仮処分裁判 債権者側(三教授側)書面
 
準備書面(2002年7月25日)

 

 

 

 

 

平成14年(ヨ)第84号
  債 権 者  田 尻  利 外2名
  債 務 者  学校法人 津 曲 学 園


準 備 書 面

                       平成14年7月25日

鹿児島地方裁判所 御 中

債権者ら代理人

弁護士 増 田   博

同  小 堀 清 直

同  森   雅 美


債権者らは本件申請の趣旨を整理し、申請の理由、必要性について補充陳述する。

第一 申請の趣旨
1 債権者らが、債務者に対し、雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。
2 債務者は、債権者田尻に対し平成14年4月1日以降1ヶ月あたり金▲▲万▲▲円を、債権者馬頭に対し平 成14年4月1日以降1ケ月あたり金▲▲万▲▲円を、債権者八尾に対し平成14年4月1日以降1ヶ月あたり金 ▲▲万▲▲円をそれぞれ毎月20日限り仮に支払え。
3 債務者は、債権者田尻に対し、債務者大学7号館518の研究室を、債権者馬頭に対し、債務者大学7号館 502の研究室を、債権者八尾に対し、債務者大学7号館514の研究室をそれぞれ貸与せよ。

第二 申請の理由
一.はじめに
1 本件は債権者田尻、馬頭らが教員選考委員として誠実に任務を果たしたにも拘わらず、その委員会の運営 と結論を理由に処分がなされたという、まさに驚くべき事案である。田尻や馬頭が公募内容に従って、いかに真 摯に審査をしたかは同人らの陳述書に詳しく述べられている。
しかも、同人らが教授として採用適当であると判断した候補者は業績の優れた○○大学の教授であり、同教授 を採用したからといって、大学の名誉や評価が高まることはあったとしても、減殺されることなどおよそ考えられ なかった。
2 ところが、債務者は、債権者田尻や馬頭らが科目不適格者を選考したと独断した上、選考方法にも問題が あったなどとし、懲戒解雇という異常とも言える処分をしたのである。
債権者田尻や馬頭を含む選考委員会が選考した教授の業績が優れていることは債務者側の学者でさえ認め るところであり、しかも、同教授が採用に相応しい科目適合者であったことは、後述の通り多くの学者も認めている。したがって、田尻や馬頭、その他の選考委員が、適切な判断をしたことは疑うべくもない。これが懲戒の 対象となり、ましてや懲戒解雇という処分がなされるに至っては表現しようのない恐ろしささえ覚えるものである。
3 仮に、債務者の主張の通り、田尻らが科目不適格者を選任したとしても、それが懲戒解雇という重い処分を科すに値する程のものであっただろうか。本件選考委員会において、応募者すなわち採用候補者は10名であったが、最終的には○○教授1人に絞られた。このことについては、面接前の段階ではすべての委員の意見が一致していたのである。そして、面接後の投票で5名中、4名の委員が採用を是とし、この選考結果を教授会も支持したことは疑いのない事実である。それにも拘わらず、債権者らの選考行為は大学から排除されなければ ならない程、重大な背信行為だったのだろうか。田尻や馬頭らは文献を読み、議論の末、結論を出している。 就業規則上、懲戒として譴責、減給、停職、降職、解雇、懲戒解雇が規定されているが、同人らの行為がこの いずれかに該当するとも思えない。ましてや、最大の背信行為に該当するとして処分することなど到底許される ものではない。
4 債権者八尾は、教授会において田尻らの選考委員会報告を認めさせる方向で専断的な議事運営をしたなどと言われ、処分されている。教授会でいかに十分に論議が尽くされているかは、八尾の陳述書に詳細に述べられている(疎甲28号証)。これが、懲戒解雇の処分理由とされるなど唖然とするばかりである。これに加え、八尾については学部新設について財政上の観点から意見を具申したことが問題とされているが、こうしたことは一 般企業においてさえ許されていることを考えると、民主主義が最も機能すべき大学で意見を述べたり、書簡を 送ることは出来る限り尊重されるべきで、これが重大な処分理由となるなどおよそ考えられないことである。仮 に、同人の行為が何らかの処分に値するとしても同人の行為が懲戒解雇という最も重い処分がなされる程の背信行為に該当するとは到底考えられない。
5 本件は処分の異常性に加え、その手続においても重大な違反が存在する。以下、このことについて証拠に 基づいて詳細に述べる。

