2004年04月から
2004年05月まで
    ドキュメント びわ湖守山キャンパス移転・統合・譲渡問題 全記録(2)

 2004年04月01日

平安女学院 常務理事会 平成17年4月をもって現代文化学部の高槻キャンパスへの統合を決定


平成17年4月をもって現代文化学部を高槻キャンパスへの統合すること(本件統合)を決定。

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大津地裁判決

 

 

 2004年04月08日

平安女学院、守山市に対してキャンパス統合案を報告




 平安女学院は四月八日、守山市に対し、キャンパス統合案を報告したが、同市の奥村勲助役は「統合は承服できない。撤退ともなれば、(大学開設に際して交付した)補助金二十五億六千五百万円の返還を求める。存続させる方向で協議したい」と話している。

(京都新聞朝刊2004/05/17)




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新聞報道

 

 

 2004年04月09日

平安女学院理事長 教職員に対する移転・統合についての説明会を開催


平成16年4月9日,教職員に対する本件統合についての説明会を開催した(乙5)。

(コメント)
この説明会は,正規教授会ではなく,文字通りの単なる教職員に対する「説明会」であった。説明会では,学科の整理・統合および守山キャンパスの移転・統合についてのみ報告があり,時期については
明示されなかった。また,この説明会では文書による報告はなされず,口頭であった。

 この説明会以降,理事会の正式決定までの間,正規教授会でキャンパス移転問題が審議されることはなかった。つまり,学校教育法で定められている重要な審議機関である教授会の正式決定を踏まえず,理事会のみで移転・統合が決定され実施に移された。(大学自治の軽視)


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大津地裁判決

 

 

 2004年04月10日

京都新聞、守山キャンパスの移転・統合を報道
学生・父母が初めてその事実を知る


守山キャンパスの移転・統合は,4月10日の京都新聞の記事(甲23の1)によって,初めて学生やその保護者の知るところとなった。

以下がその報道内容

平安女学院大 守山学舎の統合を検討 2005年度以降、高槻キャンパスと 「完全撤退は考えず」

 学校法人平安女学院(山岡景一郎理事長)が、守山市三宅町の平安女学院大びわ湖守山キャンパスを、同大学高槻キャンパス(大阪府高槻市)に二〇〇五年度以降に統合する改革案を検討していることが、九日分かった。びわ湖守山キャンパスは、守山市が誘致したが、少子化などで学生の確保が難しいことなどから、案が浮上したとみられる。
 びわ湖守山キャンパスは二〇〇〇年四月、滋賀県内七番目の四年制大学として開学。現代文化学部に、現代福祉、国際コミュニケーションの二学科を設けた。
 開学当初、同キャンパスの定員を約千二百人としていたが、少子化の影響や、男女共学化の流れの中で、開学四年後の今年二月現在の学生数は約六百二十人にとどまっていた。今年三月十八日の初めての卒業式では、二百二十五人が卒業したが、四月の新入学生は百人に満たなかった。同キャンパス(約三・九ヘクタール)の用地取得費と施設建設費などは、滋賀県と同市が計約三十三億円を補助した。高槻キャンパスには、四年制の生活環境学部と短期大学部がある。
 山岡理事長は「学部の統合を含めた改革案を検討中だが、今のところ守山キャンパスから完全撤退する考えはない。来年三月までに改革案を策定したい」と話している。

「甲第23の1号証」(京都新聞朝刊2004/04/10)

以下は,このキャンパス移転・統合に関する新聞記事を知った時の原告川戸さんの陳述

大阪高裁・川戸佳代「陳述書1-3」(2005/07/21)より

 平成16年4月、私は平安女学院大学の学生として3回目の春を迎えました。就職活動までにはまだ少し時間があるから今のうちに学生生活を十分楽しんでおきたいと思っていた矢先、新聞報道(京都新聞4月10日付け)によって、私たち学生が学ぶ、びわ湖守山キャンパス(以下「守山キャンパス」と略します)が来年度から大阪府高槻市にある高槻キャンパスに統合すると報じられているのを知りました。その日の夜、私はアルバイトを終え、携帯のメールをチェックしました。「学校が統合するみたいやで!」と書かれたメールが大学の友人から届いていました。私は、何の事か全く意味が解らなかったのでその友人に電話をかけ、「統合って何?」と尋ねました。友人も新聞に書いてある「統合」という意味がよくわからないみたいでした。「統合って何なんだろう。合併の事なのか…」。その頃、企業や球団の合併の話がよく報道されていました。その日、私はいろいろと考えてなかなか寝付けませんでした。しかし、「統合」とはどういうことを意味するのか全くわかりませんでした。


