大阪高裁宛「要望書」署名において全国の大学人・市民から寄せられたメッセージ
(2005年8月3日〜9月15日)



現実的な判断を望みます

在学契約が特定施設の利用を意図しないという判断にも一理あるとは思います。しかし現実的には、大学キャンパスの環境は通学環境と併せて大学選択の際の重要な要素の一つになっています。この観点に立脚した良識ある判決が出されることを切に願っています。



大学がおかしい方向に行っているのは間違いないと思います。今後同じような事件が起こらないようにという意味でも、応援しています。


裁判所はどうか公正なご判断を

 教育は商売ではありません。生徒や学生は物ではありません。今回の一連のことがニュースにても報道されていますが、学校を再建するためにその負担を学生や生徒に負わせるというのはまったく賛成の出来るものではありません。  学校のために学生や生徒が存在するのでしょうか?「学生や生徒のために学校がある」なんてことをわざわざ口にする必要があるこの現状に腹立たしさを憶えています。  もし存続したいと考えるなら(これは教職員も学生ももちろん望むところだと思うし、私もそう考えます)、世の中に必要とされる学校に変わっていく努力を自分たちがすべきです(教職員や国が負担を受けるべき)。なぜ学校のために学生が犠牲にならなくてはいけないのか・・・  もう一度言います。生徒や学生は物ではありません。いくら時代がめまぐるしく変わったとしても、絶対に変えてはいけないことがあるはずです。そこをよく見極め、裁判所には公正なご判断を下していただきますよう、心からお願い致します。


これは詐欺でしょう。

守山キャンパスで受け入れた学生については,最低限,卒業まで同一の教育環境と条件を保障すべきものと考えます。 キャンパスを謳い文句にしたわけですから、その環境にあこがれて入学した学生がいるはずです。いかなる環境で学びたいという意欲・希望があってこその学習です。意欲なくしての教育効果はゼロに何をかけてもゼロとなります。学生からしてみれば詐欺同然です。


大学は大型スーパーにも劣るのか?

大学教育は公共性の高い性格を持ち、公的審査をうけた学校法人が運営することの意味を平安女学院は真摯に受け止めるべきである。大型スーパーなどが経営不振で店を閉じる、店を統廃合する場合でも、出店前に地元商店街や住民との合意がなされている重みがあり、簡単に事を運べるわけではない。地元住民の利便性は常に念頭に置かれるはずだ。今回の平安女学院の判断は、在学する学生のみならず、地元住民や県民の反対があるにも関わらず強行した点は許せない。わずか5年でキャンパスを閉じるという経営者としての無責任さ、節操のなさも見逃せない。守山キャンパス設置に際して総額33億6500万円もの巨額な公的資金が、キャンパス廃止によって言わば闇に葬られるという事態は、大型スーパー誘致、その後の撤退以上に公的責任が伴っていることも糾弾されるべきであり、理事者の安易な判断を認めるわけにはいかない。大阪高裁が川戸佳代さんの守山キャンパスでの就学権を保障するとともに、経営者の無責任さを弾劾し、公正な判断を下されるよう強く求める。


趣旨に賛同

当会の趣旨に大いに賛同いたします。署名させていただきます。


応援してます。

たいへんな事と思いますが、頑張って下さい。


経営優先の大学運営に疑問

大学と地域が深く結びつき、守山キャンパスが市民と教職員が一緒になって支えてきた教育環境を、全学生・教職員に何の説明もなく、一方的に移転計画を実施するのは、経営者の教育放棄といってもよいのではないかと思われます。こうしてやり方は教育の場に相応しくありません。 積み上げてきた成果を無にしないため、就学権を守り発展させていく上でも、どうか頑張って欲しいと思います。


理事会の一方的な守山キャンパスの移転を認めないでください。

理事会は、学生の学習する環境を保証し、改善する義務を負っている。改善するならまだいいが、改悪するのに、一方的な、それも新聞報道の後に、説明会をするだけで、学生に対して、納得させる努力が無いのは論外である。在学中は守山キャンパスで勉強させるべきである。そのように契約して入学してきたのである。契約を変更するのであるから移転をしなくてはいけない理由を学生に開示し、納得させるべきである。裁判所は、学生の立場を理解して、判決を出していただきたい。


大学の主役は学生です。頑張って下さい。

学生の意見も聞かずに補助金を詐取するようなやり方は大問題です。このような理事会の姿勢では学生の学習権も大学の研究も民主的な運営も無視されます。何の為の経営か、大学の使命を忘れた経営の為のなりふり構わぬ経営と断ぜざるを得ません。学生の皆さんの勇気に心からエールを送ります。


就学権確認請求裁判支援

経営上の問題もあるかもしれませんが、学生の都合を無視して一方的に移転することは納得できません。学生を支持します。



夢と希望を持って入学してきた学生達の思いを踏みにじるような、大学側の横暴は許せません。裁判所にはぜひ公正な判決をお願い致します。


就学権の保障を求める裁判の公正判決を求めます

本署名の趣旨に全面的に賛同します。学生の就学権を保障する公正判決をお願いします。


応援してます

がんばって下さい!