二.適正手続違背
1 弁明手続が形式にすぎなかったこと
(1) 懲戒処分は労働者に重大な不利益を与えるものであるから、使用者は懲戒権行使における信義則上の要請として具体的な懲戒事由を開示するに止 まらず、労働者に対して、充分弁明の機会を与える義務を負うものである。
而して、ここに言う「弁明の機会を与える」とは、通り一辺の弁解をさせて済ませるというのではなく、弁明の趣 旨を正確に把握し、必要があればこれを基に更に調査を重ねるなど真摯な態度で弁明を受けることを意味するのである。処分を予め決めておいて形式的に弁明をさせたからといって、弁明の機会を与えたことにはならないことは言うまでもない。
(2) ところが、債務者は当初から「責任者の処分も考えたい」(乙第18−2号証)などとし、予め処分することを決めた上で弁明させ、原口主査や投票もせず退席した教員のみの一方的な言い分だけを取り上げ、処分を決めていることは本件各証拠から明らかである(乙第18−1号証以下乙第29号証等参照)。
本件採用人事について、もし選考委員会での審議などに問題があるというのであれば、本件は教学上の問題であるから、まず教授会か或いは評議会に調査、検討を求めるべきである。それが大学の自治を標傍する者の取るべき態度である。ところが、債務者は理事会の下に平成12年2月28日、学長を委員長とする大学問題調査委員会を設け、債権者らの意見を全く考慮せず、債権者らが不適格者を選考したと断定し、その他自己に都合のよい事実を取り上げるに至った。そして、これを前提に平成13年10月1日に学長が加わった懲罰委員会を設け、3名を懲戒解雇とする結論を出したのである。大学の自治を無視したこの一連の事実をみれば、債務者は当初から債権者らの処分を目的としていたという他はない。結局、債権者らの弁明は形式を繕うだけのものだったのである。
このように、処分を予め決めてなされた弁明は処分の適正な手続を回避するためになされたと言わざるを得ない。したがって、本件では弁明手続きにおいても適性を欠いていると言わなければならない。
2 教授会の審議を欠いた違法
(1) 大学における教員の身分保障は憲法上の要請に基づくものである。これ は国立大学だけではなく、私立大学においても同様である。このことに関し、多くの判決は「学問の自由を定めた憲法23条の趣旨からすると、私立大学の場合であっても、教員の解雇は学校教育法59条1項にいう重要事項と解すべきであり、解雇について教授会の審議を経るべきものというべきである」とし、教授会の審議を経ていない解雇は無効であると判示している。
(2) 本件処分について、教授会の審議がなされていないことに争いはない。債権者らは本件懲戒解雇は適正手続きを欠くものとして、その効力がない旨主張した。これに対し、債務者は甲南大学事件判決を拠り所にその必要がない旨主張するので、以下その必要性について詳述する。
(3) 問題の所在
@ 学校教育法59条1項は、「大学には重要な事項を審議するため、教授会を置かねばならない」と規定している。「重要な事項」について、教育公務員特例法6条では教員を降任あるいは免職する場合の手続保障が規定されるので、私立大学の場合にも国・公立大学と同じく大学である以上、それと同様の手続が要請されるという見解が一般的である。特に私立大学の場合には、理事長ないし、大学の実権を持っている者が自己の都合によって教員を処分するおそれがあるため、被処分者である当該教員に対する手続保障はきわめて重要な問題である。
A このことにつき、債務者は、私立大学について規定がない以上、「私立大学において何が『重要な事項』として教授会の審議事項に該当するのかは各私立大学の独自の判断に委ねるほかはない」旨主張し、債務者の就業規則では教員の任免は理事長が行うとされているから、懲戒解雇について教授会の審議は必要でないと述べている。
しかしながら、「重要な事項」に教員の解雇が含まれるか否かは憲法、学校教育法、教育公務員特例法などの各規定の趣旨・沿革などを総合的に検討して判断すべき問題であって、「規定がないから各私立大学に任せてよい」という単純な問題では決してない。
(4) 「学問の自由」の保障の意味
@ 平成14年6月3日付準備書面で若干述べたところであるが、学問の自由につき、最高裁判決(最大昭和38年5月22日・東大ポポロ事件)は、「学問の自由は、学問的研究の自由とその研究結果の発表の自由とを含むものであって、同条(憲法23条)が学問の自由を保障すると規定したのは、一面において、広くすべての国民に対してそれらの自由を保障するとともに、他面において大学が学術の中心として深く真理を探究することを本質とすることにかんがみて、特に大学の自治を保障することを趣旨としたものである」と判示している。
A ところで、学問の自由は思想・良心の自由(19条)、信教の自由(20条)及び表現の自由(21条)と重複し、他の精神的自由権規定に対する特別法とされている。そこで、憲法がこれら一般的な市民的自由とともにとりわけ学問の自由を規定した意味は何かが問われることになる。
この点、学問研究が通常の精神活動に比してより高度で専門的な精神活動であるから、一般の市民的自由よりも高度な自由が保障されるとし、大学教員の特権的自由としての学問の自由を観念する見解(専門的特権説)もある。これに対し、「研究者は市民としての同僚市民と全く同等の市民的自由以上のものをもつものではなく、同時に市民的自由の保障によって個人としての真理探究の自由を保障されるもの」と考えるべきとの立場がある(市民的自由説)。つまり、「@教育・研究機関(特に大学)における学問的活動の自由が、権力又は財力によって閉塞状態に置かれるならば、『社会における市民一般の権力批判の自由、既成観念挑戦の自由は、致命的打撃をうけ脆弱化する』こと、Aそういう意味において、大学の自由は、『一般的・市民的自由の基礎の上においてのみ存立しうるものである』こと、したがって、Bそれは『学者の身分的特権ではなくて、学問研究共同体における真理研究のプロセスの自由を保障する『機能的自由』であり、そのプロセスに参加する全ての者に保障されるべきものと考えられなければならない』こと、要するに、学問の自由は市民的自由と同質的であり相関的なものである」(芦部・憲法学VP206)。
いずれにしても、学問の自由の保障が極めて重要であるということについては共通の認識がある。
B その上で、学問の自由の保障の意義はどこにあるのであろうか。そこでは、次のような指摘が極めて重要 である。
すなわち、ア.「近代社会においては、研究者は研究手段より切り離されており、他人の設置した研究教育機関 において、これに雇われる使用人としての地位にあって研究教育を行う。他方、研究教育機能はこれに従事するものが自らの高められた知的水準と知的誠実性をもって、ただ事実と理性に導かれてこれを行うほかない。 ここに、教育研究者をその所属する研究教育機関の設置者または外的管理者が雇主としてもつところの諸機能(業務命令権、懲戒権、解雇権)から守ることによって、その専門機能の遂行を可能ならしめる必要が出てくるのであって、学問の自由保障の根拠はそこに求められることになる。したがって、学問の自由保障の主たる狙いは教育研究者が市民としてもつところの、しかし研究教育機関の外的管理権力のゆえに研究教育機関の内部に妥当しえないところの市民的自由(思想の自由、思想の表現・交換の自由)を研究教育機関の内部において貫徹させ、教育研究者をしてこれを回復させるところにあるということができる」。
イ.「学問の自由保障の主眼は、研究手段から切り離された研究者が研究教育機関の設置者のもつ諸権能から解放されて真理を探究し、成果を公表しうることを保障するところにあるから、この保障を国家権力に対する関係に限定することは正当ではない。本条保障規範の名宛人には私的な大学設置者も含まれ、私立大学の教員は当該大学設置者・外的管理者に対する関係において、研究教育の自由を保障されるのである。むしろ、言ってみれば国立大学における大学の自治権や教員の自由の保障規範の名宛人も公権力主体としての国家ではなく、大学設置者としての国家であると解すべきなのである」(以上 ア、イ については、高柳信一・基本法コンメンタール憲法(新版)1O2頁以下参照)。
ここでの要諦は、今日の学問研究遂行の主たる担い手が雇用関係の中にあるという現状認識から出発し、この雇用関係による拘束(職務命令権、懲戒権、解雇権のほか人事権一般を含む)からのできる限りの開放が、「学問の自由」の保障の特別の意味となるということである。そこに、「学問の自由」が思想の自由、表現の自由などの市民的自由とは別個に規定された特別の意味があるのである(松井幸夫「学問の自由と大学の自治」ジュリスト 1089号205頁以下参照)。
C 「学問の自由」の内容
上記最高裁判決でも述べられているように、「学問の自由」の内容として、@学問研究の自由、A研究成果発表の自由、B教授の自由、C大学の自治が挙げられる。
@学問研究の自由は、一般国民及び専門研究者が等しく享有するが、後者についてはBで述べたところから、学問研究の自由を十分に保障するために、研究教育機関の設置者、外的管理者との関係で次のことが要請される。すなわち、第1に指揮監督からの自由、第2に懲戒権からの自由、第3に身分保障である。
特に、身分保障に関しては教育公務員特例法6条1項は「学長、教授及び部局長は大学管理機関の審査の結果によるのでなければ、その意に反して免職されることはない。」と規定しているところ、学校教育法59条1項の規定ともあいまって、国立大学においては教員の降任・免職は大学における「重要な事項」であり、教授会が実質的な決定機関とされ、身分保障の手当がなされることになる。Bで述べたところから、この教育公務員特例法の諸規定は確認的な規定と考えるべきである。
D 私立大学の場合
では、私立大学においてはいかに解するべきか。
Bで述べたように「学問の自由」の保障の今日的な意味は教育研究従事者の「雇用関係による拘束からの開放」にある。そして、そのことは国立大学のみならず、私立大学においても妥当すると考えられ、むしろ私立大学においてこそ、その要請が高いとも言える。「公教育」を担っているという点において、国公立と私立では何らの違いはないということ(教育基本法6条1項)は、このように考える補強材料となろう。従って、私立大学においても教育公務員特例法の諸規定と「類似の手続」が要請されると考えるべきであり、学校教育法59条1項の「重要な事項」には解雇を含めた教員の人事に関する事項一般が含まれ、これは私立大学においても当然に適用されるべきものと解すべきである。なお、 これは私人間への憲法規定の直接適用ではない。憲法規定の趣旨から学校教育法、教育公務員特例法を解釈した結果である。
E 判例
a 債務者の指摘する甲南大学事件のような判決はまれであって、前述の通り判決の多くは私立大学においても教員の身分に関する事項(ことに懲戒や解雇)は「重要な事項」に当然含まれるとしており、甲南大学事件判決が特殊な位置にあると解すべきであるところ、同判決を詳細にみると、必ずしも教授会の意思を無視してよいという内容にはなっていない。同判決は大学が再三にわたり教授会に対して、教員の処分にあたり意見聴取を行っていたこと、これに対して同教授会が積極的に解雇に反対する意見を述べていなかったという事実を認定しているのである(乙第37号証の1、 16頁)。したがって、同判決は同事件を判断するにあたって大学において実質上、教授会の審議がなされているという点を重視していると考えてよい。同判決は大学の良心を信頼し、大学が教授会の意思を全く無視して処分することはないのであろうとの前提に立つたものであると考えられる。
b これに対し、本件の場合は、教授会の意思を完全に無視しており、上記判決を前提としても、本件がいかに 手続的に大学の自治を逸脱したものであったかが理解できるものである。上記の通り、同判決は解雇について 教授会の意思を決して無視してはおらず、大学側が自己の都合で勝手に処分してもよいとの見解には立つていないと考えられる。
(5) 本件における教授会、評議会の議決について
@ 以上の通り、私立大学においても教員の懲戒解雇には「教授会の審議」が必要であり、これを欠く本件懲戒解雇処分は違法・無効なものであることは明らかである。
A このことに関し、債務者は大学評議会の下に設置された採用人事調査 委員会が調査し、その妥当性については評議会で承認されていると主張 している。評議会での審議は「単に報告を聞いた」というようなものではなく、承認されたというのである。
しかしながら、本件処分について評議会が承認したという事実は全くない。評議会が開かれたのは平成14年3 月14日であるが、その議事録(別議録)によると(乙第28号証)、「経済学部公募採用人事・人事管理論および労使関係論」の問題について採用人事調査委員会の「調査経過と調査結果が報告された」に過ぎない。処分に関する審議ばかりかこの委員会報告についての審議さえも行われてはいない。
B 同別議録には、「3名の採用人事調査委員会の審査委員から学長に対し(採用候補者の業績が)、公募科目『人事管理論および労使関係論』に適合しているかどうかの業績調査報告が提出され、その内容が紹介され た」と記載されており、これに対し、「○○経済学部長から本件の主旨(調査の主旨と考えられる)について再確 認がなされ、学長から審査教授会に提出された業績評価書の客観的な評価を学内の専門家にお願いした」旨 の説明がなされている。そして、「以上について協議した結果、本件に関わる手続きに瑕疵はなく、上記採用人 事調査委員会の調査経過と調査結果が報告されたことが事実として確認されるとともに本評議会における審査 の妥当性が承認された」とされているにすぎない。上記評議会の議事録を見ても、本件懲戒処分についての審 議が評議会によって行われ、承認されたという事実はどこにもないのである(以上、乙第28号証、評議会別議 録)。
C このように、評議会で承認されたという債務者の主張は全く事実に反する。そのようなことからか、債務者 は、平成14年度第1回大学評議会(4月17日)で本件処分問題について協議がなされ、そこで「懲戒解雇に対 する学園理事会の決定に対し、大学評議会としても全会一致で承認すること」が確認されており、評議会で追 認されているから、手続上の違法はないと主張するに至った(平成14年6月7日付準備書面)。しかし、この評 議会では理事会が3月29日に決定し、既に実行した処分の報告を了承したに過ぎない。この評議会は平成1 4年4月17日に開催されているが、同年4月4日に債権者らが救済を求めてなした本件仮処分申請への対策 のため、急拠評議会の中で「別議」なるものが行われたものである。同評議会の別議は、懲戒処分に関する理 事会の決定について学長の報告を了承したにすぎず、同評議会において処分事実の有無、処分の可否、処分 の程度などについては何らの議論もなされていない。大学教員を処分する際の大学内における調査や審議 は、理事会等における最終決定に先行し、その前提として行われるべきものである。債権者ら3名もの教員 が、およそ考えられないような処分をされ、他にも懲戒解雇の対象にされ処分に脅えている教員がいるという状 況があり、もし反対でもすれば、どのような処分がなされるか分からない中で、学長報告に異議を出したり、議 論などできる筈はない。
D いずれにしても、同評議会で処分事実が確認されたり、懲戒にすべきか否か、処分の妥当性などについて 審議され、決定された事実は一切ない。したがって、同評議会は訴訟対策のためだけになされたもので(同別 議録によれば、学長から当面は裁判闘争に傾注したい旨の表明がなされたと記録されている、乙第40号証)、 このような評議会での承認は手続違背を糊塗するための信義に悖る行為と言うべきである。