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 大津地裁判決
 「甲第23の1号証」
 
大阪高裁・陳述書(2005/07/21)

 

 2004年04月12日

平安女学院理事長、1枚の文書を学生に配布


4月12日,平安女学院理事長と学長は、4月10日付京都新聞の報道について,1枚の文書を学生に配布した。以下がその文書。

2004年4月12日

学生の皆さんへ

学校法人 平安女学院
 理事長・院長 山岡景一郎
 学長 高田 宏 

キャンパス「統合」に関する新聞報道について 

 去る4月10日に、標記に関する記事が京都新聞朝刊に掲載され、大変驚きを与えたことと心よりお詫びいたします。
 この記事に関する学院の見解は次の通りです。
 当該新聞の記事内容は、本学院の「検討中の事項」であり正式発表を待たずして記事となったものであります。学院としては「統合」案がまとまり次第、学生の皆さんならびに各方面に「統合」の全体像を説明し、ご理解とご協力をお願いすることが大切だと考えておりましたが、このようなかたちで記事になりましたことは、不本意であり、また非常に遺憾であります。
 この新聞報道につきまして、現時点での考え方を下記に示すとともに、皆さんのご理解をいただきますようお願いいたします。

1、統合の目指すもの
 びわ湖守山キャンパスを高槻キャンパスに統合する目的は、教育の総合化、施設設備の効率的な活用により、充実した教育プログラムを核とした教学の充実と、学生サービスの一層の向上をはかることです。
(1)3学部5学科をひとつのキャンパスに統合することにより、これまで2キャンパスで実施していた、3学科の専門科目の相互履修が可能となり、一人ひとりの本来の専門に加え、興味のある領域を副専攻として選択でき、学びの巾が拡充できます。
(2)教職員を一つのキャンパスに統合することにより、より広範なサービスを提供することが可能となります。
(3)教育情報の一元管理により教育研究体制の充実と学生への指導体制の向上がはかれます。
(4)図書館や食堂をより一層充実させることができます。
(5)キャンパスで学ぶ学生が多くなり、クラブ活動、学園祭など学生の課外活動の活性化がはかれます。
(6)学生寮等の福祉厚生施設の利用が全学科で可能となります。

2、統合に向けての今後の対応事項
(1)キャンパス統合により不利益を生ずる可能性がある下宿生、車椅子通学生、遠距離通学生などについては、その対策を十分に検討します。
(2)就職求人開拓エリアを拡大し、さらなる強化と充実をはかります。
(3)「統合」について学生の皆さんの理解が得られるように説明会を開催する予定です。

以上

以下は,この問題に関する原告川戸さんの陳述書

大阪高裁・川戸佳代「陳述書1-3」(2005/07/21)より

私は、新聞記事と学院から配布された文書を見比べてみました。すると、不可解な点がいくつか出てきました。なぜ、理事長は「学部の統合を含めた改革案を検討中だが、今のところ守山キャンパスから完全撤退する考えはない。来年三月までに改革案を策定したい」と新聞でコメントしたにも関わらず、「不本意であり、また非常に遺憾であります。」と書いているのでしょうか。私はこのとき、大学に対して不信感を抱きました。理事長は、文書のなかで「検討中の事項で正式発表を待たずして記事となったものであります。」と述べています。しかし、「学生や保護者に説明するのが大切」と言うのならば、なぜ理事長は新聞記事においてコメントをしたのでしょうか。そのような場合は、ノーコメントとするのが普通ではないのでしょうか。さらに、新聞で報道されなかったなら、理事長は文書で述べているような正式発表をいつどこで行うつもりだったのでしょうか。新聞記事の理事長のコメントは、正式発表を意味しているのではないでしょうか。



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大阪高裁・陳述書(2005/07/21)より

 

 