懐の深い判決を期待します

1.本件は、大学(学校)が単なるハコモノでなく、人間と文化が介在して地域と学校のかかわりが成り立つこと(それが学校史、地域史、文化史を醸成していく)を問うていると思います。2.教育基本法・私立学校法にいう教育の公共性は、学生の学習権も基礎にしていると思います。3.少子化の中で経営的にも学生サービスが重視されています。在学生との関係で、在学契約関係上も所在地変更は学生の利益に関わる重大事項であり、適正手続の如何によっては契約違反も生じるのではないでしょうか。


慎重なるご審理をお願いいたします。

たとえ私立大学の統廃合が避けがたいものであったとしても、十分に慎重な配慮と、とりわけ学生の学習権が侵害を受けないような措置が当然に講じられるべきです。これは教育に関わる問題である以上、一定の合理性にとどまらない、関係者の合意を得る十分な機会と時間が確保されたのか、施設・環境・教育の人材を含めて教育内容・教員水準が統廃合の前後で、遜色ない程度に確保されるのかなどを考慮した十分な合理性が必要と考えます。今回の平安女学院大学の事件では、これらの諸点が果たして十全に考慮されたのかは疑問なしとしません。より慎重なる審理と、学生の学習権に十分に配慮した合理的で妥当なご判断をお願いいたします。


がんばってください

入学した「守山キャンパスで学びたい」という川戸佳代さんの願いがかなえられるよう、公正な判決を要望します。


突然のキャンパス移転は問題です

 平安女学院大学が、学生や地元の同意を得ることなく移転を強行しようとしていることを知りました。しかも、撤退しようとする森山キャンパスは、滋賀県と守山市から33億6500万円もの公的な資金をもらって建設されたとのことです。これは、税金の食い逃げではないかと思います。  この問題が多いキャンパス移転を中止して白紙にもどすべきです。


要望

平安女学院大学びわ湖守山キャンパス就学権確認請求事件に対する公正な裁判を求めます。大学は学生あってのものです。学生の要望を無視した、今回の大学側の一方的なキャンパス移転は許されるべきではありません。


粘り強い闘いを

単身、大学当局に対して、就学権回復の闘い深い敬意を表します。理事会、学長など当局の権限が強化される中、全国民的意義を持つと思います。私も可能な協力をするつもりです。 在外研究中のイギリス・ブライトン、サセックス大学にて


市民・学生に対して丁寧な説明と対応を

守山から高槻への移転で就学権が奪われた、と法的に判断できるのかどうかはともかく、すくなくとも通学の時間が相当に延びたり、引越しを余儀なくされて学生への負担をかけるものであることは間違いありません。平安女学院は大学を街づくりの一つの核にしたいという守山市・市民の熱い要請のもとに進出をしたはずであり、もし、移転をするのであれば、市・市民・学生に十分な説明と対応をすべきであると考えます。


学生の学ぶ権利の保障を

川戸佳代さんの「守山キャンパスで学びたい」とい願いがかなえられるよう、公正な判決を求めます。


学生の学ぶ権利を守る闘いを支持します。

私は大学の教職員組合運動に関わる仕事をしているものですが今回の平安女学院で発生した就学権訴訟をめぐる原告の川戸さんの主張は、学生の立場からすれば極めてまっとうなご意見だと思います。大学をめぐる状況は少子化の影響で急速に厳しさを増していますが、このことは単に大学の問題に留まらず日本の将来を支える若い人が少なくなっている事であり極めて深刻な事態が進んでいることを示すものです。 今回の就学権訴訟問題を単に一大学の問題として捉えずに日本の将来を支える若者をどのように育成するのかそしてそのことに日本の大学と政府、自治体はそれぞれどのように責任を持って対応していくのか明確にさせていくという大きな視点をもって個人という立場ではありますが支援したいと思っています。


大学に入学したからにはそこの大学の教育を受ける権利があるのは当然です。大学側はきちんと責任を持つべきだと思います。

 

