監査請求に基づいた勧告を!

「市の財産(守女)を考える会」の願い

監査請求に基づいた勧告を!

平安女学院、立命館、守山市3者に関わる
市の財産の無償譲渡及び市の補助金等の処分の差し止めを!

私たちは,平安女学院、立命館、守山市3者による「共同共同詐欺」=仕組まれた市の財産の乗っ取りと市長の背任(加担)と考えています。

「仕組まれた仕組み」は,平女の財政的危機と立命館の事業拡大のために,守山市の財産を全面的に利用することに尽きます。

(申は、補助金の免除と立命館からの10億円の支援で、54.6億円の負債は10億円になり、平女高校から立命館系列への進学枠(30名)によって高校のグレードアップ、長期的安定的に平女の経営を支援することによって平女の負債は限りなくゼロに近づく(負債54.6億円がゼロに!)

⇔命館は、守女を無償譲渡で手にいれて立命館守山高校を開設、念願の滋賀県進出。さらに市から無償譲渡された平女守山キャンパス(54.6億円相当)に高校を移転し、中学部も開設。そのうえ、平女高校からの進学生30名を確保、(立命館守山高校生の20%が立命館系列大学に進学=立命館の戦略=もあわせて考えると)経営的にも事業拡大のうえにも大きな資産を手にしたことになる。

守山市は平女に補助した25.6億円を失い、県が平女に出した補助金のうち6.2億円を肩代わりして県に支払い、守女を、守山の教育の柱を失った。何を手に入れたか、−「街づくり協定」だけ。そして、3者(学校法人と自治体)は、共謀
て、守女と平女の生徒・学生の教育権、教職員の職場、先取に富み創造的な「守山の教育」を奪い取った。

守女は 守山教育は 消されていいのか

「守女の危機」は捏造!

 山田市長が「政治生命をかけて」作り上げた「真っ赤な嘘」。15、16年度の市議会の議事録をみても、守女の危機、学校法人への移管など、何一つ審議されていない。

14年度第1回市議会で教育長は、守山市の立場を明確に答弁(明言)
 「守女は県下ただひとつの市立女子高校として43年の伝統をもち、9671人の…卒業生は、あらゆる分野で活躍…。守山市は女子教育に対する熱意や姿勢を、県内外に…広く認められ、県内高等学校の枠組みの中、確固たる地位と重要な役割を果たしている。……今後ますます教育の重要性を認識し、女子教育の拠点として、また守山市の誇りとして、守女をますます充実、発展させ、維持してまいりたい…」

 いま、守山の教育は、平女と守女を基軸にして、幅と奥行のある教育の仕組み一市民と教職員が、幼稚園から大学までの連携と、教育実践を交換しながら「守山の教育Jを展開し、学校・園づくりを目指し、国際社会を舞台にして、また今日の日本の福祉(地域の福祉)や情報、地域の自然や環境保護などの領域において活躍する人材を育てることを一守山の教育として重言しています。

守女は「教育都市」守山の「重要文化財」

 守山の土地をわずかに掘り返すだけで、次から次へと2000年以上前から古墳時代に至る遺跡、国の制度が東西に広がっていく時代の遺構等が見つかっている守山、その遺跡・遺構から、日本人の歩みや生活の状況、かって戦争のない時代があったことなど、時代の変異とその時代の文化などが私たちの足元を作り上げてきたことがわかる。近江という水と土壌に恵まれた米どころ。奈良や京都の辺縁こ位置し、琵琶湖につなぐ交通網は、当時の世界(中国、朝鮮など)とつながっていた。比叡山を護り(守山の「山」は比叡山)、三上山と比叡山をつなぐ中点であった守山、だからこそ、政治、経済、文化(人)が、時代を越えてまた時代の変遷期には鋭くこの近江・守山を幾重にも交錯し、滞留・沈澱し、それを追肥として文化的、教育的土壌を育んできた。こうした歴史を足場こ、江戸後期には、商人、農民など(民百姓)が学ぶ寺子屋が各地にでき、明治初期には学制発布前に学校開設の準備を始め、明治10年までに各地に学校が誕生した。こうした教育、文化的風土の中から「マルサ裁縫教室」が誕生し、戦中を乗り越えて、戦後守山町に移管され守山市立守山女子高校として今に至っている。
 その守女は、女性の自立、人間的な発達を全面に掲げて独自の発展を遂げる。滋賀県全域に公立高校が設置される中、より独創的な教育内容を創造、展開しながら発展。平成11年度「守女の教育改革」の答申を受けて、今の社会的状況や時代の課題、日本を飛び出した世界的視野にたった人材の育成、女性としてのさらななる「独り立ちの力」などを意識した、時代を先取した教育の実践を始めるまでになった。そしていま、平安女学院大学の誘致を踏まえて、幼稚園から大学までを含めた「守山の教育」の中核として新たな位置を守山市は求めている(2004守山市の教育指針)。守女は、まさに守山市の「重要(教育)文化財」、今も生成し時代と向き合い、時代を先取し続けている現役の重要文化財である。

