資料(6)
立命館の事業展開

資料(6) 立命館の事業展開

  立命館の事菜拡大の全国的な展開は1990年代から
     その本格展開は、琵琶湖「草津キャンバス(BKC)」から

 立命館は、1994年立命館宇治高校(元宇治高校)、2003 咋立命館宇治中学校、1995年立命館慶祥高校(元札幌経済高校、2000年立命館慶祥中学校、1994年草津キャンパス開設、2000年立命館アジア太平洋大学開設。
 興味深いことは、昭和21年(1946年)開設の宇治洋裁女学院が、高等技芸学校→高等専修学校と名前を替え1998年(平成10)立命館高校に吸収合併されています。

 1952年(昭和27年)開設の立命館高校を除いて、立命館は高校開設を、全て既設の高校を吸収して行なっています(自ら新規に建設して開校したものはありません)。しかも中学校を後に併設しています。そしてその戦略は、高校から立命館系列の大学に進学させ学生を確保して、大学ひいては学校法人としての立命館の財政に寄与することにあります(守山市の立命館高校生を、特別に優遇するというものではありません。立命館が学生を求めているのです。)

 アジア太平汗大学に300位の公費助成や土地の無償譲渡
  海外の視察先から、知事が突然「立命館誘致」表明後の顛末

 アジア太平洋大学については、大分県が150億円助成とアクセス道路建設(約70億円)、別府市が私有地約50ヘクタールの無償譲渡と66億円の助成(25億円を県から借入て)など、総額300億円を越える助成や譲渡の金額になるそうです。別府市議会では、保守革新の別を越えて大問題になった経緯があります。
 偶然なのか、平安女学院大学の守山市内進出の話があった時期が1995年(平成7年)、開校が2000年(平成12年)。立命館が大分県別府進出(立命館アジア太平洋大学)の動きが始まったのも1995年、開校が2000年。スタートもゴールの時期が全く同じ。(心理学では、これを「共時現象」とか「共振性」という。)
  (失敗したときの助成金や土地の返還を、協定に明記していないことも?)