3 就業規則上の手続違反
(1) 既に述べたとおり、債務者が教員を懲戒解雇するためには、債務者学園の就業規則第55条に基づいて、 労働基準監督署長の認定手続を経なければならないとされている(疎甲第5号証)。就業規則に労働条件に関 する規程が存在する場合、同条件を一方的に不利益に変更することは出来ないとされ、これに反した場合には その効力は否定される(通説判例)。懲戒解雇は労働者の地位や財産を根こそぎ剥奪するもので、労働条件の 変更の最たるものであることは言うまでもない。したがって、就業規則上要求されている手続をなさないまま懲 戒解雇をした場合、実質上の不利益変更としてその効力は否定されると考えるべきである。なお、最高裁判決 は就業規則に法規範性を認めているから、これに反した場合には原則として違法、無効となると考えられる(最 判昭43.12.25 民集22−13−3459参照)。このことについて、「懲戒解雇を為す場合の手続きとして就 業規則で定められた一定の手続きがある場合には、それは制裁手続きを民主化したものとして、上記の手続 きを踏まない懲戒解雇を無効とするものと解すべきである」とされる(石井照久『労働法』251頁)。本件におい て債務者は就業規則上の手続を経ていないことを認めている。したがって、本件懲戒解雇は就業規則上の手 続きを踏まない重大な違反が存在するから、違法・無効であると解すべきである。
(2) このことについて、債務者は、「年度末を控え、教学上の措置、計画作成等で多忙のため認定手続を行う時 間的余裕がなかった」と述べている(乙第39号証、学長陳述書4頁)。本件は長年債務者のために貢献してき た教員らに対する大規模で苛酷な処分であるから、忙しかったから就業規則上要求される手続をしなかったと いうのは全く理由にならない。本件は債権者らの誠実な行為を債務者の一方的な評価判断の下に処分すると いう内容のものであるから、それが正しいか否かについて憲法・労働基準法に基礎を置く公的な機関の長の認 定を経なければならないことはとりわけ強く要請される。ところが、債務者は債権者らの2年も前の行為を今頃 になって処分した理由について、「慎重を期す必要があり、『規定上の手続き』を踏む必要があったからである」 などと述べている。就業規則所定の手続を履践することは当然、債務者の述べる『規定上の手続』に含まれる ことは言うまでもないから、就業規則上の手続をしなかったことについて、時間的余裕がなかったとする弁明 は、処分に慎重を期す必要があったということと矛盾するものである。
(3) そもそも多忙であったとか、時間的余裕時間がなかったということではなく、本件処分について監督署長の 認定が得られなかったというしかない。監督署長は事案の真相を調査して認定することになっているが、本件を 調査すれば解雇理由などないことは明白であるから、本件懲戒解雇処分を認定することなどありよう筈はな い。債務者は認定を得られなかったため、やむなく予告手当を支払わざるを得なかったものと考えざるを得な い。予告手当を支払ったことについて、債務者は温情的配慮であるなどと述べているが(乙第39号証)、これも 認定を受けられないことへの弁解にすぎない。債権者らの真摯な選考作業や議事運営を理由に懲戒解雇とい う想像も出来ないような処分をしながら、一方では温情的配慮をしたなど矛盾も甚だしいものである。債務者が 労働基準監督署長の認定手続きをしなかったのは、本件処分が余りに理不尽なものであったからに他ならな い。
以上のとおり、本件懲戒解雇は就業規則上の手続がなされておらず、これは重大な手続違背であり、その効力 を否定すべきである。

