教授会・大学評議会決議の欠如について

 
仮処分申請書(2002年4月5日)より抜粋

7 適正手続き違背について

 大学においては、憲法上、学問の事由が保障されていることから、とりわけ大学の自治が尊重される。大学 の自治を守るためには、研究者の身分保障が重要である。そのようなことから、教授、研究者に対する懲戒処 分の場合、学校教育法の趣旨により最も重要な自治機関である教授会の議を得ることが必要であり、殊に懲 戒解雇のような処分の場合には上記教授会の議決が必要とされており、これを欠く場合には、大学の自治を定 めた憲法の趣旨に反するものとして処分が違法になる。(前橋地裁、昭63.3.11判、労働判例514号6頁)。 本件処分については、教授会の承認は一切ない。したがって、本件は処分に必要な適正手続きが全くなされて おらず、この点からも違法である。

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 
三教授側準備書面(2002年5月20日)より抜粋

第2 懲戒解雇の違法性

三.教授会の決議について

(1)学問の自由が保障されている大学では、教授会が大学の自治における最も重要な機関である。学問を担う 教授、助教授を懲戒するには教授会の決議が必要であり、とりわけ懲戒解雇のような重大な処分をする場合に は教授会の議決がなされなければならない。それによって、はじめて大学の自治が守られるからである。
 大学は真理を求め、学術の中心として広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授、研究する場である (学校教育法52条)。そして、大学には、学長、教授、助教授、助手等をおかねばならない。また、大学には教 授会をおかねばならず、教授会は重要な事項を審議することになっている(同法58、59条)。大学は自由な研 究、教育の場であるから、大学の教員の身分は当然に保障されていなければならず、そうでないと自由聞達な 学問の探究はできない。教育公務員特例法も「国公立大学における教員は大学管理機関の審査の結果による のでなければ、その意思に反して免職されることはない」と定められており、これは私学にも類推されるベきも のである。
 大学の自治について判例は次のように述べている。「大学における学問の自由を保障するために、伝統的に 大学の自治が認められている。その自治は特に教授、研究者の人事に関して認められる。それは、『学問の自 由と自治は大学が深く真理を探究し、専門の学芸を教授、研究することを本質とする』ことに基づくから、直接に は教授、その他の研究者の研究、その結果の発表、研究結果の教授と自由とこれらを保障するための自治と を意味する」(最高裁8.38.5.22判時335号5頁)。
 このように、大学の学問の中心を担う教授、助教授の身分の得喪が、きわめて重要な事項であることは疑い ない事実である。
 本件においては3人もの教授を懲戒解雇に付するものであるから、学校教育法59条により重要な事項として 当然教授会で審議されなければならない。
 (2)被申請人自身、学則において「日本国憲法及び教育基本法の精神に則り・・・専門的学術機能を教育研 究し・・・」と定め(第1条)、寄附行為には「学校教育法に従い、学校教育を行うことを目的とする」と規定している (学校法人津曲学園寄附行為第3条)。更に、人事については、就業規則において「この規則は、学校法人津曲 学園寄附行為並びに労働基準法及び関係法会の精神に則り・・・」と定めている。このように、被申請人自身、 憲法、教育基本法はもとより学校教育法、労働法を遵守すべき旨規定しており、被申請人はこれらの規定を遵 守し、学校教育法59条の規定により、本件懲戒解雇について重要事項として教授会の審議を経た上、処分をし なければならなかったものである。本件は明らかに適正手続きに反している。
 (3)このことについて、被申請人は、自己が総合大学であり、教員の任免に関する条項の定めはなく、就業規 則6条が「職員の任免、その他人事に関する事項は理事長がこれを行う」とあるのみであるから、教授会の承 認がないことを理由とする本件処分の違法性の主張には理由がないと述べている。
 しかしながら、就業規則6条は理事長の専断によって懲戒解雇ができると規定しているものではない。同規則 は、一定の手続きの下に、最終的には理事長が任免するという趣旨であり、このことは前記被申請人の寄附行 為、学則等により明らかである。
 また、被申請人は、人事院に対する国立大学教官の不利益処分の審査請求の事案に閲し、「国立大学教官 の懲戒処分が評議会の審査のみによりなされ、所属学部の教授会の議決がなくても違法ではない」との人事院 決定を例に挙げている。同記述の懲戒がどの程度のものであったのか、懲戒の理由がどのようなものであった か不明であるから、これは必ずしも参考にはならないが、例え教授会の審査が必要でないとしても、教授会が 選任する評議会の審査がなされており、本件とは異なるものである。
 本件では、重大な処分でありながら評議会の審査すらなかったのである。本件のように3人もの教授を懲戒解 雇することは、きわめて重大な事項であることについてはおそらく異論はあるまい。したがって、本件処分には 教授会の審査が必要であり、この重要な手続を経ていない本件では、適正手続きに反する重大な違法が存在 することは明らかである。

