平安女学院大キャンパス統合問題 守山市長と平安女学院理事長に聞く
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◇現1年生卒業までは守山で−−守山市・山田亘宏市長 ――大学側がキャンパス統合を伝えるまでの経緯と、市側の対応は。
昨年4月、山岡理事長の就任時にあいさつに来られ、年間約2億円の赤字を出し、経営が大変だと言っていた。しかし1年間は学生確保に努め、04年以降一生懸命やるという話だった。昨夏に行われた学生確保のための集会には京都へ出かけ、協力できることはすると話した。統合の可能性があるという話は聞いていたが、協議などはなく、今年3月に山岡理事長から「統合したい」と申し出があり、4月に理事会決定として通知してきた。
――学生や保護者からの守山キャンパス存続を求める声には、どのように対応するのか。
改めて、今の形でのキャンパス存続を大学側に文書で申し入れた。学生や保護者とも話を続けていきたい。特に今の1年生は、入学1週間後に突然統合の話を押しつけられ、"だまし討ち"のような形。許される話ではなく、地元としても強く存続を望むので、今後とも学生、保護者とも歩調を合わせていきたい。
――キャンパス開設からわずか4年で撤退という事態は異常と言わざるを得ないが、「大学を核としたまちづくり」を目指して来た市としての課題や反省点は。
大学側と約束を交わした時点での条件は、キャンパス開設後、一切変わっていないので、市としての責任は感じていない。立地条件を問題視する声もあるが、大学側は開設時から承知しているはずで、学生を確保出来ないことと結びつけられると困る。一方で学生は祭りなどの地域の行事に積極的に参加してくれ、予測以上に地域との交流がうまくいっている。京都ではできない交流を行ってきてくれ、守山市にとってなくてはならない存在になっている。
――大学側に問題があったということか。
学生が評価するような教育内容が無かった結果では? 県内で、より不便な場所にあっても定員割れしていない大学、短大はいくらでもある。教育内容が評価され、学生がそのサービスを"買っている"からだ。残念ながら平安女学院大の中身に学生や社会が満足していないと言えるだろう。
――撤退により、設立時に守山市から大学に出した25億6000万円の補助金が無駄になる可能性がある。今後の対応と、市としての責任をどう受け止めているか。
大学側は「学園機能を存続させる」と言っているので、その内容との兼ね合いがあるが、大学設立時の補助金は、現在の条件を前提にしている。それが崩れるようなことになれば、補助金返還をお願いすることになる。ただし、学生や保護者が存続を求める運動を続ける以上、実際に行動に出るようなことはできないと考えている。
――大学設立当時の誘致活動について、当時の市の対応に見通しの甘さなどはなかったか。
一般論として、少子化で学生数が減る中、大学経営が厳しいことは間違いない。しかし学生は良い大学に集まり、魅力のない所には行かない。一方で、行政として大学の経営状態について関与してこなかったのは事実。市からも学校法人の評議員を出していたが、理事会などに参加していれば、私たちとしても協力できることがあったかも知れない。
――今回の事態で損なわれた大学側との信頼関係について、今後どう対処するつもりか。
一つの考えとして、法的な協議の場を設けざるを得ないのではないか。結果も大事だが、それまでの経緯も大事なはず。市民に対して経営状態を含めた大学の状態を説明、協議する中で、困っている大学をどう救済するかという姿勢を取りたい。それが通じないとすると、法的な場に出てきてもらうしかない。決して、大学側との対立を望んでいるわけではない。
――今後、最も重視したいことは。
話し合いの場さえ作ってもらえれば、当初の「大学を核としたまちづくり」を目指す方向で考えていきたい。経営の視点でしか今回の動きがとらえられず、学生に目が向いていないのは本当に残念だと思う。少なくとも、今の1年生が卒業する4年後までは守山で教育してもらうのが社会的責務だ。
◇もらった補助金以上に貢献−−学校法人平安女学院・山岡景一郎理事長