三.懲戒解雇事由の不存在
1 債権者田尻、同馬頭に対する解雇事由の不存在
(1) 債務者の田尻、馬頭に対する懲戒解雇事由については既に述べたが、解雇事由の前提事実そのものがな いことを詳細に述べるために便宜上、債務者の主張を再度揚げる。
@ 田尻については次のようなものである。担当科目「人事管理論および労使関係論」で公募したにも拘わら ず、担当科目中「人事管理論」を削除し、労使関係論のみを取り出した形で審査を行うこととし、「労使関係論」 の教授として推薦した。田尻は採用候補者を決定するために、選考委員長として投票による採決をしたにも拘 わらず、これをそのまま教授会に報告すれば採用候補者の採用が危うくなることを恐れ、主査の反対を覆す意 思を持って委員会審議の継続再会に踏み切った。その後の委員会運営においても他の委員らと共に、原口主 査に対して主査を降りるように迫ったり、業績評価書に連名するよう強要したりしたというものである。
馬頭については、「労使関係論」のみで採用を可とする業績報告書を作成しただけでなく、田尻の不適切な委 員会運営に加担したり、主査の辞任や評価書への連名を迫ったというものである。
A しかし、そのような事実はないばかりか、むしろ両名は選考委員とし て、極めて誠実にその任務を果たして いる。以下、委員会で議論された内容を詳細に述べ、このことを明らかにする。
2 本件で田尻、馬頭が公募者を選考するにあたり、人事管理論を削除し、労使関係論だけを取り出した形で 審査をしたという事実は全くない。このことについては、原口主査の委員会経過報告からでさえ削除して審査し たという事実は出てこない(乙第7号証の2)。また、選考委員会では最終的に一人に絞られた候補者が「労使 関係論」を担当することについては全員に異論がなく、人事管理論の担当ができるか否かで議論がなされてい る。この点からも人事管理論を削除して審査がなされたという事実などないことは明らかである。
3 選考委員会の審議
選考委員会の審議の経過については、債権者田尻、馬頭の陳述書で詳細に述べられている(疎甲第26、27 号証)。これらにより、採用候補者が決定された経緯を要約すれば次の通りである。
(1) 債務者学園は経済学部経営学科の片山一義助教授が平成11年3月に札幌学院大学に転出したため、教員候補者を公募することになった。片山助教授は社会政策学会に所属し、人事管理論、労使関係論の講義を担当していた。
平成11年7月の教授会において教員を公募することが決定されたことを受けて、債務者は学長、経済学部長の連署で「教員候補者公募について(依頼)」と題する文書を平成11年7月21日付で全国の諸大学や研究諸 機関に発送し、広く人材を求めた。担当科目は「人事管理論および労使関係論」、募集人員は1名、職名は「教授または助教授」であった(乙第3号証)。
(2) これに伴い、経済学部教授会は教員選考規程経済学部施行細則第6条に基づいて、平成11年10月、 専門委員として債権者である馬頭と原口俊道教授を選出した。 因みに、 馬頭の専門領域は経営学、経営組織論であり、経営学基礎、経営組織論の講義を担当している。また、原口教授の専攻領域は経営管理論であり、 経営管理論、経営学基礎の講義を担当している。     
選考委員会の委員は前記専門委員の他、経済学科より田尻、経営学科から○○助教授、一般教育から○○ 教授が選出された。一般委員は専門委員とは専攻領域を異にするが、研究者として業績について論文の展開 や資料の利用などで基本釣な研究能力について判断が出来ると共に、専門委員の審査が的確であるかどうかを総合的に判断するもので、この選出方法は昭和57年度からなされていた。
(3) 教員選考委員会は5名で構成されるところ、第1回の選考委員会は4名 が出席した。そこで、委員長に田尻を選出し、規程上、専門委員から主査、副査を選出することになっていた。そこで、委員会は年長の原口を 主査に馬頭を副査とした(疎甲第26、27号証)。主査は業績評価書を作成するのが慣例になっており、副査は 主査と共に候補者の業績評価において中心的な役割を持ち、主査の代わりを務めるのがその任務である。
(4) 応募者は10名であった。選考委員各自が応募者の研究業績を読み、これに基づいて審議がなされた。その結果、資格不足、論文不足などにより4名が、また1名は論文が概説的な内容にとどまっていたという理由で外された。候補者は5名に絞られたが、まず1名は業績に学術性が高くないという理由で、続いて他の1名は主要論文が提出されず、年齢の割に発表論文も少なかったということから、残り3名に絞られた。この3名に絞ることについては全員一致であった。その3名の中で、○○(当時○○大学教授)は研究業績は論文31本(42 点)で、業績と経歴の両面で3名中、群を抜く研究者であることにも異論はなかった。他の2名については論文の審査の結果、委員の間で評価が分かれ、また採用職位が教授、または助教授であったのに、両名は大学院在籍中であったため、職位の面からも困難と判断された。そして、結局、研究業績の際立つていた○○教授に絞られた。
(5) 債権者馬頭及びその他の委員は○○教授は労使関係論だけでなく、人事管理論も十分に担当できるとの評価を与えた。原口主査は労使関係論の業績については理論的で内容も深く力作であるとしたが、人事管理論の適合性に疑問を呈した。ところで、前任者の片山助教授は前述の通り、社会政策学会に所属し、人事管理論、労使関係論の講義を担当していた。○○教授も同じく社会政策学会に所属しており、前任者の講義内容 を踏襲する意味でも同教授はきわめて適任と考えられた。選考委員会の中でも労使関係論について全員異論はなかったが、原口主査から上記の通り人事管理論について疑義が出されたことから、○○教授がこの講義を担当できるか否かについて更に論議がなされた。
(6) ところで、人事管理論における人事管理は作業者層だけではなく、職員、技術者、専門家、管理者などを対象とする学問であり、○○教授は○○の企業の労働過程への包摂(賃労働化)や賃金体系に与える影響と経済的な必然性について考察していた。また、一方における個別資本の労務政策と他方における労働組合の活動の具体的な展開の中で、○○の位置付けの解明がなされていた。このようなことから、馬頭は○○教授は人事管理論も担当可という判断をしたのである。そもそも、労使関係論と人事管理論は全く別個の体系に属する学問でなく、研究領域が相互に交錯している学問であり(京都大学の赤岡教授は両者を切り離して扱うのは限界があるとしている。 乙第20号証) 少なくとも両科目は相互に関連する科目で あることに間違いない。研究者は一般的には特定の分野を深く研究するものであり、そのために関連分野の幅広い知見が必要となる。このようなことから、文部省は専攻科目に関連のある科目については担当出来るとしているのである(疎甲第14 号証)。
(7) 選考委員会では原口主査の意見を尊重して議論が進められた。委員会において一人の委員から「一般論 として研究領域が相互に交錯している状況にあって、科目の適合性を狭く固定化するのではなく、広く解釈してはどうか」との意見が出された。この意見は研究者が広い学問体系の知識をもとに固有の専門領域について研究するため、隣接する関連科目や基礎的な科目について一定の知識を有するのは当然であり、学生にも体系的な知識を教育することができるとされているという立場に立つものである。○○教授は研究業績が豊富で、 その業績は人事管理論や経営学と共通するところがあり、また大学で長年○○論を担当し研鎮されていることから、当然人事管理論も担当できると判断された。因みに、このことに関し、赤岡教授は○○氏が「『人事管理論』は専門家ではないけれども講義できる」(乙第18−10号証、10頁)としている。
次に、委員長から○○教授を面接し、同教授に人事管理論を担当できるか否かを確認し、もしできないということであれば採用を見送ればどうかという意見が出された。原口主査もこれに異論がなかった。選考委員会はこの方針を採用し、面接することになった。このことについて、教員選考委員会報告にも「○○氏の面接を全員賛成で決定、但し人事管理論については原口氏の疑問があるため、担当の可否を面接で本人に確認することになった」と記載されている(乙第73号証)。
(8) 平成12年1月8日の選考委員会は○○教授の面接を行った。原口主査は同教授に人事管理論について質問した。○○教授は「専門分野と『ストレート』ではないが、『根っこ』は同じであり、『関連領域(科目)』である。 両科目でも講義担当可能」との説明であった(乙第7−3号証)。○○教授による○○を背景とする○○の労働 やその歴史的傾向についての先駆的な研究は、企業内の労働組織や賃金体系の変化を捉えたもので、人事管理研究の基礎となりうること、更には○○の源流である○○や○○らの○○の○○制度を研究されていることから、上記の回答があったのである。また、○○大学の大学院時代に○○教授という○○の学説に学んだことも紹介された。
(9) 面接においては、○○教授の人事管理論担当について不適格とするだけの判断材料は得られなかった。このことについて原口主査自身も全く異論を述べなかった。そこで、同教授を採用するについて投票に入った。投票は規程に従って無記名でなされ、その結果、これを可とする者は4で、反対は1であった。この投票により、選考委員会は○○教授を教授会に推薦することになった。
ところが、原口主査は自己が反対票を投じたと述べた。他の委員達は、面接前、原口主査が○○教授の人事管理論の業績に疑問を呈したことは知っていたが、その後に行った面接の結果について主査より反対意見が出されなかったので、同人も異論がないと考えていた。
(10) ところが、主査が否としたと述べたことから、委員会としては人事案件については出来るだけ全会一致が 望ましいと考えた。そこで、委員会で検討した結果、○○教授には論文が他に多く存在する訳だが、それらに目を通しておらず、人事管理論を否とするだけの業績評価をしていないのではないかとの意見が出された。結局 この意見が容れられ、更に主査と副査で○○教授の7点の論文を読み、人事管理論について評価することが決定された。ところが、主査はこれらの論文を読もうとしないばかりか、副査である馬頭にもその論文の配布を 差し止めた。このような主査の不識実な態度に馬頭は抗議した。
(11) その後、7本の論文を読むことになったが、主査は従来の態度を一変し、人事管理論及び労使関係論の2 つとも業績が不適合であると言い出した。この時の主査の評価は、それまでに検討した論文12本に対して、実際は0.7本分の業績しかないという、学術的な根拠を欠く非論理的なものであった。労働経済論の論文は個別企業の枠を越える問題だから不適合、企業の○○を扱った論文は「○○論に関する業績」だから不適合だなど と、従来同人が述べていたこととはまるで一貫しない見解を述べはじめたのである。
