大学人の会ニュース 5(2005/08/24)
 

大阪高裁宛「要望書」署名に寄せられたコメント(8月16日〜8月23日までの分)


署名させていただきます。

この事件について、親友から教えてもらいました。大学で研究し、学位取得を目指す私としては、学ぶ権利を奪われてしまうことは、ひとごとではありません。ある日突然、私の研究室がなくなったら・・・考えると恐ろしいことです。私は、確実に路頭に迷うことになると思います。 大学の独立行政法人化の際、反対意識を私はもっていました。でも、それは、私が高校生の時にすでに決まっていたことで、実際に法人化する際、大学はなんの説明も私たちにしてくれませんでした。そういったことも含め、特に大学は、私たち学生に対しての「やさしさ」をもっていません。私は、常にそのことに疑問を持っていました。この事件を目の当たりにした際、とても他人事とは思えませんでした。ぜひ、がんばっていただきたいと思います。私たちの「学ぶ権利」を守っていただきたいです。 また、大学の方針にただ何も言うことのできない学生を代表して闘っている方に敬意を表したいと思います。応援してます。最後までひるむことなくがんばってください。


学ぶ場を奪わないで欲しい

 大学経営が苦しいということは分かるが、学生の学ぶ場を一方的に奪うことはして欲しくない。地裁の判決にも納得できない。学生の皆さん頑張ってください


平安女学院高校卒業生です。

守山キャンパスのことについては、新聞やネットを通じて気にして見ていました。経営上の都合とはいえ、あまりにも身勝手なやり方に「キャンパスにおいての主役は一体誰なのか?」と問いたくなります。 同様に平安女学院高等学校においても、生徒よりも経営重視で、生徒を大事にする先生がどんどん退職に追い込まれておられると聞きます。大人として、教育の場を作る方として、今後大人になっていく生徒たちに伝えていくべきことはなにか、安心して勉強できる環境とはなにか、今一度お考えください。 学校の収益のために、生徒や学生を軽視するのは辞めてください。


応援します。

 ひとりでも多くの学生が学べる環境を守ることが日本の未来を明るくしてくれると思います。強い共感を覚えました。


抗議と賛同

理事会による学生の意見無視に抗議するとともに,立ち上がった女子学生さんたちの想いに賛同します。


経営と教育

大学を経営していく上で経済効率を考えるのは経営者として当たり前です.しかし大学は教育の場であることを忘れてはなりません.教育には多くの人材,時間,資金がかかり効率主義では割り切れないものだからです.
大学が市場原理におされ学びの場を失いかけている学生を救う手助けができればと思い,微力ながら署名致します.


学生の発言力

欧米と比較し、日本の大学行政において学生の発言力があまりにも脆弱すぎます。がんばってください。


頑張ってください

「経営者」とか「設置者」が、なにやら教育機関の改廃をめぐる専一的な権限を持っているという思いこみが、広く高等教育機関の現場に浸透しているような気がします。そこでは、実際にそこで学び研究する、学生や院生の権利がまったくないがしろにされています。 学生には学生の、教員には教員の、大学の改廃に対する意思決定の権利があるのだということを、正当にも主張されているみなさんの活動に敬意を表するとともに、同様な立場に置かれ、既に「設置者権限」による大学組織の改廃を経験することを余儀なくされた公立大学の現場から、連帯のメッセージをお送りします。


応援します

私も大学を相手に戦っています。サイトを見て、大変勇気付けられました。 間違っていると思うことを「間違ってる」ときっぱり指摘する、おかしいなと思うことを「おかしいのでは?」と疑問を呈す、ごくごく当たり前のことをしているだけなのですよね。 ぜひその信念を曲げず、突き進んでいただきたい。気の利いたことを書けずにすみません。陰ながら応援しております。