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 
三教授側準備書面(2002年6月3日)より抜粋

二.懲戒解雇における教授会の審議の必要性

1 本件処分については、教授会の審議が必要であり、これを欠く本件懲戒解雇は効力がないことについては 既に述べたが、その理由を若干付加する。
 学校教育法第59条1項は「大学には重要な事項を審議するために教授会を置かなければならない」とされて いることについては既に述べた通りである。上記「重要な事項」には、大学の歴史的沿革及び「大学の自治」の 条項から少なくとも次のような事項が含まれると解されている。すなわち、(イ)学科課程に関すること、(ロ)学生 の入学試験及び卒業に関すること、(ハ)学位、称号に関すること、(ニ)教員の任免、その他人事に関するこ と、(ホ)学部内の規制に関すること、(へ)その他学長が諮問した事項である。上記諸権限のうち、(ニ)及び (ホ)は「大学の自治」の核心をなすものであることから、教特法によって具体的に法定、保障されている。教員 及び学部長の転任、降任及び免職、懲戒などの処分はいずれも人事に関する「重要な事項」であり、且つ不利 益的処分であるから、採用、昇任の如き利益的処分の場合より一層慎重な制度と手続きを必要とする。したが って、教員及び学部長に対する処分の「審査」はいずれも条理上、教授会が処分決定機関であることを黙示的 に前提としていることに注意を要するとされている(有倉遼吉編、新版教育法別冊法学セミナーNα33、基本法 コンメンタール)。
 なお、この点に関し、芦部信喜「憲法」(岩波書店)は大要次のように説明している。「学問研究は・‥自由な立 場で」行わなければならない。「学問の自由の実質的裏付けとしては、‥・研究者に職務上の独立を認め、その 身分を保障すること」が必要である。また、その「制度的保障」としては「大学の自治」が必要である。「大学にお ける研究教育の自由を十分に保障するためには、大学の内部行政に関しては大学の自主的な決定に任せる」 べきなのである。「大学の自治の内容として特に重要なものは・・・人事の自治」である。「学長・教授その他の研 究者の人事は、大学の自主的判断に基づいてなされなければならない」(同書134〜137頁)。

2 学則違背について
 仮に、本件懲戒解雇について教授会の審議が必要でないとしても、被申請人は自らの学則に違反しており、 いずれにしても手続上の違法があるものである。すなわち、学則によると被申請人に大学評議会が設置される ことになっている(同39条、乙第32号証の1)。同評議会は「教員の人事に関する事項」を協議すると定められて いる(同40条)。懲戒解雇のような重要な事項については教授会の審議が必要であると解すべきであるから、上 記「教員の人事に関する事項」の中に通常解雇や懲戒解雇のような重要な事実は含まれないと解するべきであ るが、仮に懲戒解雇について教授会の議決が必要でないとしても、同学則によって、少なくとも被申請人が上記 教員の人事に関する事項として懲戒解雇について評議会で協議する必要があると考えられる。しかし、本件に おいて、被申請人は申請人らの懲戒解雇については上記評議会で何ら審議していない。被申請人は、形式を 整えるために評議会のもとに調査委員会を設けているが、評議会では調査委員会の報告を聞いたにすぎない (乙第26、27号証)。
 したがって、評議会が協議事項として何ら審議をしていないのである。本件は、どのように考えても教授会の 審議も学則で定めた評議会の協議すら経ていないもので、手続違背が存在することは、もはや疑う余地はな い。

 
 

 

 

 

 

 