(12) 原口主査の考えは上記の通りであったが、選考委員会の結論は既に投票によって出されていたことか ら、委員会としては委員会報告書と業績報告書の作成に入ることになった。委員会報告は委員長が、業績評価書は主査が作成するのが慣例となっていたところから、委員会は主査に対し、委員会の審議や票決を踏まえた 業績報告書を作成して欲しい旨打診したところ、主査は作成できないと言うことであった。主査としては、例え自己が反対の立場であったとしても教員選考規程に基づいて出席委員の3分の2以上の賛成によって決定されたのであるから(同規程第11条4)、これに従って作成するのがその役割であるのに、その任務を放棄したため、やむなく副査である馬頭が業績報告書を作成することになったのである。これについては、主査も反対はしなかった。委員会としては、主査に対し、副査と替わってもらえないか、せめて副査と連名して欲しいなどと協力を求めたが、同人はこれに応じようとしなかった。このことについて、主査は強要されたと述べているが、そのような事実はない。
副査の作成した当初の業績報告書では○○教授は「労使関係論」、「人事管理論」の担当教授として適任であ るとしていたが、委員長が作成した教員選考委員会報告との整合性から、委員会は○○教授を「労使関係論」 の担当教授として推薦し、「人事管理論」を担当可として口頭で報告することにした。
(13) 債務者は副査が報告書を作成したことを処分理由の一つとしている。し かし、副査は前述の通り、主査と 共に業績評価において中心的な役割を果 たすものであり、本件のように主査が多数決を無視して、その業績評価書 を作成しないのであれば、副査が替わりに作成せざるを得ない。債務者の 主張によれば、主査しか業績評価書が書けないことになるが、同人が反対 すれば何も出来ないということになり、主査に絶対的な権限を認めることになる。選考委員会を設置し、多数決で判断する意味はすべて失われてしまう。このような債務者の主張は、余りにも常識に反し、到底受け容れられるものではない。そればかりではない。債務者は馬頭副査が作成した業績報告書は虚偽記載であるなどとして、これが処分理由となっている(疎甲第2号証)。
 馬頭の作成した業績報告書の内容には虚偽の記載など何処にもない。さすがに答弁書ではこのことは懲戒の理由としてあげられていないが、学長の陳述書は相変わらず虚偽の業績報告書を作成したとし、それを懲戒解雇の理由としてあげている(乙第39号証)。しかし、同陳述書には馬頭の報告書のどの部分が虚偽なのか何処にも具体的にあげられていない。業績報告書にはどこにも偽りはないから挙げられる筈などない。債務者の本件処分がいかに恣意的なものであるか、このことからも明らかである。
(14)@  以上の通り、債権者田尻や馬頭らが「人事管理論」を削除して審査した事実がないことは明らかである。また、投票による採決後、すぐに教授会に報告しなかったのは、委員会報告書と業績評価書の作成が不可欠であり、そのための時間が必要であったからである。したがって、不適切と言えるような委員会運営はなされておらず、債権者らの上記行為には大学に相応しい真剣さがあったとしても、同人らに処分の対象になるような事実は全くない。選考委員会において主査に対し副査と替わって欲しいとか、連署して欲しい旨依頼したのは、 主査が為すべきことをしなかったからであり、これも何ら処分事由となるものではない。
A 債務者は選考委員会が決定した候補者を不適格者と決めつけ、債権者田尻、馬頭らがそのような者を選考したことと、選考の仕方に問題があつたとして処分したものである。しかし、選考委員会が選考し、教授会が 推薦を決定した○○教授は、その豊富な業績からも「人事管理論および労使関係論」を担当するについて極めて適任であるとされており、赤岡教授でさえ、前述の通り○○教授が人事管理論を講義できるとされているのである。したがって、田尻や馬頭ら選考委員会が同教授を選考したのは正しかったのである。
B 本件公募における採用者の「担当科目」は、「人事管理および労使関係論」とされており、この点からも選考委員会は決して選考を誤っては いない。同人らが専門とはまるで関係のない人物を選考したのであればともかく、候補者の論文を真摯に検討し、大学に相応しい優れた学者を選考したことをもって懲戒解雇という極刑に等しい処分に付すということは、まさに恐るべきことと言わざるを得ず、懲戒権の著しい濫用と言わざるを得ない。
4 債権者八尾に対する解雇事由の不存在
(1) 同人に対する解雇事由は、教授会審議にあたって選考委員会報告を是と する方向で議事を運営し、強引に投票に持ち込もうとし、議長としての議事運営が専断的であったというものである。しかし、このような事実が 全くないことは、教授会の審議内容そのものを見れば明らかである。八尾が議長として議事をどのように進行させたか、審議がどのようなものであったかについては同人の陳述書に詳細に述べられている(疎甲第28号 証)。審議の検討の内容は次の通りであった。
(2) 八尾は経済学部長として選考委員会委員長である田尻からの連絡を受け、本件採用人事に関する審議を 平成12年2月22日教授会の議題に挙げた。当日の教授会は学部長である八尾が議長を務め、42名が出席した。田尻委員長からは○○教授を最適任者として選考した経緯、労使関係論の教授として推薦し、人事管理論についても担当可であることの報告がなされ、馬頭が同教授の業績報告をなし、これらについて議論が交わされた。教員選考委員会の票決で否とした原口主査も自己の作成した文書を出席者全員に配布し、長時間自己の主張を展開した。また、後に教授会を退席して投票を放棄した教員らも自らの意見を述べた。約3時間にわたって議論がなされた後、採決がなされた。その時点での出席者39名のうち賛成17、反対7、白票7、無効 1、退席7であった。白票、無効票は除外するとの従来からの教授会申し合わせにより、有効票は24、うち賛成が17であったため、選考委員会の提案は承認され、教授会は同教授を採用可と決定した。
採決にあたって、原口氏ほか6名の教員が退席した。債務者は、このような中で投票行為は著しく妥当性を欠く ばかりか、八尾の議長としての議事運営は専断的であったと述べ、これを解雇事由としている。しかし、議長と しては賛否両論を闘わせた後、最終的には採決に入らなければならない。これが民主主義のルールである。例 え退席者が出ても、そのルールに従うのが議長である。もし、反対する者や退席した者が何人かいるという理由で議長が採決を中止したとすれば、それこそ議長の専断である。出席していた教員全てが有識者であり、反対した者や退席した者の意見だけが尊重されなければならない理由はない。討議に参加し、真剣に判断した上で採決に加わった者と、反対意見だけ述べ、投票を拒否して民主主義のル一ルに従わなかった者のどちらが責任を問われるべきであるかは自ずと明らかである。民主主義のルールに従わず、事実を歪曲し、学長という絶対的な権限を持った者の力を借りて教授会の自治を破壊することこそ、大学教員には相応しくない行為と言うべきで、到底許されるものではない。
(4) 八尾が教授会における議長として長時間議論を尽くし、採決をしたのは 単に民主主義の手順に従っただけ である。多数の教員は賛否両論の中から、それぞれの見識に基づいて、教員選考委員会の結論を支持した。 債務者が原口主査や退席した教員らの考え方だけを正しいとし、委員会提案に賛成した者の見解が誤りだとするのは、多数の教員の見識を冒とくするものである。八尾が議長として採決をしたことが懲戒解雇の事由になるのであれば、大学における民主的ルールは死滅すると言わなければならない。
このような理由により懲戒解雇をするのは、余りにも権限を逸脱しているばかりか、異常と言う他はない。
5 私信等について
(1) 八尾については、新学部開設準備委員会などで経営問題について意見を 繰り返し述べて、議事を妨害したり、経営計画の見通しについての個人的 意見を述べた書簡を多数送りつけ、学園改革事業の妨害を図ったとする懲戒事由が付加されている。殊に、八尾が学長に宛てた私信について、債務者は異常な程に執着し、これ を懲戒理由としている。八尾は学長に対して多くの書簡や資料などを送っているが、それらの内容については 八尾の陳述書に詳細に述べられているので、ここでは書簡が何故に出されたのか、それが果たして懲戒解雇 という処分をされるようなことなのかについて述べる。
(2) 八尾は債務者の学部新設等について、経済学部長として、もう少し教員の意見や要望も踏まえ、大学・学部 の将来に対する不安を取り除くような方法で進めてもらいたいという希望を有していた。そのような希望を有して いたのは、何も同人だけではなかった。学生数が年々減少する時代の中、学部を新設することについては十分 な調査と予測を踏まえなければ、大学そのものの存亡にかかわる。そのようなことから、八尾は準備委員会で 財政見通しなどについても考えて欲しい旨の発言をなした。利用可能な資料を用いて、財政釣な試算をし、学 長に慎重な検討と御判断をお願いした。
(3) 八尾は債務者の主張するような同じ内容の私信を繰り返し出したわけではない。その都度、時宜に応じた 内容のものを差し上げている。その中には、学長室での面談の際、直接に手渡した資料のようなものも多い。 私信の中で学長に対し勇退を進言したことは失礼だったかも知れないが、八尾はそのことについて謝罪してい る。このような個人的な手紙を懲戒処分の事由とするのは、公私混同であり、余りにも酷であると言わなければ ならない。八尾は理事長やその他の関係者にも書簡や資料を提出している。それは、大学の将来を心配して、 増設計画は慎重に検討して欲しいというものである。これらも大学の将来を心から考えてのことである。八尾が 学部新設などに関し、これと関係のない学外者に私信を出したことはない。大学・学園の将来を心から心配し て、学長や関係者に私信を出したことが、何故に懲戒解雇処分の理由になるのか全く理解が出来ない。同人 の私信は個人的な名誉を侵害する文書を大学内の掲示板に貼付したり、全く関わりのない者に送付し、関係 者の名誉を著しく毀損した甲南大学事件の事案とは質的に異なるものである。
(4) ところで、新学部の設置に向けて学則が改正されることになり、経済学部教授会はそのための学則改正案 を平成10年度第6回教授会で審議することになった。同教授会では改正実に関連して種々の意見が出され、 採決の結果、賛成18票、反対10票、白票8票となった。八尾は議長であったが、投票に参加し、賛成票を投じ た。このことについて、債務者は、一部教員から、このような理事会決定事項については、投票による採決は適 当でないとの指摘があったにも拘わらず、八尾は投票による採決に持ち込み、学則改正案を否決することによ って理事会決定事項の変更を迫ろうとしたとか、教授会を私物化したと主張している。これが処分事由となると いうことも驚くべきことである。八尾は学則に従って学則改正案を教授会で審議しただけであり、教員の中にこ の案件についての危惧や問題を感じた者が多かったため、反対票や白票が多く出たのである。教授会を私物 化したなどありえないことである。八尾がこの件について片寄った一方的議事運営をしたという事実はない。大 学の教員ほどの者が一人に左右されるほど、見識のない者ではないし、教授会はそのような者の集合ではな い。
(5) なお、八尾の懲戒事由として列挙されている事柄については、大学内ばかりか理事会の下においても詳し い調査と審議が行われたという事実がなく、そのことを示す陳述や資料も提出されてはいない。

