平成16年(ワ)第573号 就学する権利等確認請求事件
原 告 川戸佳代
被 告 学校法人平安女学院
準備書面(6)
2005年2月14日
大津地方裁判所 民事部合議係 御中
原告訴訟代理人弁護士 吉原 稔
記
第1 本件在学契約が第三者のための契約であるかについて
1 第三者の為にする契約が成立するためには、まず、契約当事者間に第三者に直接に権利を取得させる旨の合意がなければならず、要約者A、契約者B間の契約の内容が第三者に事実上の利益を与えるにすぎない趣旨のものである場合は、成立しない。
本件で守山市と被告、滋賀県と被告との補助金交付に伴う契約は守山市と件が、被告が高校卒業生に対して守山キャンパスで就学する 金をつくるために、守山キャンパスえお建設するについて、その60%近い額に補助金を交付することに対し、被告が守山キャンパスを建設し、そこで授業をし、教育の場所を開設することを明文の文書で約束し、守山キャンパスの開設後に被告の守山キャンパスの就学の勧誘に対し入学申込みをした学生の申込みを承諾し、在学契約を継続し、その学生が守山キャンパスにおいて授業を受ける権利を取得させるものであり、第三者に守山キャンパスでの就学権を付与させるもであるから、明確な第三者のための契約である。
これは公法上の利用関係における琵琶湖という公有水面における遊漁権(琵琶湖でブラックバスを釣る権利)のような単なる反射的利益では決してない。
又、第三者のための契約は第三者が契約時に現存していなくても有効に成立するし、第三者が特定していなくても特定しうるものであればよく、受益の意見表示のときに現存し、特定していればよい。(品川孝次著、契約法P392) 本件との類似事案で、
日の出町谷戸沢廃棄物広域処分場 記録問題請求訴訟の東京地裁八王子支部平成8年2月21日判決は、住民が第三者として公害防止協定に基づく廃棄物処分場のデータ等の閲覧謄写請求権の有無について、
「@ 第三協定の第12条(4)では、「乙(原告組合)は、処分場に関する資料の閲覧等について、周辺住民から要求があったときは、甲(原告日の町)
を通じて資料の閲覧又は提供を行わなければならない。」と定められている(乙一の1)ところ、反訴原告は、右協定はいわゆる第三者のためにする契約であり、契約当事者でない「周辺住民」である反訴原告が、第三者として資料の閲覧等を請求できると主張するのでこの点を検討する。
A 民法五三七条にいう、いわゆる第三者のためにする契約とは、契約当事者が、自己の名において締結した契約によって、直接に第三者をして権利を取得させる契約をいうところ、第三者協定が原告らと第三自治会との三者間で締結されたことは当事者間に争いがなく、第三者協定の第一二条(4)は、協定当事者以外の第三者である。「周辺住民」から要求があったときは、原告組合は、原告日の出町を通じて資料の閲覧又は提供を行わなければならないものとし、「周辺住民」に資料の閲覧又は提供の請求権という権利を取得させていると言えるから、第三者協定の右条項部分は、「周辺住民」を第三者とする、第三者のためにする契約であると解することができる。」
と判示している。
本件在学契約との比較でいえば、「住民が要求したときは、資料の閲覧提供を行わなければならない」として、第三者のための権利の付与を「しなけれならない」と規定しているのに対し、在学契約は「住民」と限定はしていないが、広く全国から応募する学生が入学金を払って「就学する権利を付与する」そのためにキャンパスを建設するという約旨を明文で規定していることでは「約旨性」は在学契約の方がより明確であり、第三者の特定性については、一般住民であるのに対して、入学申込者として在学契約の方が特定性があり、一般住民が無償による要求であるのに対して在学契約は入学金を払って在学契約を結という有償性があり、どの判断基準をとっても、日の出町事件よりも、在学契約の方が第三者の為の契約を認めやすいといえる。
なお、第三者のための契約の成立要件として、第三者に権利を取得させるとともに付随的な負担を負わせることもできると解される。
例えば、第三者Cが諾約者Bに対して300万円を支払えば、BはCに不動産の所有権を移転するという要約者、諾約者間の契約がこれである。(品川孝次著、契約法P394)