 2004年04月12日

守山市長、守山キャンパスの移転について大学に「再考するよう要請」した旨明らかにする


山田亘宏守山市長は,4月12日,「考え直すよう大学側に要請した」と統合案の再考を求めていたことを明らかにした。

守山キャンパスを、二〇〇五年度以降に同大高槻キャンパス(大阪府高槻市)に統合する大学改革案を検討していることについて、守山市の山田亘宏市長は十二日、「考え直すよう大学側に要請した」と統合案の再考を求めていたことを明らかにした。
 山田市長は同日、「今月上旬に山岡理事長から統合案検討について説明があった」と述べ、びわ湖守山キャンパスの学生数が定員割れを続けていることについて「大学が教育サービス事業であることを認識してもらいたい。何かでミスマッチが起こっているのではないか」と話した。

(京都新聞朝刊2004/04/12)



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 2004年04月19日

平安女学院 定例理事会 平成17年4月をもって現代文化学部の高槻キャンパスへの統合を決定


4月19日の定例理事会は,平成17年4月をもって現代文化学部を高槻キャンパスへの統合することを決定した。

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 2004年05月16日

平安女学院、保護者説明会を開催


平安女学院理事会は,守山キャンパスの移転・統合に関して,保護者説明会を開催した。以下の新聞記事にあるように,大半の保護者は,キャンパスの存続,あるいは卒業までの統合は了解できない旨を要請した。

 平安女学院大びわ湖守山キャンパス(守山市三宅町)を高槻キャンパス(大阪府高槻市)に統合することを決めた学校法人平安女学院(山岡景一郎理事長)は十六日、守山キャンパスで保護者説明会を開いた。出席した保護者らによると、統合に疑問の声が相次ぎ、大半の保護者が守山キャンパス存続を要請した、という。

 平安女学院によると、説明会には保護者約百人が出席。大学側から現代文化学部長の竹内一夫常務理事が▽統合することで大学生の専門科目の相互履修が可能▽教職員統合で広範なサービスが提供できる▽教育体制の充実と大学生への指導体制が向上する−などと説明し、キャンパス統合に理解を求めた。

 一方、守山キャンパスに通う大学生の約六割が滋賀県出身者であることから、保護者からは、通学費や通学時間が増えたり、車いす利用者への対応などの質問が相次ぎ、大学側は「学生の不利益にならないよう、個別に対応したい」と回答した、という。
 ある保護者は「卒業するまで、統合は了解できない。学生の問題が後回しとなっており、もっと情報公開してほしい」と話していた。

 平安女学院は四月八日、守山市に対し、キャンパス統合案を報告したが、同市の奥村勲助役は「統合は承服できない。撤退ともなれば、(大学開設に際して交付した)補助金二十五億六千五百万円の返還を求める。存続させる方向で協議したい」と話している。

(京都新聞朝刊2004/05/17)



 守山市三宅町の平安女学院大びわ湖守山キャンパスで十六日、「キャンパス統合・学部学科再編に関する保護者説明会」が開かれ、大学側は参加した約百人の保護者に事情を説明した。
 大学側は、同キャンパスが二〇〇五年四月から、大阪府高槻市の高槻キャンパスに統合され、現行の現代文化学部が人間社会学部に変更されると説明。集まった保護者からは不安の声が上がり、「何とか守山に残ってほしい」「学生の不利益にならないか」など多くの質問が出された。……

(中日新聞2004/05/17)



…… 説明会は非公開で行われ、同大を運営する平安女学院(本部・京都市)の山岡景一郎理事長らが出席。大学側は理事会の決定として、05年春に守山キャンパスの現代文化学部を高槻キャンパスに移転し、人間社会学部と改称する予定などを説明。移転の理由として、県内では学生確保が難しい▽統合により大学に活気が出る▽学部間の交流も幅広く行える――などを挙げた。
 一方、保護者からは「守山で続けられないか」など、統合の見合わせを求める意見や、交通などでの不利益の補償などを求める意見や質問が相次ぎ、説明会は約4時間に及んだ。同大では改めて保護者向けの説明会を開催するとともに、17日から学生向けにも説明会を行うとしている。
 統合後の守山キャンパスについて山岡理事長は取材に対し「守山から学生がいなくなるようなことにはならない計画を考えている」と話している。……

(毎日新聞2004/05/17)




