新教育の森  (毎日新聞)


新教育の森:市立高を私立高に移管 生徒、保護者、教職員が反発−−滋賀・守山市

毎日新聞 2005年7月4日

 ◇滋賀県守山市が全国初の計画

 琵琶湖に面する人口急増地域、滋賀県守山市で、公立高校を私学に移管する全国初の計画が進んでいる。市立守山女子高校を学校法人立命館(京都市)に運営移管して立命館大付属高としたうえで、市内にあった平安女学院大びわ湖守山キャンパスの跡地に移転するという。少子化で学生の確保に苦労する私学側と、財政を立て直したい市側の利害が一致した結果だが、交渉成立直前まで何も知らされなかった生徒や保護者らは「教育現場の主役は誰なのか」と、強く反発している。【阿部雄介】

 ◇地元生徒少なく、5億円が重荷に

 市立守山女子高は「守山町」時代の1959年、前身の裁縫学校を引き継いで全国初の町立高として創立された。「情報ビジネス」「生活総合」「英語」の3学科があり、全校生徒は約570人。しかし、市内から通う生徒は全体の4分の1程度しかいない。

 市は学校運営に一般会計から年間約5億円を支出。人口約7万人の市には重荷だ。生徒の多くは市外に住んでいるのに、多額の支出を続けることが行政として妥当か、という議論も起きていた。

 一方、平安女学院大は市が約25億6000万円の補助金を出して誘致し、00年4月、びわ湖守山キャンパスとして開学。02年に短大のあった高槻キャンパス(大阪府高槻市)に生活環境学部を新設し、2キャンパス体制となった。守山キャンパスの定員は4学年で約1000人だが、実際の学生数は約470人(04年度)にとどまっていた。

 運営する学校法人平安女学院(京都市上京区)は昨年3月、びわ湖守山キャンパスを高槻キャンパスに移転・統合し、事実上守山市から撤退する計画を決めた。同学院の山岡景一郎理事長は「郊外の守山市では学生の確保が難しい。二つのキャンパス運営は非効率的」と経営面を理由に挙げた。

 ◇「立命館守山高」、来春開校で合意

 市側は撤退に猛反発し、撤退した場合は補助金の返還を求める方向で学院側と協議を続けたが、平行線をたどった。

 市は、撤退を阻止できなかった場合も想定して昨年6月、各地に高校を設けるなど学生確保のための「拡大策」を続ける立命館側に、大学施設誘致をひそかに打診した。立命館側は、同市に隣接する草津市に立命館大びわこ・くさつキャンパスを抱え、滋賀での高校新設を模索しており、それを知った市は女子高の移管も提案。市によると、この時点での協議は不調に終わったが、同12月に今度は立命館側が移管を持ちかけたという。

 市と二つの私学との水面下の協議は続き、基本合意に至ったのは今年3月。▽平安女学院が市に守山キャンパスを無償譲渡し、補助金の返還は免除▽市がキャンパス跡地を立命館に無償譲渡▽守山女子高を立命館大付属高に移管−−の方向性が決まった。市は保護者や教職員らに説明し、5月17日、立命館側と正式に移管の協定を結んだ。来年4月に「立命館守山高校」として開校し、さらに07年にも、守山キャンパス跡地に付属中学を新設したうえで、高校も移転させる構想だ。

 ◇事前説明ないと、反対運動に発展

 これを知った学生や保護者から反発の声が上がった。

 平安女学院大の一部学生は昨年5月、「一方的に移転・統合を決めた」と反対の署名活動を開始。山田亘宏市長も署名した。同10月には代表の学生が学院を相手に、守山キャンパスで学ぶ権利の確認を求めて提訴。大津地裁は5月23日に訴えを退けたが、学生側は大阪高裁に控訴した。また、守山女子高の教職員や保護者は「一切説明がなく交渉を進めたのは、平安女学院大と同じやり方」として、早期移管に反対する抗議文を市に提出した。在校生の授業料は年間11万円余のままだが、来年入学する生徒は73万円になる。