 
三教授側準備書面(2002年7月25日)より抜粋

二.適正手続違背

2 教授会の審議を欠いた違法


(1) 大学における教員の身分保障は憲法上の要請に基づくものである。これ は国立大学だけではなく、私立大 学においても同様である。このことに関し、多くの判決は「学問の自由を定めた憲法23条の趣旨からすると、私 立大学の場合であっても、教員の解雇は学校教育法59条1項にいう重要事項と解すべきであり、解雇につい て教授会の審議を経るべきものというべきである」とし、教授会の審議を経ていない解雇は無効であると判示し ている。
(2) 本件処分について、教授会の審議がなされていないことに争いはない。債権者らは本件懲戒解雇は適正手 続きを欠くものとして、その効力がない旨主張した。これに対し、債務者は甲南大学事件判決を拠り所にその 必要がない旨主張するので、以下その必要性について詳述する。
(3) 問題の所在
@ 学校教育法59条1項は、「大学には重要な事項を審議するため、教授会を置かねばならない」と規定して いる。「重要な事項」について、教育公務員特例法6条では教員を降任あるいは免職する場合の手続保障が規 定されるので、私立大学の場合にも国・公立大学と同じく大学である以上、それと同様の手続が要請されるとい う見解が一般的である。特に私立大学の場合には、理事長ないし、大学の実権を持っている者が自己の都合 によって教員を処分するおそれがあるため、被処分者である当該教員に対する手続保障はきわめて重要な問 題である。
A このことにつき、債務者は、私立大学について規定がない以上、「私立大学において何が『重要な事項』とし て教授会の審議事項に該当するのかは各私立大学の独自の判断に委ねるほかはない」旨主張し、債務者の 就業規則では教員の任免は理事長が行うとされているから、懲戒解雇について教授会の審議は必要でないと 述べている。
しかしながら、「重要な事項」に教員の解雇が含まれるか否かは憲法、学校教育法、教育公務員特例法などの 各規定の趣旨・沿革などを総合的に検討して判断すべき問題であって、「規定がないから各私立大学に任せて よい」という単純な問題では決してない。
(4) 「学問の自由」の保障の意味
@ 平成14年6月3日付準備書面で若干述べたところであるが、学問の自由につき、最高裁判決(最大昭和3 8年5月22日・東大ポポロ事件)は、「学問の自由は、学問的研究の自由とその研究結果の発表の自由とを含 むものであって、同条(憲法23条)が学問の自由を保障すると規定したのは、一面において、広くすべての国民 に対してそれらの自由を保障するとともに、他面において大学が学術の中心として深く真理を探究することを本 質とすることにかんがみて、特に大学の自治を保障することを趣旨としたものである」と判示している。
A ところで、学問の自由は思想・良心の自由(19条)、信教の自由(20条)及び表現の自由(21条)と重複し、 他の精神的自由権規定に対する特別法とされている。そこで、憲法がこれら一般的な市民的自由とともにとり わけ学問の自由を規定した意味は何かが問われることになる。
この点、学問研究が通常の精神活動に比してより高度で専門的な精神活動であるから、一般の市民的自由よ りも高度な自由が保障されるとし、大学教員の特権的自由としての学問の自由を観念する見解(専門的特権 説)もある。これに対し、「研究者は市民としての同僚市民と全く同等の市民的自由以上のものをもつものでは なく、同時に市民的自由の保障によって個人としての真理探究の自由を保障されるもの」と考えるべきとの立場 がある(市民的自由説)。つまり、「@教育・研究機関(特に大学)における学問的活動の自由が、権力又は財 力によって閉塞状態に置かれるならば、『社会における市民一般の権力批判の自由、既成観念挑戦の自由 は、致命的打撃をうけ脆弱化する』こと、Aそういう意味において、大学の自由は、『一般的・市民的自由の基 礎の上においてのみ存立しうるものである』こと、したがって、Bそれは『学者の身分的特権ではなくて、学問研 究共同体における真理研究のプロセスの自由を保障する『機能的自由』であり、そのプロセスに参加する全て の者に保障されるべきものと考えられなければならない』こと、要するに、学問の自由は市民的自由と同質的で あり相関的なものである」(芦部・憲法学VP206)。
いずれにしても、学問の自由の保障が極めて重要であるということについては共通の認識がある。
B その上で、学問の自由の保障の意義はどこにあるのであろうか。そこでは、次のような指摘が極めて重要 である。
