(声明)

平安女学院大学びわ湖守山キャンパス就学権確認訴訟
最高裁の不受理決定を受けて−本件事件で何を教訓とすべきか−

2006年2月27日

平安女学院大学びわ湖守山キャンパス就学権確認訴訟を
支援する大学人の会


 2006年2月3日,最高裁第二小法廷(裁判長滝井繁男,裁判官津野修、今井功、中川了滋、吉田佑紀)は,平安女学院大学守山キャンパスの移転・廃止に伴い,原告学生が同キャンパスでの就学権確認を求めた「上告受理申立」について,「上告審として受理しない」旨決定した。この上告受理申立は,一審大津地裁における請求棄却(2005年5月23日),二審大阪高裁の控訴棄却(2005年9月28日)の判断はいずれも法令の解釈適用を誤り、判断遺脱、理由不備であるとしてなされたものである。最高裁第二小法廷は,結果として原告の訴えを認めようとはしなかった。あらためて,この種の訴訟の困難さが確認された。

 そもそもこの事件は,学校法人平安女学院が四年制大学化するにあたり巨額な補助金を受けて滋賀県守山市に新たに設置した守山キャンパスをわずか5年のうちに廃止し,それに伴い在学生全員を大阪府高槻キャンパスに移動させようとしたことを発端とする。キャンパスの廃止決定を知らずに入学した学生,十分な経過説明や納得を得ることなく強引に移動の対象となった在学生たちは,約2万人に達する署名を力に大多数の学生と地域住民の総意をもって学校法人理事会・滋賀県・守山市・文科省などあらゆる関係機関にキャンパスの移転反対と存続を求めた。本件訴訟はその最後の訴えの拠り所としてなされたものであり,「卒業するまでの間(卒業最短修業年限)同キャンパスで就学する権利」を求めて争われたものである(詳しい経緯は,大学人の会「平安女学院大学びわ湖守山キャンパス就学権確認訴訟とその意義−大学の自治と学生の就学権をいかに守るか−」(2005年7月28日発表)を参照のこと)。
 今回の最高裁不受理決定を受け,訴訟を支援する大学人の会としては,本件就学権確認訴訟の教訓および当該事件全体のもつ問題性をあらためて総括しておきたい。

キャンパスという教育条件を在学契約でいかに問題にするか

 まず第一に,就学権(学生の学ぶ権利)とそれを保障するキャンパスとの関係が法的にどのように扱われるかという問題が指摘される。一審大津地裁は,この問題を「在学契約」論から展開し次のように判断した。すなわち,大学の在学契約は,学生に対して(1)学生としての身分を取得させ,(2)文部科学省の定めた一定の基準にしたがって教育施設を提供し,(3)あらかじめ設定した教育課程に従って授業等の教育を行うなどの義務を負い,学生は,その対価である授業料等を大学に支払うことが主たる内容である。この在学契約に含まれる施設は,設置基準に従った施設であるが,特定の施設を利用させることまで制約していない。「特定の施設を利用できることは,学生が契約を締結するに至る主観的な期待であって,動機にとどまり,これを越えるものとはいえないから,それに基づいて履行請求が可能となるような法的な権利が発生するとは認めることができない。教育内容に直接かかわる学科や授業が廃止されることと,授業を受ける場所が移転することとは,同列に論じられる内容ではない」というものであった。
 この判決では,教育内容とそれを可能とする教育環境条件を峻別した。そして,在学契約に関わる法的履行請求は前者のみに限定した。つまり,特定地域に設置されたキャンパス全体は,学生の学ぶ権利にとって単なる主観的な期待権であって,在学契約には抵触しないというのである。したがって,本件平安女学院のケースのように,新しいキャンパスが5年で廃止されようが,例え1年で廃止されるという極端な場合を想定しても,就学権は法的に保護されない。今後,この種の類似訴訟においても,こうした判断が下される可能性が高い。
 今日,日本の高等教育機関では,地域と密接な連携をもって教育実践活動が展開されるケースが少なくない。その場合,そこで提供される教育内容は,キャンパスの立地や特定施設環境の条件と切り離して捉えることができない。これらは当然ながら在学契約の内容に反映されてしかるべきものである。しかし,法律一般が措定する在学契約の内容は,多様に展開する高等教育機関の活動の実態とは乖離し,極めて抽象的でありかつ限定的である。また高等教育機関における在学契約に関する判例もわずかな入学金返還訴訟の事例を除いて極めて少ない。本件訴訟において,争点を「第三者のためにする契約」論に置かざるを得なかった理由もここにある。今後私立大学の少なくない統廃合やキャンパス撤退が予想されるなか,今日的な教育活動の内実を踏まえつつ,この点に関する法律論を消費者契約法(2004年4月に入学した学生を中心に,高額な授業料を収めつつもキャンパス移転等教学条件の突然の変更によって,わずか数ヶ月で自主退学を余儀なくされた学生もかなり存在する)とも絡めながら,あらためて本格的に検討すべき時期にきたと考える。
 