――守山キャンパスの高槻への統合に至った理由と経緯は。
県内の学生が県内大学に行かなくなった。はっきり言って、学生から見て守山が地理的に魅力がない。環境は素晴らしいが、下宿もできず、魅力ある施設が少ない。学生が住める環境ではない。宣伝しても守山には学生が来ない。一方、非常に多くの学生が高槻キャンパスを志望してくれる。高槻は大都市も近く、学生には便利が良い。また、大学はマンモス化するなら二つのキャンパスは役に立つが、少子化を控え、少人数指導や複合的な教育を行うにはキャンパスは一つの方が良い。
昨年6月には市長と会い、見通しの厳しさを伝えていた。同7月の学生募集の決起集会では市長にも来てもらい、協力を約束してくれたが、その後具体的に市から何の協力もなかった。その結果、今年も入学定員を大幅に下回ることになり、3月に市長に統合計画を伝えた。本当は今年4月から高槻に移りたかったが、昨年6月の段階で市長から「もう1年待ってほしい」と言われたのでその通りにしていた。
――学生から上がっているキャンパス存続を求める声には、どのように対応するつもりか。
現在のところ、学生全員に快適な生活を送ってもらうためには、守山を残すことは無理。ほとんどの学生には承知してもらっている。それでも拒否する学生はいるが、どんなことがあっても大学として努力する。理解されるまで何度でも説得するしかない。学生全員の前で謝罪してほしいと言う声もあるようだが、謝って済む問題でもないはずだ。私も学生運動にかかわっていたので、学生の行動を非難するつもりはない。ただし、今の経営問題を考えると、難しい問題だが、経営を優先せざるを得ない。
――開設から4年で撤退という事態に、当時の大学側として見通しの甘さなどはなかったか。
昨年4月、理事長に就任し、開設当時の理事には全員辞めてもらったが、初めから無理な計画。守山では投じた資金に見合う利益が上がらなかった。短大から4年制大学に進出しようとした時の浮かれがあったのだろう。人口規模などを考えれば、守山に行ったこと自体が間違い。撤退は、私のような新しい経営陣にしかできない。
――守山市側には問題はなかったか。
「大学を中心としたまちづくり」は本来、市を中心に行わなければならないのに、大学ばかりが努力してきた。市側もお金だけでなく、それなりの努力が必要だったはず。買い物をする店や喫茶店など、学生が住みやすいまちを作らないといけないが、結果として学生は増えなかった。市ぐるみで考えてもらわないといけない。市は非難ばかりするが、大学は4年間で学園祭や図書館を市民に開放したり、商店街にチャレンジショップを開き、各種講座を開くなど、市への貢献は非常に大きいと考えている。教授陣も市の審議会や講座に数多く派遣している。そういう貢献を一つも評価せず、批判されるのは非常に腹立たしい。また、学校法人で年2回開く評議会に、市から出ている評議員が実際に出席したのは、4年間で今年5月の1度だけ。統合を決定した評議会にも出席していない。市民の税金と言うのなら初年度からしっかり出席して、大学の動向を把握する必要があったのではないか。
――キャンパス開設時に、県と守山市から計33億6000万円の補助金が支出された。守山市からの補助金返還請求の動きへの対応は。
大学から市への貢献は33億円どころではない。施設開放や講座開催など文化活動で、もらった補助金以上の分を返していると考えている。むしろ建設費に加えて運営費の補助をもらってもいいはずで、足りないぐらいだ。補助金だけ出し、学生を集める努力も必要という認識が行政に足りなかったのではないか。
――今回の事態で損なわれた守山市との信頼関係を今後、どのように回復させるか。
私はこれまで、市に何の文句も言っていない。市が勝手に信頼関係を損ねただけの話。私から市に対しては、まだ信頼関係はあると考えている。市には極めて愛着を持っている。だからこそ今後も市の発展のため守山キャンパス跡に学園機能を残したいと考えている。
2004/08/19, 毎日新聞
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