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 2004年05月18日

平安女学院理事会、守山キャンパスに学ぶ学生に対する説明会を初めて開催


平安女学院理事会、5月18日〜21日にかけて,学生に対する説明会を開催した。正式な学生への説明会はこれが最初であった。

この説明会は理事会が決定した後の単なる事後報告であった。しかもそれは演習の時間にゼミ担当教員が行ったもので,理事による責任ある説明ではなかった。

下の手記は,5月18日に開催された現代文化学部国際コミュニケーション学科での説明会の出来事。

大阪高裁・陳述書(2005/07/21)より

新聞報道から1ヶ月以上も経って、ようやく学生に対する説明会が開かれました。説明会は各学科一度ずつ(一人一回出席)で、説明は教員によるものでした。5月18日に私が在籍する国際コミュニケーション学科3回生全員に対する説明会が授業時間中(演習Tの時間)に行われました。そこで、私たち学生は先生(私のゼミ担当の教員である○○教授)から「統合は決定です」と説明されました。その理由の一つとして少子化が挙げられていました。そして、守山キャンパスを維持していくのには多額のお金が必要であるので、まだ学校に体力があるうちに統合しないと手遅れになるという説明もありました。この説明会の間、学生からは説明になっていないという声が多く聞かれました。

○○教授の説明が終わり、司会役の○○教授から「要望は理事に届けます」という説明がありました。私は一番始めに「白紙撤回してください」と言いました。すると、○○教授は「学校で決めたことなので無理です」などと言いました。その○○教授の回答に涙を流す学生がいました。要望は理事に届けると言いながら、統合の白紙撤回は無理だと一方的にいう対応ではこのような状況になっても無理はないと私は思いました。その後の質疑応答でも、統合に賛成するといった声はひとつも聞かれませんでした。説明会において、学生はその一方的な統合決定報告にただ唖然となるばかりでした。そのため、「それは無いわ」、「ムカツク」、「ひどすぎるにも限度があるわ」という声も聞かれました。
学生からはさまざまな意見がでました。「先生ではなく、理事がちゃんと出てきて説明すべきだ」、「少子化というのはすでにわかっていたことではないのか」、「高槻の学生が守山にくることはできないのか」、「私たちが卒業するまで統合しないで欲しい」などです。

この説明会を学院側は「説明会」としています。しかし、私たち学生にとってみればそれは統合決定の通知であり、事後報告でした。私の「白紙撤回してください」という発言に対して、○○教授は「できません」ときっぱりと言っているからです。「皆さんに理解していただきたい」という教授の声に、私が「(理解する事は)無理だ」とつぶやくと、教授は「無理だと言う声もありますが、これは学校の方針なので理解して頂きたいと思います」と言いました。「説明会」は授業時間(80分)を使って行われましたので、授業時間終了の時刻には打ち切られました。

この「説明会」の後、絶望的という三文字が頭から離れませんでした。「説明会」の後、書記をしていた教員の所へ、こんなことも要望として書いてほしいと言いに行きました。しかし、本当に書いてくれるのか不安でしたので、私は「統合を白紙撤回してください」、「全理事から謝罪と説明をしてください」、「理事長から詳しく話を直接聞きたいので説明会をして下さい」などの要望を先生のノートに自ら書き込みました。しかし、説明会で出された学生からの要望や意見に対する回答はその後一切返ってきませんでした。
書記をしていた先生が行ってしまってからも私のように納得の出来ない学生が十数人教室に残りました。「何でやねん!ほんま勝手すぎるわ。めっちゃ腹立つ」等と学生は口々に文句を言いました。そうしていると、泣いている学生が私たちのところに来ました。その学生は「こんなことになるなら短大に行けば良かった」。「もう学校やめて就職したい」と泣きじゃくっていました。その時に学院広報誌を持っている学生がいて、学院広報誌からは「守山キャンパス」の名が削除され、編入・転入学のパンフレットには守山キャンパスの名前の所に作為的にシールが貼られている事がわかりました。その学院広報誌に書かれていたのはほとんどが守山キャンパスのことでした。表紙を飾るのも守山キャンパスの学生でした。集まった学生からは「守山ばっかり載ってるのにもう名前が書いてないやん」、「もう私たちはここに存在してないということや」、「わざと消してるやろ」、「何考えとんねん」、「許せへんわ」という声が聞かれました。「うちはここにいるのに何で書いてないん、ヒドイわ」と言って泣く学生もいました。私はその学生が泣いているのを見て悔しさがこみ上げてきました。なぜ、学生が涙を流さなくてはならないのでしょうか。これはあまりにも勝手な決定です。1年前に就任した理事長は、教育のことをよく知らない人であると聞いたことを私は思い出しました。理事長は学生の事をまったく考えていないと思いました。こんな事態を引き起こした学院関係者に対して本当に怒りがこみあげてきました。