全構成員自治の重要性と大学の公共性・平安女学院の社会的責任問題

 第二に,大学の公共性という観点から,学校法人平安女学院のキャンパス移転統合の進め方,および大学と地域との関わり方についての責任と問題性である。この問題は,上記「平安女学院大学びわ湖守山キャンパス就学権確認訴訟とその意義」でも詳しく述べており,重複は避ける。しかし,ここであえて強調しておかねばならないことは,大学における全構成員自治の重要性である。この点は強調してし過ぎることはない。大学自治の形骸化あるいは理事会への権限の集中化は,必ずや学生に対する就学権侵害に結びつくことは本件事件を通じても明らかとなった。この点,教訓にすべきである。
 今回の事件は,本来の意味での大学自治が解体された中でこそ起きた事件である。設置したばかりの新しいキャンパスをわずか5年でまるごと廃止するという前代未聞の意思決定において,学生への事前説明はおろか,学部教授会の審議すら経ることはなかった。いわば1年にも満たない短期間のうちに強引な形で移転を強行した。そして,同学校法人の教職員のなかでは,こうした異常と言うほか表現できない進め方に表だって異議が出された形跡も見あたらない。本件訴訟では最終的に学生の就学権が法的には認められなかったが,だからといって平安女学院が学生の学びを侵害した事実も,そのやり方の不当性も決して消え去るものではない。
 さらに,大学を誘致した地域住民に対する大学の責任も免れてはいない。平安女学院は総計で33億6500万円もの巨額の補助金を受けながら,地域に開かれた大学としての機能を十分発揮することなく,突然の撤退宣言をもってキャンパスの長期存続を前提に作成された「基本協定」を破棄した。その手続きにおいて,地域住民への詳細な事情説明も,了承を取り付けることもなかった。こうした行為は,大学を核とした地域振興計画を破綻に導き,同時に地域住民の財産を侵害した。しかも平安女学院は当初守山市に設置した4年制の学部について,キャンパス撤退以降名称を変えながら,2007年度には本部がある京都に一部戻す計画を発表している。これは守山市の地域住民からみれば,まさに補助金の「食い逃げ」としか捉えようがないものである。平安女学院の無責任さは,裁判全体を通じて,被告席に1回も現れず傍観していた態度に現れていたばかりか,1月28日開催の創立131周年記念式典において,約束を反故にした地域住民への謝罪もなく,キャンパス移転統合に尽力したとして自民党の県議会議員3名と本件訴訟学園側弁護士に感謝状を贈呈するという事態に至って頂点に達している。このように,本件事件は大学の公共性と社会的責任を正面からないがしろにした希有な事件であり,まさに負の教訓として日本の大学史において長く記憶されるべきものである。

