仮処分裁判 債権者側(三教授側)書面
 
準備書面(2002年8月02日)

 

 

 

 

 

平成14年(ヨ)第84号
債 権 者  田 尻  利 外2名
債 務 者  学 校 法 人 津曲学園


準 備 書 面

平成14年8月2日

鹿児島地方裁判所 御 中

債権者ら代理人

弁護士  増 田   博

 同   小 堀 清 直

 同   森   雅 美


平成14年7月31日付債務者提出の準備書面に対し、次の通り反論する。

一.1 債務者大学における採用人事について
(1) 債務者は前任教員の採用人事にも重大な欠陥があったとして、次のように述べている。すなわち、本件採 用人事は札幌学院大学に転出した前任教員の後任補充として選考がなされたものであるが、債権者馬頭は、 前任教員が社会政策担当者として転出先に赴任していることをもって同じ社会政策の専門家であった採用候 補者に公募科目を担当する資格があることを判断の理由の一つとしている。このことは前任者がすでに科目不 適合であったことを示すもので債務者大学における教授会による採用人事には重大な問題、欠陥があったと指 摘できるというのである。
 馬頭が上記のように判断したことが何故に前任者の採用人事に重大な問題や欠陥があると言えるのか理解 しがたい。もし、債務者大学が同教員の採用人事に重大な問題ないし欠陥があったと主張するのであれば、そ の事実を示すべきである。
2 さらに、債務者は田尻が前任者採用人事について、原口主査が二科目の実績がないのに業績報告書を作 成したことを述べているのは、従来本件のような情実人事を行っていたことを自白したようなものだとして、これ までの採用人事が不正によるものであると主張している。既に述べたとおり二科目で採用する場合の採用人事 においては、一科目の業績があり、これに関連する他の科目を担当するだけの能力があると判断された場合 には両科目担当可として採用が認められてきたのである。蓋し、学者は特定の科目について深く研究するのが その本質であり、二科目にまたがって研究業績を求めることは困難だからである。そのようなことから、経済学 部経営学科では昭和59年6月26日公募による採用人事について「両科目担当可能な人を原則とするが、当 面はいずれか一方の担当でも可とする」との申し合わせをしている(疎甲第42号証の2)。この申し合わせによ り、従来は一科目の担当でも可とする採用人事をしてきたもので、別に問題はなかったのである。本件では選 考委員会は候補者の実績、論文の内容から両科目担当可とする結論を出したものであるが、人事管理論担当 可について教授会では口頭で報告されたものである。
3 因みに、前任者の採用にあたっては、原口が選考委員会の主査であった。前任者は経営労務論および賃 金管理論で採用されたが、原口主査は同人を積極的に評価した業績評価書を作成した。同評価書によれば、 前任者の業績は経営労務論のものであり、賃金管理論の業績は認められないが(疎甲第40号証)、両科目は 関連科目であるとして担当可能との判断が示されている。なお、この点は片山陳述書で裏付けられている(疎 甲第41号証)。
 田尻は陳述書において、前任者採用時と同時の手続きがなされたことを述べているにすぎず、決して過去に おいて情実人事が行われていたことを述べてなどおらず、こじつけも甚だしいと言わなければならない。
因みに、同教員は昭和62年から平成11年まで債務者大学の経済学部において担当科目を講義し、優れた業 績を残している。

二.大学設置審議会の科目適合性について
(1) 債務者は、採用候補者が○○大学の教授であり、いかに優れた業績があっても、科目適合性を無視する 根拠にはなりえないとし、新学部や大学院等を設置する場合の大学設置審議会の審査は業績内容と担当科目 との適合性を厳密に問うものであり、その適合性が認められなければ、たとえ東大教授であっても審査にパス することはないと主張し、有沢広巳教授の例を挙げている。
 この主張は、本件選考委員会や教授会が科目適合性を無視して候補者を選任したとの前提に立っている。し かし、本件において選考委員会、教授会が科目適合性を無視して選任したものでないことは、その選考過程の 事実によって詳細に明らかにしたとおりである(疎甲第26号証以下)。また、選任された教授は科目に適合した 優れた教授であることも当該科目の専門家である教授らが指摘するところである(疎甲29号証以下)。
 したがって、債務者の主張はそもそも本件には全くあてはまらないものである。
(2) 債務者は新学部や大学院等を設置する場合の大学設置審議会の審査を例に挙げているが、本件は後任 補充の選任であって、新学部や大学院を設置する場合の審議会の審査ではない。有沢教授の科目不適合が どのようなものであたのか、その時期、選任方法等も全く明らかにされていない。
このように、本件とは異なる例を挙げ、一方的な判断を前提として候補者の選任に問題があったなどと述べる こと自体、債務者の本件処分がいかに異常であったかが理解できるものである。