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大阪高裁・陳述書(2005/07/21)より

 

 

 2004年05月18日

学生ら、守山キャンパス存続に向けた署名活動を開始


5月18日,学生への説明会が開催された当日から,移転・統合に反対する学生たちによって,キャンパス存続のための署名活動は開始された。

以下の文書は,そのいきさつと署名活動の様子を陳述したもの。

大阪高裁・陳述書(2005/07/21)より

「説明会」の後、教室に残った学生は、守山キャンパスの存続に向けて何かやってみようと話しました。そこで思いついたのが署名活動でした。しかし、やり方が全く分かりませんでした。私は署名というものがどういうものなのかさえ知りませんでした。何もかもが初体験でした。とりあえず、やってみない事には始まらないから署名用紙を作ってみようと、すぐにパソコンを開きました。そして、何となく出来上がった署名用紙を持って学校中に残っている学生から署名を集めました。学生の間ですぐに署名用紙は回されました。在籍者数が少ないため顔見知りが多く、署名を回収するのは簡単なはずでしたが、とにかく初めての事で難しく感じました。私たち学生は、その日のうちに街頭に出て守山市民に守山キャンパスの存続を求める署名を集めました。守山駅の改札前でできないかと思って友達がJRの駅員さんに話をしに行きましたがだめでした。しかし、駅の区域以外だったらいいよと言ってもらえたので駅のロータリーで夕方6時から署名を始めました。これが署名活動の始まりです。

駅に入って行くに人に声をかけても「忙しい」と断られました。私たちは冷たい声にとても傷つきました。しかし、何度も勇気を出して声をかけ続けました。不審な何者かが分からない署名を集めていると思われているなと感じました。多くの人が話を聞いてくれずに「すいません」と言って素通りしていきます。私たちはどう説明したらいいかもわかりませんでした。署名をお願いする自分たちでさえ学校で先生から統合を聞かされたばかりで、自分たちでもまだ事情をよく理解できていない状況でした。

そのなかで、私たちの前を一度通り過ぎたのに引き返して話を聞きに来てくれたサラリーマン風の人がいました。その人は「どうしたんや」と声をかけてきてくれました。私が説明すると「ああ、そうか、新聞に載ってたヤツか」と言って快く署名してくれました。私は熱心に話を聞いて心配してくれるその人の態度が嬉しくて泣いてしまいました。その人は次の日も署名活動をしている私たちに「ガンバリヤ」と声をかけに来てくれました。とても優しい中年の女性もいました。私が、しどろもどろ署名の説明をすると、「そうか、そんな事があったんか。かわいそうやから娘の名前も書いといたげよ」と言ってくれました。その人の言葉がとても嬉しかったです。買い物袋を持ったその人は、おそらく夕飯の支度で忙しいのに話を聞いてくれたんだと思います。やっと解ってくれる人がいました。その人が優しくしてくれた嬉しさと学校への悔しさとでまた涙があふれました。それを見たその人は、「もう、家族の分も全部書いといたげよ」と言って署名してくれました。本当に嬉しかったです。「ありがとうございます」と言うと、おばちゃんは「うち4人しかいいひんねん。もっと多かったら良かったのにな」と言ってくれました。私は「いえ、結構です。ありがとうございます」と言いました。泣いていたのは、私だけではありませんでした。一緒に署名をしていた友人も泣いていました。「何か分らんけど、泣いてしまった」と友人は言っていました。私たちは「ガンバロウ」とお互いに励まし合いました。「すいません」と声をかけると耳が聞こえない人がいました。署名用紙を見せると、その人は「O.K」と手で合図して署名してくれました。嬉しかったです。少しずつ自信が持てるようになりました。私たちは署名活動を始めると食事を摂ることも忘れていました。市民の応援が私たちの大きな力となりました。

守山キャンパスには私が所属する現代文化学部国際コミュニケーション学科の他に現代福祉学科があります。私たち国際コミュニケーション学科の学生への統合「説明会」より数日遅れて福祉学科の学生に対する「説明会」が行われました。その時、私たちは教室の外から説明会の様子をのぞき見していました。教室の中の声は聞こえないけど、深刻そうな学生の表情が見受けられました。教員が退室した後、すぐに教室に入り、署名に協力してほしいと頼みました。署名用紙を自由に持っていって、と言うと30枚ほどあった署名用紙がすぐに無くなり、「もっとないですか」と言われました。そのなかに、私たちの署名活動に関心を示してくれた学生がいました。……