すなわち、ア.「近代社会においては、研究者は研究手段より切り離されており、他人の設置した研究教育機関 において、これに雇われる使用人としての地位にあって研究教育を行う。他方、研究教育機能はこれに従事す るものが自らの高められた知的水準と知的誠実性をもって、ただ事実と理性に導かれてこれを行うほかない。 ここに、教育研究者をその所属する研究教育機関の設置者または外的管理者が雇主としてもつところの諸機 能(業務命令権、懲戒権、解雇権)から守ることによって、その専門機能の遂行を可能ならしめる必要が出てくる のであって、学問の自由保障の根拠はそこに求められることになる。したがって、学問の自由保障の主たる狙 いは教育研究者が市民としてもつところの、しかし研究教育機関の外的管理権力のゆえに研究教育機関の内 部に妥当しえないところの市民的自由(思想の自由、思想の表現・交換の自由)を研究教育機関の内部におい て貫徹させ、教育研究者をしてこれを回復させるところにあるということができる」。
イ.「学問の自由保障の主眼は、研究手段から切り離された研究者が研究教育機関の設置者のもつ諸権能から 解放されて真理を探究し、成果を公表しうることを保障するところにあるから、この保障を国家権力に対する関 係に限定することは正当ではない。本条保障規範の名宛人には私的な大学設置者も含まれ、私立大学の教員 は当該大学設置者・外的管理者に対する関係において、研究教育の自由を保障されるのである。むしろ、言っ てみれば国立大学における大学の自治権や教員の自由の保障規範の名宛人も公権力主体としての国家では なく、大学設置者としての国家であると解すべきなのである」(以上 ア、イ については、高柳信一・基本法コンメン タール憲法(新版)1O2頁以下参照)。
ここでの要諦は、今日の学問研究遂行の主たる担い手が雇用関係の中にあるという現状認識から出発し、こ の雇用関係による拘束(職務命令権、懲戒権、解雇権のほか人事権一般を含む)からのできる限りの開放が、 「学問の自由」の保障の特別の意味となるということである。そこに、「学問の自由」が思想の自由、表現の自由 などの市民的自由とは別個に規定された特別の意味があるのである(松井幸夫「学問の自由と大学の自治」ジ ュリスト 1089号205頁以下参照)。
C 「学問の自由」の内容
上記最高裁判決でも述べられているように、「学問の自由」の内容として、@学問研究の自由、A研究成果発 表の自由、B教授の自由、C大学の自治が挙げられる。
@学問研究の自由は、一般国民及び専門研究者が等しく享有するが、後者についてはBで述べたところから、 学問研究の自由を十分に保障するために、研究教育機関の設置者、外的管理者との関係で次のことが要請さ れる。すなわち、第1に指揮監督からの自由、第2に懲戒権からの自由、第3に身分保障である。
特に、身分保障に関しては教育公務員特例法6条1項は「学長、教授及び部局長は大学管理機関の審査の結 果によるのでなければ、その意に反して免職されることはない。」と規定しているところ、学校教育法59条1項 の規定ともあいまって、国立大学においては教員の降任・免職は大学における「重要な事項」であり、教授会が 実質的な決定機関とされ、身分保障の手当がなされることになる。Bで述べたところから、この教育公務員特 例法の諸規定は確認的な規定と考えるべきである。
D 私立大学の場合
では、私立大学においてはいかに解するべきか。
Bで述べたように「学問の自由」の保障の今日的な意味は教育研究従事者の「雇用関係による拘束からの開 放」にある。そして、そのことは国立大学のみならず、私立大学においても妥当すると考えられ、むしろ私立大 学においてこそ、その要請が高いとも言える。「公教育」を担っているという点において、国公立と私立では何ら の違いはないということ(教育基本法6条1項)は、このように考える補強材料となろう。従って、私立大学におい ても教育公務員特例法の諸規定と「類似の手続」が要請されると考えるべきであり、学校教育法59条1項の 「重要な事項」には解雇を含めた教員の人事に関する事項一般が含まれ、これは私立大学においても当然に 適用されるべきものと解すべきである。なお、 これは私人間への憲法規定の直接適用ではない。憲法規定の 趣旨から学校教育法、教育公務員特例法を解釈した結果である。
E 判例