署名させていただきます。

この事件について、親友から教えてもらいました。大学で研究し、学位取得を目指す私としては、学ぶ権利を奪われてしまうことは、ひとごとではありません。ある日突然、私の研究室がなくなったら・・・考えると恐ろしいことです。私は、確実に路頭に迷うことになると思います。 大学の独立行政法人化の際、反対意識を私はもっていました。でも、それは、私が高校生の時にすでに決まっていたことで、実際に法人化する際、大学はなんの説明も私たちにしてくれませんでした。そういったことも含め、特に大学は、私たち学生に対しての「やさしさ」をもっていません。私は、常にそのことに疑問を持っていました。この事件を目の当たりにした際、とても他人事とは思えませんでした。ぜひ、がんばっていただきたいと思います。私たちの「学ぶ権利」を守っていただきたいです。 また、大学の方針にただ何も言うことのできない学生を代表して闘っている方に敬意を表したいと思います。応援してます。最後までひるむことなくがんばってください。


学ぶ場を奪わないで欲しい

 大学経営が苦しいということは分かるが、学生の学ぶ場を一方的に奪うことはして欲しくない。地裁の判決にも納得できない。学生の皆さん頑張ってください


平安女学院高校卒業生です。

守山キャンパスのことについては、新聞やネットを通じて気にして見ていました。経営上の都合とはいえ、あまりにも身勝手なやり方に「キャンパスにおいての主役は一体誰なのか?」と問いたくなります。 同様に平安女学院高等学校においても、生徒よりも経営重視で、生徒を大事にする先生がどんどん退職に追い込まれておられると聞きます。大人として、教育の場を作る方として、今後大人になっていく生徒たちに伝えていくべきことはなにか、安心して勉強できる環境とはなにか、今一度お考えください。 学校の収益のために、生徒や学生を軽視するのは辞めてください。


応援します。

 ひとりでも多くの学生が学べる環境を守ることが日本の未来を明るくしてくれると思います。強い共感を覚えました。


抗議と賛同

理事会による学生の意見無視に抗議するとともに,立ち上がった女子学生さんたちの想いに賛同します。


経営と教育

大学を経営していく上で経済効率を考えるのは経営者として当たり前です.しかし大学は教育の場であることを忘れてはなりません.教育には多くの人材,時間,資金がかかり効率主義では割り切れないものだからです.
大学が市場原理におされ学びの場を失いかけている学生を救う手助けができればと思い,微力ながら署名致します.


学生の発言力

欧米と比較し、日本の大学行政において学生の発言力があまりにも脆弱すぎます。がんばってください。


頑張ってください

「経営者」とか「設置者」が、なにやら教育機関の改廃をめぐる専一的な権限を持っているという思いこみが、広く高等教育機関の現場に浸透しているような気がします。そこでは、実際にそこで学び研究する、学生や院生の権利がまったくないがしろにされています。 学生には学生の、教員には教員の、大学の改廃に対する意思決定の権利があるのだということを、正当にも主張されているみなさんの活動に敬意を表するとともに、同様な立場に置かれ、既に「設置者権限」による大学組織の改廃を経験することを余儀なくされた公立大学の現場から、連帯のメッセージをお送りします。


応援します

私も大学を相手に戦っています。サイトを見て、大変勇気付けられました。 間違っていると思うことを「間違ってる」ときっぱり指摘する、おかしいなと思うことを「おかしいのでは?」と疑問を呈す、ごくごく当たり前のことをしているだけなのですよね。 ぜひその信念を曲げず、突き進んでいただきたい。気の利いたことを書けずにすみません。陰ながら応援しております。