本件在学契約は双務有償契約であるから、在学者が第三者として入学金を払うという負担を負うことは当然である。
2,本件在学契約は第三者のためにする契約という形式における規範契約(規範設定契約)である。すなわち、
※2「規範契約が個別契約の兩當事者若しくはその團體の間で設定されないで、規範契約の一方の兩當事が局外者と規範契約を締結する場合には、變形的な規範契約が存在することになる。この場合にも一つの規範契約は存在するが、それは所謂第三者のためにする契約(Vertrag zugunsten Dritten)という形式における規範契約である。この第三者のためにする契約という形式における規範契約は概して双方的規範契約と類似的に扱われ得るものである。かかる規範契約における所謂局外者(AuBenseiter)なるものは何等規範契約に關與しないものであるが、これは利害關係る者であり、規範契約の適用範圍内に入る關與者(Beteiligter)である。」
第2、守山キャンパスを廃止する権限がないこと
1,被告が主張する大学の自治による守山キャンパスの廃止、高槻キャンパスへの統合が大学の自治、大学の自主的決定権の行使であるとの主張は、在学契約における給付内容の一部解除であるとの主張であると理解しても、被告にはそのような解除権はない。
また在学契約には原則として民商法び適用がある。つまり、民商法による実体的規制を受けるということである。民商法の世界ではもちろん、契約に拘束されるというのが、一般原則である。民商法のもとで、契約の当事者の一方が、契約を破棄(解除)できるのは、法律に特別の定めがある場合か、原則として相手方に契約の不履行など契約を破棄(解除)されてもやむを得ない事情がある場合に限られている。
本件のように「大学の自治」による裁量によって契約を破棄(解除)できることにはならないのである。
高校や大学などの校舎、学科の廃止にあたっては、生徒、学生が選択して入学した学校である事が明確であるため、当然のこととして、在校生、在学生が卒業した後に、学校、学部、学科などの廃止手続をとることが広く行われている。それが常識である。現に被告でも、キリスト教学科の廃止は在学生が卒業した後に行っている。
2,行政法の領域においても、公の営造物の廃止についての裁量権の濫用、権限の逸脱がある場合は違法である。
大阪地方裁判所に係属した高石市立東羽衣保育所廃止取消請求事件に提出された龍谷大学法学部教授甲村和之教授の意見書によると、
※3
ウ これらの判決・決定を踏まえて、行政法学では、公の施設の利用の権利、公の施設の廃止と住民・権利利益の関係が活発に検討されるようになる。そして、この問題については戦後当初の行政法学説を代表していたといってよい原・前掲書の改訂新版である『公物営造法(新版)』(有斐閣法律学全集、一九七四年)は、四七一〜四七三項で「公共施設の廃止」について詳細に検討し(関連した検討が二五四〜二六一項でもなされている。)、結論として、次のような新しい見解を提示した。
「たとえば、鉄道・軌道・道路・病院等の公共施設についても、これらの施設が社会公共の福祉のための給付行政として行われ、本来授益的性質をもつものであるが、少なくとも、これらの施設の利用が住民の日常生活と密接に結びついているものである限り、鉄道・軌道等の廃止、道路の路線の廃止、病院の統合による特定の病院等の廃止によって、従来の利用者の日常生活が著しく不便になり、あるいは具体的な生活利益が侵害されるような場合には、利用者は法律上保護される利益の侵害として、その廃止処分を違法として、その取消を求める訴えの利益を有するものということができるであろう。」(四七三項)
原田尚彦『地方自治の法としくみ(全訂三版)』(学陽書房、二〇〇一年)も次のように説く。
「公共施設をどのように設置し配置するかは、原則として地方公共団体の政策的判断に委ねられている。個々の住民に、特定の施設の設置やその存続を要求する権利が当然に認められるわけではない。……しかし、今日、自治体住民は住民の生活必須施設を少なくとも住民のシビル・ミニマムを保障できるよう配置すべき法的責務を負うから、施設の廃止等によって特定の住民の生活が著しく困難となり生活権の侵害を招くような特段の事情がある場合には、例外的に、当該住民に施設の存続を求める法的権利が承認される余地があると解される」(一九八項)。
