不可欠であるとまでは言えないこと」を理由に,就労請 求権を否定した。
 
3. 就労請求権を認めたケース

<昭和20年代まで>
世田谷運送事件・東京地裁決定昭和25年2月13日(労民集1巻1号31頁)
<昭和40年代後半>
レストラン・スイス事件・名古屋地裁決定昭和45年9月7日(労働経済判例速報731号7頁)
高北農機事件・津地裁上野支部決定昭和47年11月10日(労判165号36頁)
 特に,高北農機事件判決は,「労働契約は継続的契約関係ゆえ当事者は信義則に従い給付実現に協力すべきこと,労働者は労働によ って賃金を得るのみならず,それにより自信を高め人格的な成長を達成でき,不就労が長く続けば技能低下,職歴上および昇給・昇格等の 待遇上の不利益,職業上の資格喪失のような結果を受けるなど」の理由から,原則肯定の立場にたっている。

4. 就労請求権についての学説

 学説に関しては,近年あまり論じられてないと言われる。しかし,判例についての消極的傾向に対し,就労請求権を肯定する有力な見解 が数多く存在する(ただし,判例と同じく原則否定例外肯定説も多い)。

下井隆史「現実に労働ろることそのことが権利として保護されるべき価値を有し,しかも不就労はしばしば現実的・具体的に労働者に不利 益をもたらすゆえに,就労請求権は原則的に肯定されるべきである」
片岡昇「従属的労働関係にたつ労働者保護の見地から,人間らしい生存を確保するという原理を具体化する労働契約のもとでは,労働に 伴う「人格の形成と発展」の利益も保護の対象となる。