学生からのメッセージ

4月から統合され高槻に通っています。学校側は守山までの費用と、高槻までの費用の交通費差額を支給すると説明し、通学にかかる費用を調査しました。私たちはその金額で間違いないかサインしました。それにサインしないと交通費は支給されないと聞きました。それをもってか、新聞に「多くの学生が統合に同意している」と理事長の言葉が書かれていました。私は納得した訳ではありません。もちろん守山で入学し、通い、卒業するつもりでした。しかし学校側に高槻にいくと「決定した」といわれ反対の声はありましたが、色々な生活を抱える中で学生にどれだけの事ができるでしょうか? 反対だと声をあげた人。反対なのに学校との間にたたされた人。反対だけど声をあげる事ができなかった人。もちろん高槻でいいという人もいたと思います。でも私たちは平安女学院大学守山キャンパスを選び入学したのです。会社に入ったのなら、転勤は仕方ない事です。しかし私たちは学生です。なぜ私たちがこんな思いをしなければならないのか。「反対しているなら高槻に行かなければいい」「編入すればいい」そういった意見もあるかもしれませんが、やめてしまえば今まで平安女学院に通ってきた年月は何だったのか。私たちが築き上げてきた人間関係は?反発して大学を中退したら将来どうなるのだろう。間違っているのは学校だと主張しても認めてくれる人はどれくらいいるだろう。そんな不安な思いがかけめぐる中、行動を起こせない人もたくさんいるのではないかと思います。私たちにとって環境が変わるということはとても大きな事なのです。私たちも大人です。環境に適応できないわけではありません。じゃぁ仕方ないし我慢するしかない。しかしそうゆう問題ではないのです。十分な説明もないまま統合し、高槻にいく事をよぎなくされ、私たちの気持ちを無視されてくやしい気持ちでいっぱいです。現在も最後まであきらめず頑張っている彼女はすごいと思います。色々な事で悩む事もぶつかる事も多いと思います。必死で頑張っている姿が認められるような日がくるようにと願っています。めちゃくちゃな文章ですみません。


真打ちは誰か

 大学の格付けと称し、ブランドや名声などを数値化し順位づけして大学の競争力(実力?)を評価しようとする動きがある。雑誌や一部マスコミで垣間みるランキング上位にはおなじみの定評ある大学名がずらっと並んでいて自分に縁のある大学を見つけてなるほどと納得したり逆に不可解な思いをされたこともあるだろう。 出身校から輩出した社長役員の人数や実業界への貢献度、所蔵図書冊数、科学研究費の採択数など客観的な指標も有力な判断基準に違いないが、これらの指標は、ある種の独断にもとづく立場からの物差しであって、実際に在籍している在学生の満足度を必ずしも反映していない。 このようなランキングとは別に所属大学への愛着心や信頼度に注目すればその大学の内部からみた真実の姿が浮かび上がってくる。 平安女学院大学の係争事件は大学との信頼関係を根底から裏切られたことに対する学生の義憤として理解できる。 ある私立大学が経営危機に陥ったときに、廃校やキャンパスの移転、教職員のリストラを選択せざるをえない事態をすべて否定するつもりはない。問題解決処理のプロセスに非倫理的な経営者の横暴が認められる点が黙過できないのである。 大学教育の原点に立って考えたとき、経営危機であろうとも学生の利益や心情を優先保護して、キャンパスの移転を卒業まで猶予すること、経営危機の実態を財務データから正確に説明すること、移転決定のプロセスに学生や教職員の声を反映する措置をとる事が必要である。これらの措置は大学の経営と教育に責任をもつ者の最低限の道義的責任である。 これまで大学界で非公式であるが遵守されてきた教育的モラルを投げ捨てた悪徳経営が大手を振って登場してきた。学部増設を認可し悪徳経営に加担した文科省も30億円以上の支援をした自治体も何の是正指導もせずに学生に不利益を及ぼす一方的な事業撤退を黙認している。 この悪徳経営が手放したキャンパスをほとんど無償で獲得しようとしている京都の某有名大学もその魂胆を考えるとおぞましい。 経営学の手法からすれば、前者は事業の失敗による撤退戦略、後者は漁父の利を得る進出戦略(成長戦略)である。 両者は戦略の失敗と「成功」の違いはあれ、大学の規制緩和と営利主義の成れの果てを示している。 金儲けと大学経営の拡張のためにはマスコミによってつくられたエセブランドを悪用して安上がりのM&Aを推進する、対象となるキャンパスでどのような学生が苦楽をともにし愛着をもって過ごしてきたかなど頓着しない。悪徳経営の連鎖は金儲けに手段を選ばない連鎖でもある。 キャンパス移転を力づくで容易に進められると多寡を括っていた大学理事会に対しキャンパス移転反対運動を起こしていた学生の中から一人の女子学生が就学権保障を求め裁判に訴えた。 労働者のストライキもほとんど聞く事もなく拱手傍観思想がはびこる日本で学生が大学経営者を相手取って正面から戦っている。 大学の社会的責任をUSRと呼んでいる。学生のキャンパスで学ぶ権利の侵害や大学の説明責任の欠如、非倫理的M&A政策から先の2大学はUSR失格であるといえよう。 こうしてみると世間で通用している大学のブランドや格付けというものの実態も実に怪しいものである。魑魅魍魎の大学人が牛耳る世界に敢然と立ち向かっている先の女子学生こそこの係争事件の真打ち(寄席の最後を締めくくる最高格付けの実力者)である。 この事件は、教育に対する責任とは何か、大学と学生の信頼関係が失われたところに教育が成立するのか、学生不在の大学経営は教育を崩壊せしめるのではないか、という教育の根幹に関わる問題を世に問うている。     