三.本件採用人事について
1 債務者は、債権者らが経済学部において重きをなす教授で自らの知人である特定の教員を採用するため に採用人事を私物化しようとしたものであり、本件人事が債権者らの共謀による情実人事である。このことは原 口主査の釈明書によって明らかであるとする。
 ここに至って、本件処分の真の意図は債務者側の個人的な感情にもとづくものであったことが明らかになっ た。債権者らは債務者のような絶対的な権力など全くない。何らの権限もない債権者らが、優れた見識、英知 を持ち、独自の判断力を有する数多くの助教授や教授らの意見を無視し、情実によって教授会を「私物化」す ることなど出来よう筈はない。債権者らが他の教員を意のままにしうるなどと述べること自体、他の教員の独自 性やその見識を侮辱するものであり、大学の地位を自ら貶めるものである。
2 債務者は本件選考について、馬頭と○○教授が債務者大学の「−略−」において「−略−」、同人を○○教 授とは古くから特別な親交関係にあったと述べている。○○教授は経済学部の分野では著名な学者であるた め、「−略−」することはよくあることである。したがって、「−略−」特別な親交関係にあったとは言えるもので はない。因みに、馬頭は本件選考委員に選任された時、どのような候補者がいるかも知らなかった。また、選 考委員会が全員一致で○○教授に候補者を絞ったこと、科目適合性も含め論文を検討した結果、同教授が適 任であると判断されたことについては既に述べた通りである。同教授の論文や業績を詳細に検討することによ って選考したことは、田尻、馬頭の陳述書で詳細に述べられている。
3 債務者は田尻について、選考委員に立候補する教員は、ほとんどないのにこれを自ら立候補したことは、本 件人事に作為的にかかわる意図を持っていたと考えなければ理解しがたいと述べている。選考委員会に立候 補する教員は別に珍しいことではない。田尻もまた、申込候補者を全く知らなかった。同人もまた、選考委員会 の長として、いかに熱心に選考のために努力しているか、同人の委員会における詳細な事実経過によって明ら かである。本件人事に作為的に関わる意図を持っていたなどと邪推して処分するなど到底許されるものではな い。
4 債務者は、債権者八尾に対しては、候補者から応募を取り下げる旨の手紙がきたことについて、常識では 考えられないとし、同人とのつながりを強調している。本件人事は経済学部採用人事であったのだから、これに 応募した者がそれを取り下げようとする場合、学部長宛に手紙を送付するのは当然である。
 八尾は経済学者として候補者に面識はあるが、とりわけ親交があったわけではない。
 債務者は、「−略−」をもって、採用候補者と債権者八尾が特別の関係にあったかのように印象付けようとし ている。しかし、「−略−」である。したがって、この件について、八尾が採用候補者と話をしたことは一度もな い。
 「−略−」
債務者が、事情も知らずに書面のみで邪推し、情実人事と断ずる根拠にしているのは、深慮と品位を欠いた判 断であると言わざるをえない。「−略−」、親しい知人であったとか、それ以上のものであったとか述べること自 体、およそ大学人としては考えられない非科学的な推測であり、結局債務者の異常な本件処分の背景の本質 は思想良心の白由と自由な言論を封じることにあったのではないかと言われてもやむを得ないものである。こ のような背景の下になされた本件処分は、憲法上保障された学問の自由、大学の自治を破壊するばかりか、 大学の存在価値を喪失させるものである。