私たちは、街頭での署名活動の他に、署名用紙をおいてもらうために、公民館、幼稚園、小学校、デイサービスセンター、市役所、教育委員会、交流センター、銀行、自治会長さん宅などにみんなで手分けして頼みに行ったりしました。授業と署名活動で忙しい毎日のなか、私たちは授業が終わってから毎回、校内の電気を消して回りました。経営困難と説明されたのに誰もいない部屋の電気とエアコンがついていました。これをみて、統合はどうにかならないのかと思ったりしました。「経営が厳しいなら、みんなで協力して掃除しよう。小中高と自分たちで教室の掃除をしていたんだから、できるやろ」。それは、少しでも守山キャンパスの維持費を賄いたいと思ったからです。

私たちは、統合を何とか食い止めたいとの思いから、そして守山市長に渡す署名を1万人集めたかったので、その後一ヶ月間、毎日授業後、夕方から9時ごろまで食事もせず署名を集めるためにスーパーの前に立ちました。クラブ帰りの女子高生が来て「えーッ!無くなるんですか、私の友達も来年入ろうと言っていたんですけど」と言ったので、私は「来年、平女(平安女学院大学)に入ってください。お昼ランチやっているんで(キャンパス内のカフェテリアでは市民も食事ができる)、来てください」と答えました。女の子を連れたおかあさんが「ウッソー!潰れるの?この子が大きくなったらあそこに入れようと思っていたのに」と話しました。その時、守山市に平安女学院大学が確かに根付いていることを感じました。私たちが署名活動を行っているスーパーの前に、わざわざ署名をしに来てくれた人が居ました。その人は「やってるって聞いたから」と言ってくれました。すごく嬉しかったです。その人は「頑張ってください」と言ってくれました。署名活動の疲れとともに大学に対する怒りが改めてこみ上げてくるなか、守山市民の温かさがとても嬉しく感じられました。私たちはこの署名を通じて、守山市民の人々との距離がさらに近くなったような気がしました。



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大阪高裁・陳述書(2005/07/21)より

 

 

 
 2004年05月21日

平安女学院大学守山キャンパスの存続を守ろうの会、発足



大阪高裁・陳述書(2005/07/21)より

5月21日、署名活動をやっているとき、誰かが「そうだ議員に頼んでみよう」と言い出しました。みんなで車に乗って、議員がいそうな場所を探しました。立て看板見て電話番号が書いてないかと探しました。今思うとインターネットにいくらでもでているのになぜそんなことをしたのだろうと思います。でもその時は、とにかく体を使って動かないと、という焦りが学生のなかにありました。学生の一人が「公民館にたまにいはるで」といいました。そこで私たちは公民館を探しました。そして、小津公民館に行き、係りの女の人に話をきいてもらいました。

そこには、たまたま3人の議員(市議)が来ていました。「誰がいい?」と係りの人に言われましたが、誰がいいかなんてわかりませんでした。「誰でもいいです」と言うと、係りの人は女の人のほうが相談しやすいでしょう、と言って女性の議員の方を紹介してくださいました。紹介されたその議員の人は、事務所が守山キャンパスの前にある方でした。学生の一人がその議員の人が学校の行事であるボランティア活動に参加した事があることを知っていました。市会議員という立場の人が私たちのキャンパスに関わりを持ち、ボランティア活動を共にする機会があったことが嬉しく、守山市民を代表する方をとても身近に感じることができました。

私たちは「平安女学院大学守山キャンパスの存続を守ろうの会」(以下、「守ろうの会」)として立ち上がりました。私たちは、募金活動を一切行いませんでした。なぜなら、守山市民は大学誘致などに補助金として多額の税金を払っているからです。

統合の「説明会」の後、私は学校に対しての愛着が薄れました。学院から入学時に何の説明もなく勝手に統合を決められたこと、署名活動の事を学院側に通告した職員の裏切り行為や教員の無責任な対応などによって徐々に学校に行くことが嫌になってきました。悔しい思いで一杯でした。学校をやめたいとも思いました。しかし、どうして私が学校をやめなければならないのかと考えました。ここで諦めて黙ってこのまま高槻キャンパスに通うなんて事はできないと思いました。本当に悔しかったです。一緒に署名活動をした学生と、「なぜ学校はそんなに統合を強行するのか」と話し合いました。私はその後、この悔しさを署名活動にぶつけようと思いました。