守女の廃止は「守山の教育方針」の内実と背骨を失い,守山の教育の死を意味する

(資料1) 守山市の財産処分計画
ー藹(守山女子高校)が立命館に無償譲渡・移管され、立命館高校になる、∧申(平安女学院)は、市からの補助金25.6億円の返達が免除され、県に返還すべき補助金6.2億円を市が肩代わりして支払う。J申は、平女守山キャンパスを守山市に寄付する。ぜ藥鎧圓亙申守山キャンパスをそっくり立命館に無償譲渡し、立命館守山高校を移転、中学部を併設する。イ海了圓虜盪砂菠の理由として、守女の財政負担が5億円、入学生が減ってきて今後の経営・運営の展望がない−というものでした。


(資料2) 立命館から平女への支援(密約)
仝什瀛唇遜学院が京丹後市に所有する郊外型セミナーハウスを7億円で購入し(時価5000万円以下)、平安女学院を財政支援するとともに、本学の学生援助施設を充実する(利用できる利便性なし)。→(購入を寄付に変更)
∧唇遜学院の校舎の改修費用などに、無利子有担保10年期限で3億円を貸し付ける。
J唇遜学院高校を提携校として、RU(立命館大学京都キャンパス,草津キャンパス)およびAPU(大分県,アジア太平洋大学)との間に30名の推薦枠を設定する。
に楹悗、平安女学院へ教職員の派遣を行なう。

平安女学院大学の開設と守山市立守山女子高校との連携的な教育実践の模索
(守山市教育要覧から考える)

(1)守山市の教育方針を見ると、2000年度から平女の開設を大きな転換点と捉えて、平女と守女の連携を「教育指針」の中に記しました。そして、守山市の教育方針として「国際社会に貢献できる人の育成」を盛り込みました。これは、守女の新しい教育の方向(平成11年度答申)に合わせた教育方針の強化だと推察できます。2001年度の教育指針においては、今日的な教育課題として「環境・福祉・IT」を明記し、平女と守女の関係を「深める」として守山市の教育活動の基軸に据える方向が読み取れます。
 2004年度の教育指針では、今日的な教育課題として「国際理解」を追記し、平女と守女の関係をさらに深めるとともに守女と中学校との交流を教育実践として取り入れました。

  2000年度は、平女の開設、守女の新しい教育方針の確定をうけて、「市民とともに魅力ある学校・園づくり」として、「市民とともに」が登場するとともに、2004年度には、「教職員は…、幼・小・中・高・大学の校種間の連携による交流研修や各種研修の充実を回る」ところにまで、守山の教育は幅と奥行のある教育の仕組みを目指すようになったのです.市民と教職員が、幼稚園から大学までの連携と、教育実践を交換しながら「守山の教育実践」を展開し、国際社会において、今日の日本の福祉(地域の福祉)や情報、地域の自然や環境保護などの領域において活躍する人材を育てることをはっきりとうたっています。

 平女の開設を契機に、守女は新たな教育方針と実践的な課題を取り込み、平女と守女は守山の教育の中核として、国際的な視点、福祉や環境、情報化社会などを踏まえた新たな守山市の教育を創造する−今の時代の諸課題を先取りしたような教育展開の体制を作ろうとしていた(教育都市=守山の歴史」にふさわしい)。

 平女の教職員、学生は、こうした「守山の教育」の中での平女を意識しながら、市民に開かれた大学を実践し、市民とつながる教育的な活動をキャンパスの内外において展開を始めてきたところであり、守女もまた、中学との交流に踏み出したり、環境や福祉領域での新たな教育実践を始めてきたところであったし、国際理解を目指した英語教育は、広い海原に漕ぎだす守山の教育的開拓者の位置を明確にし、国際社会を舞台にして活躍する女子の育成をめざした教育の仕組みを整えたところであった。

※ 平女守山キャンパスの閉鎖(高槻移転)と平女の閉鎖(廃校)は、守山の教育の破壊そのもの−としか言いようがありません。

「市の財産(守女)を考える会」(代表 西村登志男)
2006年1月1日発行


上記の資料は「市の財産(守女)を考える会」が守山女子高校の移管問題,守山キャンパス無償譲渡問題の不当性を訴えるために一般市民向けに作成され,実際に「集い」以外でも市民に配布されたものである。