学校法人立命館と守山市当局による民主主義精神に反した跡地処理の進め方の問題性

 第三に,本件事件はキャンパス移転に伴う就学権確認が争われただけでなく,公共機関たる守山市当局および学校法人立命館・平安女学院の3者が公に説明されることがない密約を締結し,キャンパスの跡地処理を進めたという特異な事件でもあった。本来,キャンパス移転問題で訴訟にまで至っている案件については,他大学は自粛して介入すべきものではない。にもかかわらず,学校法人立命館は自らの高校拡張事業の目的のために,突然の高校移管とセットにしてキャンパス無償取得を強引に進めた。この決定と公表は,一審判決が出される前の出来事である。これによって訴訟は判決の如何に関わらず事実上息の根を止められた。ここには自らの営利のみを追求し他大学における学生の就学権の願いや訴えなど考慮しない同大学理事会の体質が明瞭に示された。
 また,立命館はキャンパスの跡地処理をめぐり,平安女学院と密室で取引した。すなわち,「基本協定」違反による補助金返還にあたって,平安女学院は物納形態でキャンパスを市に寄付するが,その際新たに設置される高校に利用させるため立命館に無償譲渡するという条件をつけること(守山市を単なる通過点とするキャンパスの横流し),他方立命館はその見返りとして平安女学院に財政支援するというのがその内容である。事実,立命館は平安女学院に7億円もの寄付と3億円の貸付を行っている。この財政支援は,平安女学院から公的資産であるキャンパスを破格の値段で買い取る性格のものであったと言ってよい。こうして,当初価格54億円、今日時点の評価額33億円の公的資産はわずか7億円で立命館の所有物となり,同時に平安女学院はキャンパス建設のための初期投資約20億円のうち,約三分の一を現金によって回収した。その結果,守山市民は滋賀県が交付した補助金肩代わり分も含めて,総額32億円の損失を被ったのである。平安女学院に対する補助金返還と立命館へのキャンパス無償譲渡差止を求める住民監査請求が起きたのも当然であった。
 またキャンパス移転・跡地処理に関して,守山市当局および市議会の多くの議員の対応も同キャンパスで学ぶ学生や住民の意思を踏みにじるものであった。2004年7月12日,平安女学院大学の学生代表(本件訴訟原告)らがキャンパスの存続を願う学生・住民の総意(約1万1000人の署名)をもって,山田亘宏守山市長に要望書を提出した際,同市長はマスコミを含めた場で「学生の願いや思いを真摯に受けとめ共有したい」と述べるとともに,存続を求める署名に自らサインすることでその意思を正式に表明していた。こうした態度や公式発言は,その後キャンパス移転が実施される間際の2005年3月まで,市議会の答弁のなかで何度も繰り返された。しかし,市長はその一方で移転問題が浮上した早期の段階から上記密室会談を繰り返し,平安女学院への責任を追及するどころか立命館へのキャンパス無償譲渡を2005年4月当初に突然発表するに至っている。
 この学生の権利を甚だしく侵害する対応は,市民に対しても同じである。守山市長は2004年3月10日に開催された守山市定例市議会において,平安女学院に対してキャンパス返還のための訴訟を提起すると正式答弁し,その旨マスコミを通じて市民にも伝えられた。しかし,それから1ヶ月もたたない3月31日,この答弁とは全く正反対の行為に至る。すなわち,それまで全く議論が行われず市民も知ることのなかった市立守山女子高校を廃校し立命館に移管する,同時にキャンパスを立命館に無償譲渡し,滋賀県の補助金相当分まで肩代わりすることを,市議会全員協議会の場で公式に発表した。そして,立命館との「覚書調印」が交わされた5月17日までのわずかの期間に全ての事柄が正式決定されたのである。これら住民無視の事案を追認した市議会議員の多くも市長の二枚舌と民主主義のルールを踏み外す行為に加担したという意味で市長と何ら変わるところがない。「市立守山女子高校を学校法人立命館へ移管することに関する決議」について,つい3週間前にキャンパス返還訴訟の意思確認を質した者も含む議員17名が賛同し一人一人の実名をもって採択した5月12日開催の2005年度第2回守山市定例市議会は極めて異様なものである。これら民主主義の精神に反する一連の立命館大学および守山市当局の対応についても,負の教訓として長く記憶にとどめておくべきものである。

 平安女学院と守山市は,1997年12月の「基本協定」によって,守山市という特定地域にキャンパスを設置し,そこでの学生の学びを保障した。同キャンパスは,大学と地域との連携を進めるための「地域に開かれたキャンパス」であり,住民と学生との交流を踏まえて教育が行われる重要な人格形成の場であった。学生たちは,わずかな期間であったとはいえ,キャンパス設置に際して地元自治体が期待した通り,地域に根ざした多様な学びの活動を展開し,地域住民とふれあうことのできる守山キャンパスという特性をもった教育の場で,自らの問題意識を育みながら学び,人格を培ってきた。本件就学権確認訴訟は,こうした今日的な教育実践活動の保障と学生の学ぶ権利の確認を求めたものであった。また同時に,それを突然の一方的な通知と強引な形で不履行にした大学の責任を追及するための訴えでもあった。
 訴訟それ自体は,今回の最高裁の不受理で終息を余儀なくされたが,当該大学理事会に対する社会的な批判は今後とも続くであろう。われわれ就学権確認訴訟を支援する大学人の会は,他大学の教員が中心となって2005年8月に結成され,裁判支援と同時に本件事件の問題性と大学の公共性・社会的責任とは何かを全国の大学関係者に対して訴える活動を展開してきた。短い期間ではあったが,この課題にわずかながらでも貢献できたのではないかと考えている。この間,実施した大阪高裁宛て要望書賛同署名や広報活動等で,私たちの活動を支援して頂いた全国大勢の皆様に心からお礼を申し上げたい。