四.○○教授の適格性について
1 債務者は選考委員会が適任と判断した○○教授は労使関係論としても人事管理論も不適格であったと主 張し、これが本件処分の重要な根拠となっている。債務者が不適格とする根拠は赤岡教授の意見書と原口氏 の報告書である。ところで、原口主査が○○教授の労使関係論担当を適任としていたことは○○委員の経過報告書からも窺われるところである(乙第7−3号証)。同主査は、第6回委員会においてはじめて労使関係論も科目不適合と言い出したものであるが(疎甲第27号証、22頁)、ここでは果たして○○教授が上記科目について不適格者だったのか否かについて述べる。
2 債務者が主な根拠にしている赤岡教授は、○○教授の論文のうち12点を検討しているが、そのうち「−略 −」、「−略−」については「労使関係論」の業績であるとしている。同教授は○○教授について、「論文の論理構成、証明、引用等をみると、大学院レベルの研究指導も十分できる」(乙第20号証、8頁)としながら、「人事管理論および労使関係論」の専門家ではないとしている(同号証)。
3 ところで、赤岡教授は「労使関係論」の労使関係とは企業内労使関係論のことで、「労使関係論」はその管理論であるとの見解に立つて上記意見を述べている。しかしながら、労使関係論には管理論としての労使関係論と広い意味での労使関係論との二つの見解があり、同教授もこれを認識していながら、前者でなければ労使関係論の専門家ではないとしているのは筋が通っているとは言えない。労使関係論は広く捉えるのが研究者の共通認識となっており、この意味でも同教授の見解には疑問がある。また、人事管理論について同教授は○○ 教授の業績が「労務原理、労働原論」という形で人事管理論の基礎理論となるとしていることから(乙第18−1 0号証、12頁)、「人事管理論の専門家ではないが講義は出来る」と述べている(乙第18−10号証、10頁)。 因みに、同教授は○○論文に「労使関係論、人事管理論関係の引用文献は皆無である」としているが(乙第1 8−10号証)、これは事実と異なる。○○教授の論文「−略−」では労務管理論で著名な○○教授の文献が引用されている。このように、赤岡教授の意見書によっても○○教授が不適格者であるということにはならないのである(以上、疎甲27号証28〜31頁)。
4 B教授は、○○教授が「人事管理論および労使関係論」を担当し、講義するに十分な適合性を持っているばかりでなく、最も現代的な人事・労務管理論を展開できる可能性は十分に持っているとしている(疎甲第30号 証)。
C教授は「人事管理論および労使関係論」という分野の研究には経済学的アプローチ、社会学的アプローチなどいくつかあるが、○○教授の研究業績は「労使関係論」の適合性については全く問題はなく、「人事管理論」も講義担当しうることは容易に認められる。○○教授は経済学を基礎にした多数の○○論、○○論、○○論、 ○○論があるから、講義の担当には問題ないと思うと述べている(疎甲第31号証)。なお、A教授は人事管理論、労務管理論、労使関係論の研究は、経済学的研究、経営学的研究、社会学的研究、労務法学的研究などさまざまな分野で行われている広い分野の学問であることを述べられている(疎甲第29号証)。この見解から考えても○○教授は両科目担当に相応しいことになる。
5(1) 片山一義札幌学院大学助教授は「人事管理論」の人事管理は企業が労働者に対して行う様々な対策(管理)を総称する言葉であり、生産管理、財務管理、販売管理等と並んで経営管理の重要な一領域を構成するとされている。人事管理(労務管理)とは、「近代産業の一定の発達段階で企業の主体を長期的にみて企業の最大限利潤の獲得、維持を可能にするように経営生産に必要な労働力を調達し、経営労働秩序を確立維持し、 労働者がより多くの労働を発揮することができるようにしようとする一連の計画的総合的施策であって、その具体的形態は歴史的、社会的諸条件に応じて発展、変化するものである」とされている(森五郎編『労務関係論』 有斐閣)。人事管理論の体系として(A)労働管理(B)労働力管理(C)労働者・労働組合管理(対策)の3つに分類され、人事管理は(A)を基礎としつつ、(B)(C)へと発展、深化を遂げたものであるとされる。労使関係論の学問内容について、労使関係という用語は文字通り労働者と使用者との社会的な関係を表す言葉であるが、この用語の意味や概念について普遍的な合意はなく、流動的な概念だとされている(白井泰四郎「労使関係 論」)。
(2) 同助教授は○○教授の研究業績と「人事管理論」との適合性について次のように評価している。同教授に は○○に関する理論研究があり、○○を包括する労働についてその社会的性格を理論的に解明している。同教授のこの業績は先駆的なものであり、人事管理研究において欠かすことのできない基礎理論であるとされている。また、同教授は○○を包括した「○○」の理論的解明を試みており、これも人事管理研究において重要な業績とされる。また、同教授は従来の労務管理研究者の議論の到達点を踏まえ、○○と○○の理論に深く内在し、彼らの議論を詳細に検討している。これは人事管理論のいわば○○の研究であり、当該科目について高い学識があると判断している。更に○○教授は人事管理における上記○○の領域を20世紀初頭から現代までを対象に研究をしている。このことに関する同教授の論文「−略−」(『○○』第○号)は○○、さらにそれを基盤に発展、深化した○○を取り上げ、その意義が論じられている。この論文は、まさに直接的に人事管理の業績である。他にも同教授には、人事管理論に密接な論文があるとされる。
(3) 同教授に関し、「労使関係論」の適合性については賃金に関する理論研究が多数あり、これは「労使関係論」の核心的研究領域であるとされる。同教授の「−略−」は高名な労使関係研究者である○○氏の「○○の理論」と格闘した業績であり、これらの業績は誰の目から見ても科目に適合していることは間違いないとされる。その他、同教授には労使関係論に関する数多くの理論研究があるとされている(以上疎甲第32号証)。
6 上記の通り、多くの学者は○○教授の業績から「人事管理論および労使関係論」の担当ができると考えており、選考委員会や教授会の判断に誤りがなかったことは明らかである。ましてや債務者の一方的な判断で科目不適格者だなどと判断できるものではない。したがって、債権者らが選考委員会において不適格者を選考したとの理由で処分することが、いかに違法・不当なものであるかは、このことからも明らかである。
7 このことについて、債務者は公募科目が「経営学の領域」のものであり、他方、採用候補者の業績は経済学 で「経営学とは無関係」(平成14年7月8日付準備書面、6頁)の業績だと断定している。
これは経営学と経済学との関連を学問的に理解しない形式論である。日本における経営学の学問的系譜、さらに学科目としての経営学の歴史的な成立から見て分かるように、経済学から経営学が分離し、両者は相対的独自性をもって発達してきた。したがって、戦前はもちろんのこと、戦後にさえ「経営経済学」の名称を自覚的に使用する研究者も少なくなかった。このような 歴史があって、「経済学を基礎とする経営学」は有力な学説となっている。
債務者大学の経営学科が既存の経済学部内につくられ、経営学科の科目に経済学関連の科目が配置されているのもこのためである。
8 本件において、公募人事は経済学部のもので「担当科目:人事管理論および労使関係論」とだけ表示されている。すなわち、この公募書類に経営学とか経済学とかの科目内容に関する限定はない。だからこそ、本件において、経営学以外の経済学や法学、公共政策、心理学、社会学などを専攻する研究者からの応募があったのである。
また、両科目は経済学部経営学科における経営学教育上の科目である。人事管理論は経営管理論の1つであ り、労使関係論は経営経済学と深く関連する経営学の原理論として広く学んでいく科目である。人事管理論では労働者を対象とする管理論を学び、労使関係論は労働や賃金などをめぐる労使間の多面的関係について学ぶ学問である。当該科目の前任者もそうしたものとして講義している(疎甲第32号証)。
しかも、労使関係論は経済学、経営学、法学など多様な学問分野からアプローチできることは研究者が共通して理解するところであるが、いずれも分析対象は労働組合やその運動などにおかれており、それは経済学においても経営学においても変わることはない。つまり、経済学の労使関係論や経営学の労使関係といった固有の領域は存在しないのである。
また、歴史的に見ると労使関係論についての経済学的(社会政策や労働問題など)研究は他のアプローチに先行して発達し、学問的に充分に蓄積されており、これを踏まえた経営学教育の意味するところの大きさは疑い得ない。  
選考委員会は以上のようなことから採用候補者の業績を判断したのである。ここに証拠資料として提出した意見書も等しく経済的な分析に注目し、それを評価している。
9 以上のように、形式から見て、経営学と経済学とが全く「無関係」の学問であるとか、また経済学だから公募科目と関連がないといったような債務者の主張は全く成り立たないものである。

