資料(1)
平安女学院、立命館、守山市(市長)−その3者の動きと背景

資料(1) 平安女学院、立命館、守山市(市長)−その3者の動きと背景

(1)
 平安女学院(以下、平女)は、平女守山キャンパス廃止(高槻キャンパスへの移転統合)に伴い守山市からの補助金25.6億円と県からの補助金8億円、合計33.6億円を返還しなければなりません。また守山キャンパス開設に自己資金21億円、それがそのまま借金となっている。補助金の返還請求に追い詰められた事態にありました。

 こうした平女の経営的な危機に対して、立命館は財政的な支援また経営(運営)上の助言を行なってきています(立命館川本理事長が、守山市会議員を前に言明されています)。つまり、両者は財政的な支援で結びついた関係にあります。
 立命館は、少子化時代の大学経営対策として、小学から高校までの児童生徒の「囲い込み」戦略をこの10年前から進め、いくつかの高校を手に入れて立命館高校とし、さらには中学部を付設、今日では小学校開設に及んでいます。立命館高校生の20%を立命館翼下の大学に進学させることを目標にしてきました(資料6)。全県1学区制を導入する滋賀県は、(偶然の一致なのかどうか)進出の機会(付属高校の増設)を待つ立命館に「踏み込む場と時」を提供したことになります。

 立命館と平女の財政や運営の支援の関係から見れば、そして平女が守山キャンバス廃止に関わって県・市からの補助金返還に苦慮していることを思えば、守山キャンパスを立命館が安く買えば済むことです。そこに付属高校を開設し、そのための許可申請手続きをすれば済むことです。

 しかし、平女の補助金返還(33.6億円)はそのまま残りますし、投入した自己資金21億円は回収できません。この危機に立命館が協力するとなれば、守山キャンパスをそれなりに高く買うことが必要になります(50億円を超える土地と物件。支援における矛盾)。

(2)
 守山市立守山女子高校(以下、守女)開設には前史があります。この守山の地域は江戸時代後期にすでに少なくとも38を数える寺子屋があって、当時としては決して少なくない商人や農民の子女が教育をうけていた−教育を育む土壌を育てていました。明治5年の学制発布前からすでに学校開設の準備を始め、明治6〜10年にかけてほぼ守山の全地域に学校を開設、地域の有志が私財を持ちだして学校づくりに手を尽くしたと記録されています(守山市誌)。こうした歴史と教育を支え寄与してきた篤志家の活動が守山の「教育新興の気風」を形成し、昭和6年「マルサ裁縫教室」開設へとつながっていき、戦中を乗り越え、学校名も変えながら戦後へと継続され、昭和21年「守山高等裁縫女学校」となり、26年守山町に移管、34年、全国初めての町立の女子高校、「守山町立守山女子高等学校」が誕生しました。その後45年市制の施行とともに「守山市立守山女子高等学校」となり今日に至る(資料7の2)。その後の活動については、守山市誌や守女関係の市の刊行物を参照されたい(市の財産を考える会配布ビラにも概略掲載)。

 平成11年度、市の審議会を経て、時代を先取りした新たな改革に向けて、公立女子高校としての魅力と学力、先験的な方針を打ち出しています(資料7の1)。そのめざすものは「21世紀の世界と日本を見据えて、国際的な視野と感覚を持つ女性を育て、個性豊かな進学と学力、外(海外)の世界とコミュニケートできる語学力と国際理解」ということになると思いますが、新たな学科改組や個性に合わせた学力、英語力、国内外で活躍する人材の育成をしっかりと図るなど、これまでの教育実践をさらに飛躍させていく内容になっています。とくに、守山市と一体になった海外留学や語学研修などの事業は、全国的にも例を見ない優れた教育実践であり、国際的な街づくりをめざす守山市の「意志」の反映でもありました。財政的には負担であっても、単独で小さな自治体が公立の女子高をもつことの意義と矜持を県や国に強く訴え、今日まで独自の歴史を積み上げてきたのです。だからこそ、この4月、守山市長が突然「守女危機、財政的にも生徒数の確保のうえでも存続は困難」と表明するまで、「財政的に負担であっても、守女を維持、発展させる」というのが守山市の態度でありました(昨年度までの市議会での市当局の答弁でも明らかです)。守山市の態度が、今年度(4月)突然180度変わったということです。