平安女学院大学理事会の横暴に抗議する

 多額の補助金を受け取っておきながらわずか5年でびわ湖キャンパスを閉鎖するに至ったのはすべて経営の見通しを誤った理事会の責任である。すべて大学は私学といえども公共機関であり公益法人であって、その経営には高度の公共的責任が伴っている。大学のキャンパスが無くなることは地域の社会・経済状態に大きなインパクトを与える。 理事会はみずからの不明を全教職員、学生、地域住民、そして自治対政府と文部科学省に詫び、誠意をもって後始末すべきである。キャンパスの移転や廃止については少なくとも学生・教職員に対する十分な説明が不可欠である。学生に説明もなくキャンパスを閉鎖し、教職員をいったん全員解雇するなどということは責任の転嫁であり、人権侵害も甚だしい。 可憐な一女子学生が一身を捧げて理事会の横暴に抗議するのを見殺しにしてはならない。我々も自分たちの闘争で多忙な現実はあるが、せめて署名して協力させていただく次第である。 思想信条の違いを超えて、関係者の方々の苦闘に思いをいたし、心からなる敬意を捧げます。


教育に携わる者の拝金主義を許しません

自治体から億単位の助成金をかすめ取り、己が野望によりキャンパス移転を目論むなどかなり卑劣な輩である。教職員の強制解雇、再雇用など教育言論の保証さえないやり口にはあきれるのを通り越し、怒りがふつふつと湧き出る他はありません。ただちに疑惑のキャンパス移転を中止し、即時に復帰させることを望みます。


控訴審勝利

 大学の不当・強権発動によるキャンパスの移転は学生の基本的人権を不当に制御するものでとても認められるものではない。原告の主張が高裁に認められ、有意義な学生生活を取り戻して欲しいと願っています。控訴審勝利を!!


自分の足元で

大きなことについて意見を述べることも必要ですが、自分が身を置いているところで発言することは何より大切なことです。 目をそらさない姿勢こそ、学生に必要なことだとおもいます。裁判所は、そのことの意味をしっかり受け止めてほしい。


今回の件について

普段私達が何気に過ごしているキャンパスがなくなってしまったら…。そう考えると、今回の訴訟問題は私達にとって、ものすごく大事な問題だと感じています。


卒業まで喜屋武パンすを維持しないのは重大な犯罪行為です

学問、特に、学校の存在は学生にとって、将来を左右する重大事項です。入学時のキャンパスは卒業まで維持しなければ、重大な契約違反です。


経営優先、人権無視をやめよ

希望に燃えて学ぶときに、大人たちが遠慮会釈なく学ぶ権利を侵す傲慢さは、滅び行く日本を予感させるものです。人間に知性や見識は失われたのでしょうか?このような人々の政(まつりごと)が今日の国家・地方や企業・学園の衰退をもたらしたのです。今必要なことは、学生たちをはじめ、教員、地域など関係者すべてと心を開いて話し合い、合意の下に活路を切り開くことです。平安女学院大学側が真摯に経過を反省され、話し合いのテーブルにつかれるよう要請いたします。