以上の見解は、公の施設・公共施設廃止処分取消訴訟の訴えの利益・原告適格を中心にして述べられているが、住民・利用者の法律上保護される利益が違法に侵害されている場合、裁判所はその取消を命じ得るとするものである。
オ 以上のような最近の行政法学の通説的な立場によれば、公の施設の廃止については、その入所者・利用者の権利と関係づけて考察しなければならないということができる。
ところで、ウ、エに紹介した諸学説は、公の施設の利用形態の違い、すなわち、いわゆる自由利用・一般利用の公の施設、利用のつど許可・特許を得る公の施設および継続的な利用者がいる公の施設という違いを十分に意識して、その廃止について考察していることは必ずしもいえないように思われる。諸学説は、主に前二者つまり現に継続的な利用者にない公の施設を念頭におき、その廃止により住民の利用権が侵害されるのはどのような場合か、という問題について述べているといってよいであろう。そのため、諸学説は、「従来の利用者の日常生活が著しく不便になり、あるいは具体的な生活利益が侵害されるような場合」(原)、「利用者のなかでも、生活上の特段の利益を有する者に着目して」(塩野)、「特定の住民の生活がいちじるしく困難となり生活権の侵害を招くような特段の事情がある場合」(原田)などと、訴えの利益・原告適格あるいは廃止の違法性が認められる場合をかなり限定しようとしている。
ところが、本件では、保育所という公の施設を現に利用しているものがいる場合に当該保育所を廃止することは、利用中の者の権利の侵害になるのではないか、ということが問題となっている。言い換えれば、継続的な利用関係にある公の施設の廃止の当否が争われている。具体的にいえば、控訴人X1については平成一七年三月三一日まで、同X2については平成一七年三月三一日(B)および同一九年三月三一日(C)まで各児童を在籍させること、つまり本件保育所を利用することが契約上認められている(このことは原判決)も承認している。)。そのような本件保育所の利用契約の存続期間中の廃止は、利用者である原告らの本件保育所を利用する権利(保育所選択権)の侵害に当たるのではないか、という問題が本件の核心である。
このような場合の公の施設である保育所のはいしについては、その利用権・保育所選択権という具体的な権利の侵害があるかどうかをみて、その違法性の認定をしなければならない。
3 結論
本件では、控訴人らの児童は現に本件保育所に入所・利用しており、しかも、それは契約上今後さらに数年間認められている控訴人らの権利である。そのような保育所の廃止は、「保護者が選択した保育所で保育を受ける権利」の侵害であり、違法であるというほかない。
北海道大学教授亘理 格の意見書は、
「その際、平成九年法改正による保育所利用関係の転換は保護者の保育所選択権を保障したが、このことは保育所の廃止に対して如何なる法的意味を有するかという問題を、検討の中心に据える。
ここでまず考慮すべきであるのは、保育所入所時における選択権が保障されていたとしても、保育所の廃止により直ちに当該保育所利用の権利ないし資格が失われてしまうとすれば、入所時における保育所選択権は権利としては極めて薄弱な権利保障に止まってしまうということである。ところが、上述のように、平成九年の児童福祉法改正は、要保育児童の保護者に保育所選択の権利を保障することを全面に掲げて保育所利用関係の転換を図ろうとしたのであり、その趣旨を徹底させるために、申込書には希望するする保育所名を記載するとともに、当該保育所を媒介とした代理申込みを可能とし、また、各市町村には、「その区域内における保育所の設置者、設備及び運営の状況」等に関する情報提供を義務づけることにより、保護者が個々の保育所の運営状況や保育条件に関する客観的かつ十分な情報を基に適切な保育所選択を行うための前提条件の整備に意を尽くしたのである。そして、平成九年改正を先導するとともに改正後の運用に当たる行政実務の理解によれば、以上の諸条件の下で保育所設置者と保護者との間に形成される保育所利用関係は双務的な「利用契約関係」と把握されているのである。