学生からのメッセージ

4月から統合され高槻に通っています。学校側は守山までの費用と、高槻までの費用の交通費差額を支給すると説明し、通学にかかる費用を調査しました。私たちはその金額で間違いないかサインしました。それにサインしないと交通費は支給されないと聞きました。それをもってか、新聞に「多くの学生が統合に同意している」と理事長の言葉が書かれていました。私は納得した訳ではありません。もちろん守山で入学し、通い、卒業するつもりでした。しかし学校側に高槻にいくと「決定した」といわれ反対の声はありましたが、色々な生活を抱える中で学生にどれだけの事ができるでしょうか? 反対だと声をあげた人。反対なのに学校との間にたたされた人。反対だけど声をあげる事ができなかった人。もちろん高槻でいいという人もいたと思います。でも私たちは平安女学院大学守山キャンパスを選び入学したのです。会社に入ったのなら、転勤は仕方ない事です。しかし私たちは学生です。なぜ私たちがこんな思いをしなければならないのか。「反対しているなら高槻に行かなければいい」「編入すればいい」そういった意見もあるかもしれませんが、やめてしまえば今まで平安女学院に通ってきた年月は何だったのか。私たちが築き上げてきた人間関係は?反発して大学を中退したら将来どうなるのだろう。間違っているのは学校だと主張しても認めてくれる人はどれくらいいるだろう。そんな不安な思いがかけめぐる中、行動を起こせない人もたくさんいるのではないかと思います。私たちにとって環境が変わるということはとても大きな事なのです。私たちも大人です。環境に適応できないわけではありません。じゃぁ仕方ないし我慢するしかない。しかしそうゆう問題ではないのです。十分な説明もないまま統合し、高槻にいく事をよぎなくされ、私たちの気持ちを無視されてくやしい気持ちでいっぱいです。現在も最後まであきらめず頑張っている彼女はすごいと思います。色々な事で悩む事もぶつかる事も多いと思います。必死で頑張っている姿が認められるような日がくるようにと願っています。めちゃくちゃな文章ですみません。


真打ちは誰か

 大学の格付けと称し、ブランドや名声などを数値化し順位づけして大学の競争力(実力?)を評価しようとする動きがある。雑誌や一部マスコミで垣間みるランキング上位にはおなじみの定評ある大学名がずらっと並んでいて自分に縁のある大学を見つけてなるほどと納得したり逆に不可解な思いをされたこともあるだろう。 出身校から輩出した社長役員の人数や実業界への貢献度、所蔵図書冊数、科学研究費の採択数など客観的な指標も有力な判断基準に違いないが、これらの指標は、ある種の独断にもとづく立場からの物差しであって、実際に在籍している在学生の満足度を必ずしも反映していない。 このようなランキングとは別に所属大学への愛着心や信頼度に注目すればその大学の内部からみた真実の姿が浮かび上がってくる。 平安女学院大学の係争事件は大学との信頼関係を根底から裏切られたことに対する学生の義憤として理解できる。 ある私立大学が経営危機に陥ったときに、廃校やキャンパスの移転、教職員のリストラを選択せざるをえない事態をすべて否定するつもりはない。問題解決処理のプロセスに非倫理的な経営者の横暴が認められる点が黙過できないのである。 大学教育の原点に立って考えたとき、経営危機であろうとも学生の利益や心情を優先保護して、キャンパスの移転を卒業まで猶予すること、経営危機の実態を財務データから正確に説明すること、移転決定のプロセスに学生や教職員の声を反映する措置をとる事が必要である。これらの措置は大学の経営と教育に責任をもつ者の最低限の道義的責任である。 これまで大学界で非公式であるが遵守されてきた教育的モラルを投げ捨てた悪徳経営が大手を振って登場してきた。学部増設を認可し悪徳経営に加担した文科省も30億円以上の支援をした自治体も何の是正指導もせずに学生に不利益を及ぼす一方的な事業撤退を黙認している。 この悪徳経営が手放したキャンパスをほとんど無償で獲得しようとしている京都の某有名大学もその魂胆を考えるとおぞましい。 経営学の手法からすれば、前者は事業の失敗による撤退戦略、後者は漁父の利を得る進出戦略(成長戦略)である。 両者は戦略の失敗と「成功」の違いはあれ、大学の規制緩和と営利主義の成れの果てを示している。 金儲けと大学経営の拡張のためにはマスコミによってつくられたエセブランドを悪用して安上がりのM&Aを推進する、対象となるキャンパスでどのような学生が苦楽をともにし愛着をもって過ごしてきたかなど頓着しない。悪徳経営の連鎖は金儲けに手段を選ばない連鎖でもある。 キャンパス移転を力づくで容易に進められると多寡を括っていた大学理事会に対しキャンパス移転反対運動を起こしていた学生の中から一人の女子学生が就学権保障を求め裁判に訴えた。 労働者のストライキもほとんど聞く事もなく拱手傍観思想がはびこる日本で学生が大学経営者を相手取って正面から戦っている。 大学の社会的責任をUSRと呼んでいる。学生のキャンパスで学ぶ権利の侵害や大学の説明責任の欠如、非倫理的M&A政策から先の2大学はUSR失格であるといえよう。 こうしてみると世間で通用している大学のブランドや格付けというものの実態も実に怪しいものである。魑魅魍魎の大学人が牛耳る世界に敢然と立ち向かっている先の女子学生こそこの係争事件の真打ち(寄席の最後を締めくくる最高格付けの実力者)である。 この事件は、教育に対する責任とは何か、大学と学生の信頼関係が失われたところに教育が成立するのか、学生不在の大学経営は教育を崩壊せしめるのではないか、という教育の根幹に関わる問題を世に問うている。     