守山で学ぶ、教育する権利

守山だからこそ選んだ学生もいると思います。卒業後も訪れることのできるものこそがキャンパスです。変化することも必要ですが、しかし、場所は変えて欲しくはないですね。


公正な裁判をもとめます。

大阪高等裁判所殿  平安学院大学びわ守山キンパス就学権確認請求事件について公正な裁判をしてください。             


自分の行動(自分で考え、自分で声を出し、自分と他の自分で連帯する)。

 若いあなたが全く民主主義の原理を実践している事に、感心し感服しています。是非この運動を続けてください。 あなたのこの行動を裏切るように日本の社会は、昔の明治維新以来日本を支配した旧き支配体制が戦後60年を待っていたかのように行動を拡大しています。私は、これを民主主義に対する(回帰的)国家主義の逆襲と認識していますが、その意味で見ると、組織が個人の権利を侵害した時にその「侵害」を「正義」の視点で測っても、民主主義の物差しと国家主義の物差しとでは、答えが全く違うという事を知りました。あなたは今、そのことを、ご自分の行動を通じて経験している訳です。素晴らしい事ですね。この種は何時か芽を出し、素晴らしい幹となり葉を付けて綺麗な花が咲き、そして素敵な実が生ることでしょう。 私から見ますと、あなたは民主主義がこの日本列島に定着した輝かしい実例の一つです。しかし世の中の国家主義が荒れ狂う現実の動きから見ると民主主義が日本に定着したとはとても思えません。私は、日本列島に住む人間個人として国家主義と闘う決意をしています。そして民主主義が定着することを。なにかあなたにエネルギーと勇気を貰いました。ありがとう。 あなたはこの行動で自分が予想もしない変身を遂げるでしょう。バタフライの誕生です。そう、バタフライで思い出しました。著者自身が読むと元気が出ると言う「バタフライ」という本(ノリ・ハドル:きくちゆみ著 ハーモニクス出版発行 八月書館発売)があります。効果は保証しませんが読んでみて下さい。ではお元気で。


微力ながら

応援しますのでがんばってください。


腹立たしい限りです

 学生の就学権というだけではなく、市民の血税を空費したという点でも、平安女学院のやったことは許せません。妻の亡母の母校だけにまことに残念に思います。


首都大学東京の設置とともに、数年後には都立大学がなくなるので、大変強い関心を持ち、平安女学院大学当局の横暴に抗議するとともに、当事者の勇気に敬意を払います。


支援のメッセージ

 全くひどい話ですが、結局の大学経営のズサンさと、地方公共団体の市・県の結託したコマーシャリズム、商業主義の悪い結末でして、このようなことが生じないように、非常に多い助成金の供与に当たり、契約にその罰則金の適用条項が欠けていたのではないか、という感じです。場当たりの学校経営が、大学にも及んで、学生の正常な勉学が保障されないということでは、大学の設置を認定した文部科学省大臣の責任も問われるものです。 この場合、消費者契約法が適用されるもので、民事の提訴にあわせて、その提起も必要と思われます。 その他、憲法の人権、学問の自由、地方自治体の監査請求=住民訴訟という武器もあり、このような理不尽なことは、許されません。 心よりの支援をこめて、当会及び原告学生の勇気ある提訴を支持し、その権利の回復を求める次第です。 帝京大学教授藤原英夫 fujiwara@ucl.teikyo-u.ac.jp


大学の流行りの専制的管理に対して、一人敢然と抗議の意志を、訴訟の形で現す学生の勇気に打たれます。勝利を願ってます。


全大教委員長としてもこの件につき賛同します

この七月から全大教の委員長もしています。全大教委員長としても、この件につき賛同しますので、よろしくお願いします。


 「訴訟の経緯と意義」を読み、驚きました。平安女学院大学の経営陣はみなロムスカ・パロ・ウル・ラピュタかと思いました(cジブリ)。
 同じ私学の学生である原告の方の「平安」が勝ち取れるまで微力ながら応援し、また私自身も大学の自治について考え続けたいと思います。


学生さんの勇気を見習いたい

私が以前勤務していた東京都立大学というところでも、筋の通らない「上からの押し付け」によって大学が破壊されました。これを何とか食い止めたいと自分なりに努力もしましたが、力及びませんでした。法的手段についても弁護士の方と検討しましたが、結局踏み切れませんでした。学生さんが自ら裁判に訴えて、おかしな「上からの押し付け」にストップをかけようとするその勇気とエネルギーはそれだけでも賞賛に値します。学びたいという意欲をもって大学に通う者の立場を司法が真に理解し、道理のない「上からの押し付け」に対して、公正な判断を下してくれることを強く望みます。


頑張って!!

こんなことしかできひんけど。最後まで諦めないでください!

 

 

大学のやり方も問題ですが、地裁判決は「教育を受ける権利」に反します

 今大学では改革に取り組んでいます。直接の要因は少子化時代の生き残りですが、その改革の成功は学生の学ぶ権利をどれだけきちんと充足できるかにかかっています。そうした中で、大学運営や教育の透明性を高め、学生の意見を取り入れつつ改善をすることで、大学が社会で果たすべき役割を従前に遂行するべく努力しています。 平安女学院のやり方はこうした努力に水をさし、学生の学ぶ権利を侵害するものですが、地裁判決は、今は滅んでしまった特別権力関係論を思わせるような論理で、とうてい受け入れることはできません。 大学の授業で取り上げることで、少しでも大学の真の改善のためにも協力しています。


冷静な怒りを!

 論外のことを法が守る。奇妙な社会。法で争って、勝てば善、と。脱法行為がなくならない大きな原因がそこにある。日本国はいつになったら成熟期を迎えるのだろうか。憂えるのみである。


頑張って下さい!!