五.債権者の行為によって債務者はいかなる損害も蒙っていない。
1 本件において、学長は教授会の決定を無視し、選任された教授を不採用とした。このことが、いかに大学の自治を侵害する独裁的な行為であることは繰り返し述べた通りであるが、仮に債務者の主張の通り教授会が 採用認定した教授が不適格者であったとしても、不採用にしたことにより債権者には何らの実害もなかったことになる。
2 前述の通り、選考委員会では原口主査も含めて応募者の中から最終的に業績の優れた○○教授一人に 候補を絞ったことについては、原口主査も含め全員の一致した意見であった。このことは○○教授の経過報告書に記載されている(乙第7−3号証、2頁)。同教授の報告書によれば○○氏の面接を全員賛成で決定とされている(因みに、最終候補者だけを面接することになっていた)。そうすると、本件選考課程について他の応募者から問題にされることもない。○○教授を推挙したからといって債務者の信用、名誉を毀損することなどなく、 9名を推挙しなかったことによるどのような損害もない。また、選考委員会の選考や教授会の議決が不当だとしているのは債務者だけであり、候補者の選任は民主主義のルールによって決められたものであるから、これによって債務者の対外的な信用が失われたり、名誉が侵害されるようことなど全く考えられない。
3 八尾について述べれば、債務者は同人が学長に書簡を出したり、学部新設を妨害したと主張しているが、 学部は予定通り新設されており、八尾が学部新設問題について意見を述べたり、書簡を出したりしたことによって何らの支障も生じていない。
本件において、債務者は教員に対し、地獄に陥れるような酷い処分によって大学内に恐怖感を与え、自由であるべき大学教員の言論を封殺してしまうことの損失の方がはるかに大きく、ましてや豊富な資金を背景に自己の一方的な見解だけに基づき本件処分の正当性を大量宣伝するなどし、却って債務者自身大学の名誉をおとしめているのが実態である。