私たちは大きなストレスを抱えてでも活動を続けていました。先が見えない現実がとても辛かったです。そんな中、学校では学生サービス委員の教員が「統合は決まりました」と繰り返し何度も学生に報告しました。他の教員は「しょうがない」とか「どうしようもない」等といった言葉を私たちの目の前で言っていました。私たちにとって、その言葉は抑圧的なものでした。悔しい思いをしました。「あんたらは、よう頑張ってるよ。」そんな言葉を私たちに笑顔で言っていた教員が大声で「決定です」と言います。学生の気持ちを一番良く知っているはずの教員が、「先生にも立場がある」と言っています。このようななか、「守ろうの会」のメンバーの一人はストレスから胃潰瘍になりました。その学生から、守山市長に署名提出する数日前、自分は署名提出に行けないという連絡が私に入りました。親から「体を壊すぐらいなら」と責められたらしいです。残りのメンバーはそれでも一生懸命に署名を集めました。街では、「頑張って下さい」と励まされる事が多く、それがとても嬉しく、励みになりました。しかし、署名活動と一言で言っても簡単にできるものではありませんでした。



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大阪高裁・陳述書(2005/07/21)より

 

 

 

 2004年05月19日

守山市長、定例会見 山岡理事長と面談したことを発表

 「守山キャンパスを現状のままで残す努力をすべきだ。大学側とわれわれとの間で意思疎通を欠いていると申し入れ



……山田市長は同日の定例記者会見で、今月十九日に山岡理事長と面談した内容について説明し「守山キャンパスを現状のままで残す努力をすべきだ。大学側とわれわれとの間で意思疎通を欠いている状態では、市民に説明すらできない。互いに協議しながら進めてほしい」と申し入れたという。
 また学生や保護者から、キャンパス存続を求める意見が市に寄せられていることから「市としても、キャンパス存続のために全力をあげる」と述べた。
 びわ湖守山キャンパス開学の際、市が多額の補助金を交付した経緯もあり、山田市長は「望んではいないが、キャンパス存続ができない場合、補助金を返してもらうことになる。今後は実務者レベルで協議を進めたい」と話した。
……

(京都新聞朝刊2004/05/27)



……市長は「守山にとどまってほしい」との訴えが学生や保護者から市に約十件あり、一部学生が統合見直しを求める署名活動を始めたことも踏まえ▽もう一度、今の大学のままで残す努力をしてほしい▽これまで、県も含め大学と市との意思疎通がなかった。今後は密に協議したい−の二点を申し入れた。
……

(中日新聞2004/05/27)



…… 山田市長によると、19日に京都府内に山岡理事長を訪ね、約1時間、話し合った。理事長は、びわ湖守山キャンパス(守山市三宅町)にある現代文化学部を高槻キャンパス(大阪府高槻市)に統合する意向を変えなかったが、「補助金を出している県や市と、もっと綿密な意思疎通を」と市長が話すと、「分かった」と答えたという。このトップ会談を受け、大学と市の事務担当者間で、今後のキャンパス運営に関する協議が始まった。
 市には、平安女学院大の学生や保護者から「学部を移させないでほしい」との要望や相談が数件寄せられている。
……

(朝日新聞2004/05/27)



…… 山田市長は改めて守山キャンパス存続などを求めたが、議論は平行線だったとしている。
 山田市長によると、京都市内で約1時間会談し、キャンパス存続と、重要決定を行う際の事前協議などを求めたが、山岡理事長から明確な回答はなかったという。山田市長は「学園機能を残すという大学側の対応を見極めたいが、場合によっては補助金の返還を求めていくこともあり得る」と話した。
……

(毎日新聞2004/05/28)


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新聞報道

 

 

 2004年05月25日

守ろうの会、学生会に「学生総会の依頼」を要望

学生総会は開かれず


守ろうの会は,5月25日に,学生会に対して「学生総会」の開催の要望を出した。しかし,学生会はそれを受け入れなかった。

大阪高裁・陳述書(2005/07/21)より

教員による学生への説明会の後、私たちは学生会に対して、学生会規則に基づく学生総会を開いてほしい、と5月25日に「学生総会の依頼」という要望を出しました。しかし、副会長からは、「就職活動や教育実習で忙しいから」、また、会長が教育実習に行っていて開けない、という返事が返ってきました。