 私は滋賀県守山市で生まれ育ちました。今は仕事の都合で大阪に住んでますが、地元守山で平安女学院の就学権問題、また、その事が解決していない中で、突然告げられた守山女子高移管(立命館への無償譲渡)は、学生の事を考えていないひどい話だと思います。地元の事でとても悲しいです。  学校側には、生徒を募集・入学させたのであれば、卒業まで責任を持って学ばせる義務があると思います。入学時に守山キャンパスで卒業まで学ぶ課程を作られていたのであれば、途中で学生への説明や承諾なくキャンパスを勝手に閉鎖し、変える事は契約違反だと思います。せめて、今いらっしゃる学生を守山キャンパスから卒業させるべきではないでしょうか?? 平安女学院は、学生の就学・卒業させ、守山市(又は県に)補助金を返還して守山キャンパスを撤退する。 守山市は、平安女学院の学生の就学・卒業に協力する。また、守山女子高の学生を守山女子高で就学・卒業させる。  立命館に校舎を譲渡するのはその後で充分です。  今、行われてるやり方はとても納得できません。


理事会の横暴にストップを!

 事件の内容を知り、理事会の無責任さと横暴さに怒りを感じます。思い上がった理事会・理事長に歯止めをかけさせるためにも、是非最後まで頑張って戦い抜いてください。


がんばってください

 おかしいことはおかしいとはっきり言う人が前よりも少なくなってきた――そんな気がします。そのような中で、おかしなことに対してきちんと声をあげることはとても勇気のいることであったと思います。おかしいことはおかしいのです。がんばってください。こちらもたくさんの勇気をもらいました。


大学の事情で現在学生を犠牲にすべきではない

 平安女学院大学の琵琶湖守山キャンパスの学生さん達の訴えは正当であり,賛同します.大学へ勉強するために入学してきた学生の環境が最善であるように保障する義務が大学側にはあります.とくに大学トップの経営手腕は,そこにおいて発揮されなければなりません.入学,大学での教育・研究環境の保障,就職に関する設計,その計画が劣悪であったから,悲惨な事態が起きたのです.少なくとも現経営陣は総退陣し,現在校生入学時に契約した環境条件を保障した上で,着実な将来計画に修正(計画を立て直す)すべきでしょう.
私の大学でも,大学の再編計画により,劣悪な事態が生じています.現在校生(再編からはずれた旧課程)のために多くの同僚がいま悩んでいます. http://justice.iwa.hokkyodai.ac.jp/honkan/index_j.phtml
平安女学院大学の問題も人ごととは思えません.政府行革の下に経済的効率だけが優先されて,教育が破壊されていく過程にあります.事実をきちんと残していくことは重要ですから頑張りましょう.


学生無視の大学なんて・・・

 学生への説明も全くないまま,経営の論理のみで進行する大学運営。一学生の意見をなぜ真摯に受け止めれないのか・・・「学年進行」の考え方は,授業料の学年進行途中での改訂を認めた時期から,なにやらおかしな方向に突き進んでいる。 川戸さんの行動に励まされ,事務職員でもあっても,今一度大学に物申すことにしました。 また,「学生の時」と「教職員の時」の感じ方の違いをこの訴訟でひしひしと感じさせられました。


遠隔地に住んでおりますから直接ご協力出来ませんが、訴えが認められるよう願って已みません。


大学の主人公は学生です。

 大学は経営者のものではなくそこで学んでいる学生のものであると考えます。
効率化を優先するあまりに入学した学生が卒業するまでの期間すら保証できない『大学経営」は果たして健全なものであるといえるのでしょうか。
「生き残り」を至上命題のように掲げつつ学生の学ぶ権利を侵害する「大学改革」は、教育機関としての大学を自ら破滅に追いやることに他なりません。


学生の声を尊重する大学改革を

 トップダウンの決定で就学権を侵害された多くの学生の気持ちを代弁して立ち上がった学生さんの勇気ある行為に敬意を表します。


大学側の一方的なキャンパス移転計画に反対します

 大学側は学生や市民に対して説明責任があります。大学の運営は学生の意見を聞いて、共に運営していくことが必要であると考えます。


守山で勉強する権利はあるはずです。

守山で卒業したかったです!