 山田市長は「このままでは廃校は避けられず、伝統を守るために苦渋の選択をした」と説明するが、同窓会などからは「校風が全く違うのに伝統が守られるはずがない。廃校よりひどいやり方だ」との声さえ上がる。

 立命館の川本八郎理事長は協定調印の席で「市長と約束した以上、断固貫徹する」と発言するなど強気の姿勢を示した。だが、交渉がまとまっても、公立高校の私学移管という前例のない手続きが待ち構えており、今後の展開は不透明だ。

 ◇「自然ななりゆき」「失政のつけ回し」−−識者の見方も複雑

 経営が成り立たなければ学校は存続できないが、将来を担う学生への教育の問題を「ビジネス」の側面だけで片付けるのも大きな問題だ。識者の見方は複雑だ。

 筑波大大学院の小島弘道教授(学校経営学)は公立から私立への移管について「官から民へという流れの中で、移管は自然ななりゆき。全国的にこうした事態が続く可能性は十分ある」とみる。自治体が運営するよりも、私立にした方が国からの私学助成金の分だけ運営費負担が軽くなるためという。その上で、「在籍中の生徒の学習権を守ることも大事。守山市や立命館は、生徒や保護者との十分な議論が必要」と話す。

 また、関西大文学部の竹内洋教授(教育社会学)は「現在の学校運営は極端にビジネス化している。移管は大学側や守山市の失政のつけを生徒に押しつけた結果だ」と厳しく指摘。「少子化の中で、経営感覚も必要になっているが、教育感覚とのバランスが必要ではないか」と述べた。

新教育の森:守山女子高私立移管問題 「教育の商品化」に強い懸念 /滋賀

毎日新聞 2005年07月14日

 ◇4日付本紙掲載「新教育の森」に相次ぐ反響

 ◇「公共性」再認識し、新しいあり方探れ−−寄稿・細川孝・龍谷大助教授

 守山市立守山女子高の立命館大付属高への移管問題で、4日付本紙「教育の森」の記事に読者や教育関係者などからの反響が相次いで寄せられている。このうち、現代企業論が専門の龍谷大経営学部の細川孝助教授からの寄稿を紹介する。
 市立守山女子高校の学校法人立命館への移管に関する記事を興味深く読んだ。記事では移管と併せて、平安女学院大学のキャンパス跡地(守山市)に移転する計画であることにも言及されていた。記事は淡々と事実を述べているが、内容的には教育のもつ公共性を厳しく問うものとなっており、教育にかかわる者に警鐘を鳴らすものと感じた。

 4月に起こったJR福知山線脱線事故は多数の犠牲者を出し、民営化・規制緩和と利益優先主義が行き着く先を端的に示すものとなった。民営化・規制緩和とともに、「官から民への流れ」などということがもっともらしく言われてきた。しかし注意すべきは、この場合の「民」は「民間企業」(営利企業)としての「民」であるということである。決して、「市民」(たみ)としての「民」ではない。

 脱線事故は、教育にとっても教訓的である。JR西日本は、安全性よりも営利を優先し、職場内では労働者の人権をじゅうりんしてきた。その結果が、今回の大事故である。では、教育ではどうか。そこでは、ビジネス化(市場主義)の風潮が強まっている。今日の日本では、教育が徹底して商品化されつつある。教育は権利としての教育ではなく、普通の商品と何ら変わらないものにされようとしている。しかも、経済的な格差の広がりによって、高額(高学費)の商品を手に入れることができないという教育における差別(人権侵害)も深刻になっている。
 商品としての教育という点を徹底していけば、その商品を生産する企業(学校)の経営が思わしくなくなれば、合併・買収なども平気ということになるのであろう。そのような学校に学んだ学生は、「自己責任」を問われるだけであろう。果たして、このような教育のありようは、日本社会に希望をもたらすものとなりうるのだろうか。