平安女学院大学理事会の横暴に抗議する

 多額の補助金を受け取っておきながらわずか5年でびわ湖キャンパスを閉鎖するに至ったのはすべて経営の見通しを誤った理事会の責任である。すべて大学は私学といえども公共機関であり公益法人であって、その経営には高度の公共的責任が伴っている。大学のキャンパスが無くなることは地域の社会・経済状態に大きなインパクトを与える。 理事会はみずからの不明を全教職員、学生、地域住民、そして自治対政府と文部科学省に詫び、誠意をもって後始末すべきである。キャンパスの移転や廃止については少なくとも学生・教職員に対する十分な説明が不可欠である。学生に説明もなくキャンパスを閉鎖し、教職員をいったん全員解雇するなどということは責任の転嫁であり、人権侵害も甚だしい。 可憐な一女子学生が一身を捧げて理事会の横暴に抗議するのを見殺しにしてはならない。我々も自分たちの闘争で多忙な現実はあるが、せめて署名して協力させていただく次第である。 思想信条の違いを超えて、関係者の方々の苦闘に思いをいたし、心からなる敬意を捧げます。


教育に携わる者の拝金主義を許しません

自治体から億単位の助成金をかすめ取り、己が野望によりキャンパス移転を目論むなどかなり卑劣な輩である。教職員の強制解雇、再雇用など教育言論の保証さえないやり口にはあきれるのを通り越し、怒りがふつふつと湧き出る他はありません。ただちに疑惑のキャンパス移転を中止し、即時に復帰させることを望みます。


控訴審勝利

 大学の不当・強権発動によるキャンパスの移転は学生の基本的人権を不当に制御するものでとても認められるものではない。原告の主張が高裁に認められ、有意義な学生生活を取り戻して欲しいと願っています。控訴審勝利を!!


自分の足元で

大きなことについて意見を述べることも必要ですが、自分が身を置いているところで発言することは何より大切なことです。 目をそらさない姿勢こそ、学生に必要なことだとおもいます。裁判所は、そのことの意味をしっかり受け止めてほしい。


今回の件について

普段私達が何気に過ごしているキャンパスがなくなってしまったら…。そう考えると、今回の訴訟問題は私達にとって、ものすごく大事な問題だと感じています。


卒業まで喜屋武パンすを維持しないのは重大な犯罪行為です

学問、特に、学校の存在は学生にとって、将来を左右する重大事項です。入学時のキャンパスは卒業まで維持しなければ、重大な契約違反です。


経営優先、人権無視をやめよ

希望に燃えて学ぶときに、大人たちが遠慮会釈なく学ぶ権利を侵す傲慢さは、滅び行く日本を予感させるものです。人間に知性や見識は失われたのでしょうか?このような人々の政(まつりごと)が今日の国家・地方や企業・学園の衰退をもたらしたのです。今必要なことは、学生たちをはじめ、教員、地域など関係者すべてと心を開いて話し合い、合意の下に活路を切り開くことです。平安女学院大学側が真摯に経過を反省され、話し合いのテーブルにつかれるよう要請いたします。