さらに、「総会をやる方向で考えていたのですが、このままの内容で総会をすると存続の会自体にメリットがないと思います。なのでまず今の段階から内容を具体的に提示することが必要なのではないでしょうか?今の状態ではこちらとしても良い答えは返せないと思います。それと学生会として質問ですが、以前あった説明会の内容を存続の会自体はすべて理解しているのでしょうか?理解していることが存続の会の活動を進めていく上で基本になると私たちは思います。学生会」と回答してきました。

この副会長は、「守ろうの会」が署名活動をしていることに対して批判的であり、「そんなことして学校全体が潰れたらどうするの」と私たちに言ったりしました。そのため、私は、副会長に対して、統合をどのように思っているのかと尋ねたところ、「うちら行かへんし、関係ないと言えば関係ないし」と言われました。私は、この言葉を聞いて、自分たちは来年度はすでに卒業してしまっているので無責任なことが言えるのかと腹立たしく思いました。結局、学生総会は開かれないままでした。

平安女学院大学の場合、「学生会」と言っても、部活動を行っていない学生にとってみれば、学生会としての活動は皆無であり、何かの行事に参加をしなければ年間6000円を捨てているようなものです。学生会は、学生が授業料と同時に納めなければならない年間6000円の学生会費が資金です。つまり、学生会は学生の代表ではありません。それは、選挙で選ばれているのではないからです。




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この事実に関する資料

大阪高裁・陳述書(2005/07/21)より

 

 

 2004年05月27日

平安女学院 法人評議員会 平成17年4月をもって現代文化学部の高槻キャンパスへの統合を決定


5月27日に開催された法人評議員会は,平成17年4月をもって現代文化学部を高槻キャンパスへの統合することを決定した。

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大津地裁判決

 

 

 2004年05月31日

守ろうの会、守山市長と会談



大阪高裁・陳述書(2005/07/21)より

 小津公民館で紹介された市議から「一度市長に会ってみはったらどう?」と言われました。私は学生が市長と本当に会えるのかと思っていましたが、3日ぐらいしてから会えるという電話がありました。さらに、また電話があり、「市長さんがもっと早くみんなに会いたいって言ってはるから、もうちょっとはよなっても大丈夫?」と言われ、5月31日に市長にお会いすることになりました。当日、学生6人で市役所へ行きました。
私たちは、いよいよ市長に会えると思って大変緊張しました。応接室に通されて、どこに座ったらいいかもわかりませんでした。秘書の人がお茶を運んできてくれました。もし溢すといけないと思い、手をつけられませんでした。

市長が応接室に入ってきて、「こんにちは。みなさん学生ですか。何回生?お住まいは?」と聞かれたので一人ずつ自己紹介をしました。学生の一人が「大阪から来ています」というと、「はは、遠いところからですね」、また、「車椅子の子がいるって聞いたよ?」と市長は言いました。私は、学院側の統合の説明会が一方的であることや経営努力していないことなどについて話しました。すると、「そうですねー」と言う市長からは、つぎのような言葉が続きました。「これから発展していくために道とかつくった」、「新聞などで出ているようなお金の問題はやむを得ない場合のことで」、「守山市に対しての理事長のやり方は学生に対するやり方と同じですよ。文書とか出さんと、「あの時言うたやん」ってこういうやり方なんですよ」、「市民の人たちも存続をのぞんでいる」。

私は、市長に対して、「キャンパスのチャペルで結婚式をしたらいいんですよ。一般市民に開放したらいいんですよ。どっかの企業入れて少し安くしてやったらどうでしょう」などというと、市長は「ホー、結婚式ができるんですか」と言って笑っていました。市長も私たち学生も共に、学院側が経営努力を怠っていることを共感しあいました。そして、最後に、「守山市も一方的にやられてる。今の中身で、あの場所で平女が発展していくことを祈ってます」とおっしゃいました。そのとき、書記をしていた人(私たちはその人を秘書だと思っていました)のことを、市長が「私よりこの人ほうが詳しいんですよ。平安を建てるときにこの人が一番頑張ったんですよ」といってその人を紹介しました。その人とは政策監でした。その政策監は「また電話して」といって名刺をくれました。そして、「今日、市長が話したことは、皆さんと気持ちが一緒だっていう事で。そういうことで」と2度も確認をしました。市長との会談はちょうど1時間でした。




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大阪高裁・陳述書(2005/07/21)より

 

 

 

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