 今、求められているのは、教育の持つ公共性を改めて認識することであり、その立場から新しい教育のありようを探求することである。この点で、教育にかかわる人々の責任はとりわけ大きい。ここで、公共性は「官」(お上)を意味するのではなく、たみ(市民)が主体となったものである。
 世界の動向をみれば、経済至上主義だけがすべてではない。また、そのような潮流は多くの問題をもたらし、時代遅れの遺物となりつつある。むしろそれとは違った方向にこそ、新しい時代における教育の展望は見いだされるべきであろう。その点で、市立守山女子高校の学校法人立命館への移管は、新しい時代の到来を告げるものとは決してなり得ないように思うのである。

下は毎日新聞7/4付「新教育の森」記事への寄稿文(未提出・未掲載)


寄稿文(未提出・未掲載)

 毎日新聞7月4日付教育欄に,「市立高を私立高に移管 生徒、保護者、教職員が反発−滋賀・守山市」の記事が掲載された。平安女学院大学のわずか5年でのびわ湖守山キャンパス廃止,誘致に巨額な補助金を支出した守山市の対応,そして突如浮上した立命館による市立守山女子高校の取得と守山キャンパスの無償譲渡の問題。これら滋賀県守山市を舞台にした一連の出来事ほど,教育をめぐる自治体行政の責任,および私立学校経営のあり方が問われた事件はないように思われる。

 第一に,平安女学院大学が守山市住民の巨額な補助を受けながら守山キャンパスをわずか5年で廃止し,しかもそれを当の自治体また学生に対しても事前の説明や充分な理解を求める努力もなしに短期間のうちに実行に移したことは,私学経営のモラル破綻,大学全構員の意見を充分に組み入れて学校運営にあたるという大学自治の原則を無視した手続きとの批判を免れることはできない。このことは,学生の学ぶ権利への侵害問題に発展した。学生が提訴している就学権確認訴訟はその象徴である。
 同時に,教育現場におけるこうしたやり方は,立命館大学に至っても同様である。ある日突然,しかもマスコミ報道によって自分たちの市立高校は,来年度から別の私立高校に変わることを聞かされた女子高校生たちの立場と心情は,平安女学院大学の学生たちと同一のものであろう。

 第二に,わずか5年で撤退するような大学事業計画に巨額の血税を支出した守山市の失政,そしてその失政を繕うかのごとく市立高校の立命館への移管と抱き合わせる形で守山キャンパスの無償譲渡を決めた守山市長の責任も大きい。ここで最も重大な問題と思われる点は,かかる処理のための話し合いが市長および関係する2大学の理事長だけによる「水面下」での密室協議に委ねられ,ここで事実上の意思決定がなされたという事実である。守山市との「基本協定」違反による補助金の返還に応じる態度をみせなかった平安女学院が,今年3月になって突如「立命館が利用されるのなら守山キャンパスの土地・建物を守山市に無償譲渡することとし,そのことをもって補助金返還に替えてもらいたい」(「広報もりやま」平成17年5月15日号)と述べた。「立命館が利用されるなら」という限定条件も密室協議のなせるワザであった。そもそも,守山市への補助金の返還問題は,立命館への高校移管問題とは全く別ものである。それを一緒くたにして処理を図ろうとしたのである。要するに,ここに至って守山市の血税25億6000万円と県の補助金分6億円が,当初の目的・趣旨とは全く異なる立命館大学の高校拡張事業のためにいわば「横流し」される格好になった。こうしたことが今年3月の三者による密室協議によって決定されたが,その過程でいかなる議論がなされたのかは,一切明らかにされていない。

 私学も含め学校教育では,学生・生徒たちに民主主義とは何か,あるいは多様な価値判断を含む意見を公の舞台でいかに議論しつつ一つの結論に導くのかを自ら事業経営において体現し示すことも生きた教育機能の一つであろう。7月4日付毎日新聞「教育の森」全国版でほぼ1面にわたって取り上げたこの問題は,その意味で教育を受ける学生・生徒に対して大学事業のしわ寄せやツケを押しつけたばかりでなく,教育の理念なり神髄という側面において極めて有害な負の影響を与えた事件といわざるを得ない。

2005/07/10(その後一部修正)

匿名