守山で学ぶ、教育する権利

守山だからこそ選んだ学生もいると思います。卒業後も訪れることのできるものこそがキャンパスです。変化することも必要ですが、しかし、場所は変えて欲しくはないですね。


公正な裁判をもとめます。

大阪高等裁判所殿  平安学院大学びわ守山キンパス就学権確認請求事件について公正な裁判をしてください。             


自分の行動(自分で考え、自分で声を出し、自分と他の自分で連帯する)。

 若いあなたが全く民主主義の原理を実践している事に、感心し感服しています。是非この運動を続けてください。 あなたのこの行動を裏切るように日本の社会は、昔の明治維新以来日本を支配した旧き支配体制が戦後60年を待っていたかのように行動を拡大しています。私は、これを民主主義に対する(回帰的)国家主義の逆襲と認識していますが、その意味で見ると、組織が個人の権利を侵害した時にその「侵害」を「正義」の視点で測っても、民主主義の物差しと国家主義の物差しとでは、答えが全く違うという事を知りました。あなたは今、そのことを、ご自分の行動を通じて経験している訳です。素晴らしい事ですね。この種は何時か芽を出し、素晴らしい幹となり葉を付けて綺麗な花が咲き、そして素敵な実が生ることでしょう。 私から見ますと、あなたは民主主義がこの日本列島に定着した輝かしい実例の一つです。しかし世の中の国家主義が荒れ狂う現実の動きから見ると民主主義が日本に定着したとはとても思えません。私は、日本列島に住む人間個人として国家主義と闘う決意をしています。そして民主主義が定着することを。なにかあなたにエネルギーと勇気を貰いました。ありがとう。 あなたはこの行動で自分が予想もしない変身を遂げるでしょう。バタフライの誕生です。そう、バタフライで思い出しました。著者自身が読むと元気が出ると言う「バタフライ」という本(ノリ・ハドル:きくちゆみ著 ハーモニクス出版発行 八月書館発売)があります。効果は保証しませんが読んでみて下さい。ではお元気で。


微力ながら

応援しますのでがんばってください。


腹立たしい限りです

 学生の就学権というだけではなく、市民の血税を空費したという点でも、平安女学院のやったことは許せません。妻の亡母の母校だけにまことに残念に思います。


首都大学東京の設置とともに、数年後には都立大学がなくなるので、大変強い関心を持ち、平安女学院大学当局の横暴に抗議するとともに、当事者の勇気に敬意を払います。


支援のメッセージ

 全くひどい話ですが、結局の大学経営のズサンさと、地方公共団体の市・県の結託したコマーシャリズム、商業主義の悪い結末でして、このようなことが生じないように、非常に多い助成金の供与に当たり、契約にその罰則金の適用条項が欠けていたのではないか、という感じです。場当たりの学校経営が、大学にも及んで、学生の正常な勉学が保障されないということでは、大学の設置を認定した文部科学省大臣の責任も問われるものです。 この場合、消費者契約法が適用されるもので、民事の提訴にあわせて、その提起も必要と思われます。 その他、憲法の人権、学問の自由、地方自治体の監査請求=住民訴訟という武器もあり、このような理不尽なことは、許されません。 心よりの支援をこめて、当会及び原告学生の勇気ある提訴を支持し、その権利の回復を求める次第です。 帝京大学教授藤原英夫 fujiwara@ucl.teikyo-u.ac.jp


大学の流行りの専制的管理に対して、一人敢然と抗議の意志を、訴訟の形で現す学生の勇気に打たれます。勝利を願ってます。


全大教委員長としてもこの件につき賛同します

この七月から全大教の委員長もしています。全大教委員長としても、この件につき賛同しますので、よろしくお願いします。


 「訴訟の経緯と意義」を読み、驚きました。平安女学院大学の経営陣はみなロムスカ・パロ・ウル・ラピュタかと思いました(cジブリ)。
 同じ私学の学生である原告の方の「平安」が勝ち取れるまで微力ながら応援し、また私自身も大学の自治について考え続けたいと思います。


学生さんの勇気を見習いたい

私が以前勤務していた東京都立大学というところでも、筋の通らない「上からの押し付け」によって大学が破壊されました。これを何とか食い止めたいと自分なりに努力もしましたが、力及びませんでした。法的手段についても弁護士の方と検討しましたが、結局踏み切れませんでした。学生さんが自ら裁判に訴えて、おかしな「上からの押し付け」にストップをかけようとするその勇気とエネルギーはそれだけでも賞賛に値します。学びたいという意欲をもって大学に通う者の立場を司法が真に理解し、道理のない「上からの押し付け」に対して、公正な判断を下してくれることを強く望みます。


頑張って!!

こんなことしかできひんけど。最後まで諦めないでください!