スーパーの撤退と同じ発想は許しがたいことです。


賛同します

 以前より、龍谷大学の組合誌で読み、事件を知っておりました。先日の京都自由大学でのオープンキャンパスで原告の方にお目にかかりました。要望に賛同しますので、署名いたします。


経営者失格

 平安女学院大学の守山キャンパス開設および閉鎖、高槻キャンパスへの移転の一連の経過は、理事長をはじめとした大学経営者の重大な経営責任問題です。開設の経営責任から、閉鎖・移転の経営責任まで、当時の理事長を含め大学経営者は、学生はじめ関係者に謝罪し、代替的措置を可能な限り最大限とるべきである。また、公益法人たる学校法人に与えた財政上の損害および地域社会への重大な影響など対する社会的責任と経済的(金銭的)責任を具体的にとるべきである。これまで、大学経営者は、これらの点も曖昧にしたまま事態を推移させているが、二重に「経営者失格」である。教職員はじめ全大学人は、公益法人たる学校法人の一部の大学経営者による「独断」と「私物化」を許してはいけない。


 大学当局の一方的な都合で、学生の意見を聞かず、一方的に移転させられるというのは横暴きわまりなく、また大学の自治にも反することです。
 学生の立場に立った判決を求めたいと思います。


要望書の趣旨に賛同します.大学側の強引で不明朗なやり方には問題が多すぎます.


 大学は地域の人々と結びつくことで生命力を発揮します。一方的なキャンパスの移転はこの生命力を自ら否定するものです。公正な判決を期待します。


川戸佳代さんをはじめとする学生達の要求を支持します。

 平安女学院大学の守山キャンパス廃止問題は、教育に対し、学生に対し、また地域住民に対して無責任な理事者の暴挙と言うほかありません。 川戸佳代さんをはじめとする学生達の要求を支持し、高裁が公正な判決を下すように要請します。


大学の社会的責任

 規制緩和と民営化が進展するなか、大学の社会的責任について考えさせられます。有意義な学生生活を送るために入学した学生の多くが泣き寝入りせざるを得ないなか、大学側に対して学生および地域社会への責任を求めた今回の行動に賛同いたします。


平安女学院キャンパス問題に関し

 キャンパスの移動等については、地方公共団体から補助金を受け取りながらすぐに反故にする姿勢には、大学人としてではなく一般の納税者感覚から著しく離れており、法の創造的機能をもつ裁判所がこうした一般的感覚を有していないことには不満を覚えます。しかし、それ以上に、大学に入学した学生は標準就学期間である4年間の、入学時に提示された条件での就学は当たり前のことであり、広島・志学館、仙台・東北文化学園、山口・萩国際の前例にもあるとおり、学校法人側は例え破綻倒産してでもこれを履行する義務があると考えます。それでなければ、学校法人の公益性の担保がなくなり、この国は無法地帯となります。


私立大学のみならず法人化された大学にも影を及ぼす

 今回の川戸佳代さんが提起された問題は、私立大学一個の問題だけではなく、日本の私立大学全体のみならず、法人化された大学にも大きく影を及ぼすものだと思います。就学権の問題が今後ますます厳しく問われる情況の中で真剣にこれについて向き合わなければならないはずです。それゆえに今回の判決の持つ意味は重いと考えます。川戸さんを応援します。


就学権

 大学を選択する場合、その所在地は非常に重要な要件であると思います。また、大学などの公共の施設がその地域に与える存在の大きさは計り知れません。それ故に、公費をそういった施設へ投入されることに市民は納得するのでしょう。だから、大学側の一方的な方針変更でキャンパスの移転をすることは、その場所へ通う学生や地域住民、納税者への責任を果たしていないと思います。


大阪高裁での逆転勝訴を

 一人の勇気ある学生によって起されたこの裁判は、私たち大学に関わる者のありようを厳しく問うていると思います。人権としての教育を確立するために、支援の輪を広げていきましょう。そして、高裁での勝訴を勝ち取っていきましょう。


川戸さん頑張ってください!!

現在、多くの大学で”改革”が進められていますが、大学の主人公である学生を無視したものが多いと思います。今回の問題はその最たるものだと思います。こういった横暴をこれ以上拡大させないためにも是非頑張ってください。応援しています。


川戸佳代さん がんばれ

 今回の平安女学院大学守山キャンパスの移転統合は,同キャンパスに学ぶ学生の就学権を侵害するものと考えます。昨年,「守山キャンパスを守ろうの会」の学生の皆さんは,「このキャンパスで卒業したい」という願いから,滋賀県民・守山市民も含めて短期間に2万名もの署名を集めました。このことは,大学の在校生や地域の多くの人々の心の中に,その思いと願いが焼き付いていることでしょう。是非,高裁で逆転勝利を勝ち取りたいものです。最後まで,頑張って下さい。