a 債務者の指摘する甲南大学事件のような判決はまれであって、前述の通り判決の多くは私立大学において も教員の身分に関する事項(ことに懲戒や解雇)は「重要な事項」に当然含まれるとしており、甲南大学事件判 決が特殊な位置にあると解すべきであるところ、同判決を詳細にみると、必ずしも教授会の意思を無視してよ いという内容にはなっていない。同判決は大学が再三にわたり教授会に対して、教員の処分にあたり意見聴取 を行っていたこと、これに対して同教授会が積極的に解雇に反対する意見を述べていなかったという事実を認 定しているのである(乙第37号証の1、 16頁)。したがって、同判決は同事件を判断するにあたって大学にお いて実質上、教授会の審議がなされているという点を重視していると考えてよい。同判決は大学の良心を信頼 し、大学が教授会の意思を全く無視して処分することはないのであろうとの前提に立つたものであると考えられ る。
b これに対し、本件の場合は、教授会の意思を完全に無視しており、上記判決を前提としても、本件がいかに 手続的に大学の自治を逸脱したものであったかが理解できるものである。上記の通り、同判決は解雇について 教授会の意思を決して無視してはおらず、大学側が自己の都合で勝手に処分してもよいとの見解には立つて いないと考えられる。
(5) 本件における教授会、評議会の議決について
@ 以上の通り、私立大学においても教員の懲戒解雇には「教授会の審議」が必要であり、これを欠く本件懲 戒解雇処分は違法・無効なものであることは明らかである。
A このことに関し、債務者は大学評議会の下に設置された採用人事調査 委員会が調査し、その妥当性につ いては評議会で承認されていると主張 している。評議会での審議は「単に報告を聞いた」というようなものでは なく、承認されたというのである。
しかしながら、本件処分について評議会が承認したという事実は全くない。評議会が開かれたのは平成14年3 月14日であるが、その議事録(別議録)によると(乙第28号証)、「経済学部公募採用人事・人事管理論および 労使関係論」の問題について採用人事調査委員会の「調査経過と調査結果が報告された」に過ぎない。処分に 関する審議ばかりかこの委員会報告についての審議さえも行われてはいない。
B 同別議録には、「3名の採用人事調査委員会の審査委員から学長に対し(採用候補者の業績が)、公募科 目『人事管理論および労使関係論』に適合しているかどうかの業績調査報告が提出され、その内容が紹介され た」と記載されており、これに対し、「○○経済学部長から本件の主旨(調査の主旨と考えられる)について再確 認がなされ、学長から審査教授会に提出された業績評価書の客観的な評価を学内の専門家にお願いした」旨 の説明がなされている。そして、「以上について協議した結果、本件に関わる手続きに瑕疵はなく、上記採用人 事調査委員会の調査経過と調査結果が報告されたことが事実として確認されるとともに本評議会における審査 の妥当性が承認された」とされているにすぎない。上記評議会の議事録を見ても、本件懲戒処分についての審 議が評議会によって行われ、承認されたという事実はどこにもないのである(以上、乙第28号証、評議会別議 録)。
C このように、評議会で承認されたという債務者の主張は全く事実に反する。そのようなことからか、債務者 は、平成14年度第1回大学評議会(4月17日)で本件処分問題について協議がなされ、そこで「懲戒解雇に対 する学園理事会の決定に対し、大学評議会としても全会一致で承認すること」が確認されており、評議会で追 認されているから、手続上の違法はないと主張するに至った(平成14年6月7日付準備書面)。しかし、この評 議会では理事会が3月29日に決定し、既に実行した処分の報告を了承したに過ぎない。この評議会は平成1 4年4月17日に開催されているが、同年4月4日に債権者らが救済を求めてなした本件仮処分申請への対策 のため、急拠評議会の中で「別議」なるものが行われたものである。同評議会の別議は、懲戒処分に関する理 事会の決定について学長の報告を了承したにすぎず、同評議会において処分事実の有無、処分の可否、処分 の程度などについては何らの議論もなされていない。大学教員を処分する際の大学内における調査や審議 は、理事会等における最終決定に先行し、その前提として行われるべきものである。債権者ら3名もの教員 が、およそ考えられないような処分をされ、他にも懲戒解雇の対象にされ処分に脅えている教員がいるという状 況があり、もし反対でもすれば、どのような処分がなされるか分からない中で、学長報告に異議を出したり、議 論などできる筈はない。
D いずれにしても、同評議会で処分事実が確認されたり、懲戒にすべきか否か、処分の妥当性などについて 審議され、決定された事実は一切ない。したがって、同評議会は訴訟対策のためだけになされたもので(同別 議録によれば、学長から当面は裁判闘争に傾注したい旨の表明がなされたと記録されている、乙第40号証)、 このような評議会での承認は手続違背を糊塗するための信義に悖る行為と言うべきである。