そうであるならば、保育所設置者である市町村が保育所を廃止しようとする場合、当該市町村には、現に保育期間中にある児童及びその保護者の意志を最大限尊重する義務が課せられているとの結論が、ごく自然に導かれるはずである。
保護者が当該保育所での就学時までの保育継続を希望する場合は、天災事変等により当該保育所の施設が利用できない状況になった場合や市町村財政の急激かつ極度の逼迫により保育所運営の財源が一刻の猶予もない程度に払底しかねない状況にある場合等のように特段の事情がない限り、当該保育所における保育利用関係を維持すべき義務が当該市町村に課せられていると解すべきである。
このように保育所利用関係を利用契約関係として据えるならば、設置者である市町村が保護者の保育所選択を尊重し、その選択にかかる保育所での保育期間にわたって保育所実施を最大限確保すべく義務づけられることは、一層の説得力をもって妥当する。換言すれば、利用契約上の権利として、児童の保護者には、特段の事情がない限り就学時までの保育所りよう継続を求め得る地位が保障されていると言うべきである。
これに対し、本件では、保育所入所時において、就学時までの保育期間の途中における保育所の変更を可能とする旨の契約条項があらかじめ合意されているわけではないし、また、法律若しくは条例で、保育期間中の保育所変更を可能とする旨の規定があらかじめ定められているわけでもない。また、念のため付言するならば、本件保育所を廃止する旨の本件改正条例は、保育所入所後の保育期間の途中で制定された事後事項であるから、保育所入所時に保護者の保育所選択意志を尊重して決定された当該保育所における保育の実施という合意内容を、かかる事後立法である本件条例の規定により一方的かつ遡及的に変更し得るものでないことは、言うをまたないところである。そして、以上のことは、平成九年改正後の保育所利用関係を利用契約として把握する場合には、なおのこと強く妥当とする。何故ならば、当該保育所における保育の実施という契約内容を本件条例の規定により変更するということは、事後立法によって契約内容を一方的かつ遡及的に変更することを意味するわけであるから、そのようなことは契約法の原則に真っ向から反することであって、本来許されないことなのである。
結論 以上述べたことを踏まえて、本意見書の冒頭に示した第一の論点(平成九年の児童福祉法改正によって、保育所入所のあり方が従来の措置制度から要保育児童の保護者に保育所選択の可能性を保障した申込みに基づく入所制度へと転換が図られたことが、市町村の設置した保育所の廃止に対して何らかの制約を課することになるか、という問題)については、第一に、改正後の保育所利用関係は依然として利用契約関係ではないと仮定したとしても、個々の保育所の運営状況や保育条件に関する客観的情報を基に保護者が行った保育所選択の意志は入所後の保育所利用関係の継続時においても最大限尊重されるべきであることからすれば、保育所を設置した市町村には、特段の事情がない限り、当該保育所の意志を尊重すべき義務が課せられると考えるべきである。
また、第二に、改正後の保育所利用関係が利用契約関係であるとの前提に立った場合には、以上のことは一層強あてはまるのであり、それ故、保育所を設置した市町村には、契約締結時において契約の相手方である保護者が想定していた契約締結の目的及び本質的契約条項に矛盾するような契約条件ないし契約条項の変更をなし得る地位は認められないと言うべきである。
公の施設のように、100%公金によって設置され、その管理運営は条例によって管理され、執行機関がその廃止について、広範な裁量権を有するとされる公法営造物の利用関係の分野ですら、有力な行政法学者の各解説及び最高裁判例が、継続的な利用関係にある公の施設の廃止の当否が争われる場合、住民、利用者の法律上保護される利益が違法に侵害されている場合、訴えの利益、原告適格を認めている。
田村共助は、公立保育所の利用契約の存続期間中の廃止は利用者である原告の保育所を利用する権利(保育所選択権)の侵害にあたり違法であるとしている。