(3)
 2004年10月、平女学生が平女守山キャンパスでの学習の権利を求めて大津地裁に提訴しました(被告は平女、「平女大学びわ湖守山キャンパス就学権確認訴訟」)。卒業するまで平女守山キャンパスで学ぶ権利の確認を求める訴えであります。一審二審とも敗訴となりましたが現在最高裁に上告しており係争中です(確定していませんし、本監査請求の案件発生時点においては、大津地裁の判決もまだでていない)。この裁判に対しては多くの大学関係者が関心を持ち、提訴した学生を支援する輪も広がっています(資料8)。つまり、平女守山キャンパスに学ぶ学生は、学生の就学権の保障を求め、守山キャンパスの存続を求めており、平女と学生との間では「高槻キャンパスへの移転統合」について合意が成立していないということになります。従って係争中の守山キャンパスを一方的に処分することについては、就学権(学習=教育の権利)を侵害する行為といえます。(2月市議会では、「学生の思いが通じることになれば」と好意的な見方だったのに)この平女の処分を守山市が受け入れるということは、この就学権侵害への加担であり、平女と守山市による共同不当(不正)行為といえます。

(4)
 昨年後半から、平女と立命館が滋賀県議会の有力議員と相談を繰り返し、やがて守山市長の関与が始まっています(報知新聞一資料11))。そこでどんな相談があったのかは別にしても、事態は今年2005年に入って急激に動き、3月31日の京都新聞の記事となって、市民に明らかになりました。その後の市議会での決議、立命館と守山市の覚え書き、平女が守山キャンパスを寄付、九月市議会での関係案件の可決となって今日に至っております。

 改めて本監査請求に関わる事柄を整理します。[命館に守山キャンパスを無償譲渡するのであれば、平女は守山キャンパスを守山市に寄付する ◆ー藹と守山キャンパスを無償譲渡し、立命館守山高校を開設する(1年後守山キャンパスに立命館守山高は移転)ことで、守山市と立命館が合意(守女の土地と建物は無償貸与に変更)J申への県と市からの補助金の返還を免除し、県からの補助金を守山市が肩代わりして支払う ぜ藥鎧圓蓮⊆藹の財政的な負担がなくなり、立命館が進出してくることによって教育的社会的な効果が期待できる(覚え書き、「街づくり」協定) グ賚△凌陛犬鯊圓辰栃申は守山キャンパスを守山市に寄付(8月24日) 以上から明らかなことは、始めに平女守山キャンパスを立命館が取得するという平女と立命館の事実上の合意があったことです。9月市議会での関係案件の可決の結果、守山市が介在したことによって、(a)平女は補助金を免除され、そのうえ立命館から平安に10億円の支援が行なわれたこと、(b)立命館はお金を出すこともなく、守女と50億円を注ぎ込んだ守山キャンパスを手にいれて、立命館守山高校を開設(中学部も付設)したということ(C)守山市は守女を無償で立命館に譲渡し、平女からの補助金を免除のうえ、県の補助金を肩代わりして支払う−という「もの」とお金の流れ、収支がはっきりしました。契約を反古にし守山キャンパスを閉鎖し、学生の就学権をも踏み躙った平女の財政危機を救い、立命館は50億円を超える財産を無償で手に入れて立命館守山高校を開設(中学部も付設)し、滋賀県への進出を果たしましたが、守山市が手に入れたのは「覚え書き」 と「街づくり協定」だけで、30億円を超える市の財産は消えてなくなったということになります。そのうえに公立高枚を廃止に追い込み守女の生徒を泣かせ平女学生の就学権侵害に加担したという「教育権への侵害」の事実が残りました。

 以上から明らかなことは、平女と立命館がそれぞれの思惑の中で財政的な危機を回避し、他方で資金をかけないで滋賀県に付属高校を開設するという仕掛けづくりが、両者の中で作られていたとしか想定できないということです(資料3)。これまでも支援の関係にあり、今回少なくとも10億円の財政支援が、9月市議会での案件可決を待って立命館から平女に対して行なわれるということからも、また両者が滋賀県議会の有力者と相談していることからも、「仕掛け」の疑惑は深まります。この仕掛けと守山市長の介在及び3者のその後の行為は、守山市の財産を一方的に損害させる「共同不正(違法)行為」の疑いを持ちます。その不正行為を「公共の福祉」のようにみせかけるためのデコレーションとして守女が組み込まれていったのではないか。守女について守山市が態度急変させていった理由ではないか。監査委員の監査により、事実関係が明らかになることを期待します。