六.研究室の貸与について
大学は教育機関として専任教員に対し、必ず研究室を備えなければならないとされることについては既に述べ た。債権者らは債務者の教育職員として研究教育活動を主たる業務内容とするものであるから、債務者はその研究活動を支障なく行うことができる場所(研究室)を提供すべき義務がある。債務者大学は債権者田尻に対し同大学7号館518号室、馬頭に対し同大学7号館502号室、八尾に対し同大学7号館514号室を長年提供してきており、本件処分が違法であり、無効である以上、債権者らは上記各研究室貸与請求権を有するものである(盛岡地裁判平成14年4月12日、疎甲第39号証)。
なお、債権者らは定期的に研究調査費等を支給されているが、本件申請においてはこれを求めない。この点に 関する平成14年6月3日付準備書面、申請の趣旨第4項は撤回する。

七.結論
1 以上の通り、債権者田尻、馬頭が教員選考において不正をなしたというような事実は全くなく、選考過程にも 問題はない。また、副査として馬頭が業績報告書を作成したことも、問題とされるべきことではない。
債権者八尾の場合も、教授会運営に全く問題はない。同人が学長等に宛てた書簡もひとえに大学の将来を心配して出したもので、いわゆる具申であり、これにより処分されるようなものではない。
2 債権者らには大学から排除されなければならないような重大な違法行為は何らないばかりか、むしろ誠実に役目を果たしてきたことにより評価されるべきである。仮に、債務者らの主張が全て正しいとしても、債権者らには処分されるようなことは何もなく、債権者らが債務者に損害を与えたという事実もない。
したがって、債務者の債権者に対する本件懲戒解雇は、どのように考えても権限を著しく逸脱し、濫用したものであることはもはや誰の目にも明らかである。

八.仮処分の必要性
このことについては、既に述べた通りであり、債権者らの各陳述書にも詳細に述べられている通りである(なお、給与の支払期日が毎月20日であることは就業規則48条による。疎甲第5号証)。
債権者らは債務者の不当な処分のために生計の手段を失い、家族が路頭に迷うような状態に追い込まれている。また、自己の書物を含む多くの文献や資料が存在する研究室の自由な使用も禁止され、研究の途も事実上絶たれている。加えて、これまで定期的に支給されてきた研究費も使えなくなり、現在苦しい状況におかれている。

九.よって、債権者らとしては早期の救済を求めるものである。