県・市による補助金交付という公法関係を前提とする純然たる私法契約である本件在学契約において、継続的な利用関係にある施設の廃止は在学契約における「就学権の違法な侵害」にあたるには当然である。
3,仮に被告において在学契約の守山キャンパスが廃止が、解除権の行使としても、それは信義則に違反し、権利の濫用であり、無効である。
そもそも、被告は原告の入学を勧誘するについて、広告に平安女学院は創立130年を迎える伝統のある私学である。(このことは京都駅の地下通路の巨大広告等で被告は大宣伝をしている)その長い歴史と伝統を誇る学校法人が(県と守山市の補助を得て)守山キャンパスを開設したとして、そのキャンパスでの就学を勧誘したことから、入学しようとして申込みをした原告は、まだか自分が卒業する前の在学期間中に守山キャンパスが廃止されるなどとは夢にも思わなかった。
半永久的に存続するものと期待していたのであり、解除により就学権を奪い、期待権を侵害した。
守山市と滋賀県から多額の補助金の交付を受け、守山キャンパを建設し、就学させるとの約束しながら、わずか5年で廃止したのは、守山市と滋賀県からの補助金のタダ取りをしたことになり、守山市と滋賀県の存続への期待を裏切った。特に補助金として多額の税金を負担した守山市民と滋賀県民にとっては、守山キャンパスが建設され大勢の学生が滋賀県内県外から在学し「大学を核としたまちづくり」を目指し、それに希望をたくして市民からも大いに歓迎されている。学園祭にも1万人を越える信じられないほどの市民が訪れているが、その市民の期待をも裏切った。
又、被告は守山市が約束した守山駅から守山キャンパスの正門前に一本で通じる市道をつくる約束を守らなかったというが、守山市は既に市道の開拓に着手し、一部着工している。完成すれば歩道にベンチをおいて「大学プロムナード」ともいうべき道路にする予定もあったのに、すべて夢と消えた。
守山キャンパスへの入学者が1回生に入学後、2回生の入学者が減少したことから、財政的に困難となることを知りながら、高槻キャンパスに4年生に学部を作って多額の経費を消費した。
私学には私学の経営を維持するために特有の基本金という制度があるところ、その基本金を年々増額しているから、直ちに倒産廃校ということにはならない。
在学中に廃止しなくても、在学生が卒業した後の年度の入学生の募集を停止すれば否応なしに廃止しうるのであるから、原告ら在学生との関係では卒業するのを待てばよく、在学中に廃止するべきではない。現に被告自身、キリスト教学科の廃止は専攻学生の在学中は廃止をしていない。
以上の理由から、在学中に廃止解除することは、信義則に違反し、権利の濫用であり、違法無効である。
電信送金契約は第三者のための契約か否かについての最高裁昭和43年12月5日第一小法廷判決は、
※4
本件在学契約に引き比べれば、上記判例でいう、
「明示的な第三者たる送金受取人にためにする約旨に存否」については、守山市及び県との協定書及び交付要綱において、入学してる在学生のために守山キャンパスを建設し、就学機会を与える」ことが明文の約旨があり、又、第三者のための契約でないとの否定後の根拠の第1の「送金受取人に直接の請求権を与える意見がない」ことについては「在学生が入学手続をとることによって入学させ、就学させる意見は明白であり、「送金受取人は撤回の可能性を残しておきたい」ことについては、本件で、守山市、県、被告が最後まで期間の可能性を残しておきたいことはあり得ない。
第2の組戻しの取引慣行は民法538条の第三者の権利確定の規定と矛盾することについては、本件では「組戻し」類似に慣行もないから、そのような矛盾はなく、 第3の小切手契約との均衡も失することもない。
本件は講学上も判例上も初の事例であるが、従来の判例の判断基準に徹しても、本件を第三者のための契約とすることについては、何ら論理的な不合理性は見あたらない。むしろ、従来の減縮されたケースでは最も自然に認定しうるケースである。
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