2002年4月24日 鹿児島国際大学教職員組合 I. 事実経過
1.転出者の補充のための採用人事 教員選考委員会は5名で構成され、そのなかから、運営に責任をもつ委員長と、応募者の業績審査の責任者として主査と副査が選ばれました。今回、処分のあった田尻利教授は委員長、馬頭忠治教授は副査、亀丸政弘教授は委員でした。この3名の外、委員として入っていた助教授は、採用候補者が教授に該当するということで、第4回委員会から黒瀬郁二教授と交代しました。なお、処分のあった八尾信光教授は、当時の経済学部長でした。 2.選考委員会で多数が賛成 第4回委員会(00年1月)で、従来通り、妥当とする1名について委員会の投票で決めることになりました。投票は、「可」が4名、「否」が1名という結果でした。 委員会規程によって「可」となったのですが、投票後主査が否を投じたことを表明されたため、業績審査報告書を作成するために、主査・副査でさらに候補者の業績を検討することになりました。 1月から2月にかけて第5回から第8回の委員会が開かれました。その過程で、主査は、候補者の業績が「人事管理論および労使関係論」という科目と適合しない、という「科目不適合性」を主張し、「科目適合」を主張する副査と見解が分かれました。議論を重ねましたが、見解の一致にいたりませんでした。そこで、委員会の投票の結果が「可」でしたから、委員会の選考結果にそった報告書を書けないとする主査に代わって副査が業績評価報告書をまとめ、教授会に提案することを決定しました。 3.教授会の多数決をくつがえす 当時の経済学部長であった八尾教授は、この教授会のなかで「多数の意見を無視し、あくまでも採用を可とする委員会の報告に沿った形での議事運営を行った」ということが、解雇の一つの理由になっています。これまでの事実の経過からしてその不当性は明らかです。 2月24日に八尾学部長が学長に教授会の審議結果を報告したところ、学長は選考結果に否定的な見解を示しました。3月16日、採用候補者に対して理事長・学長名で、教授会に諮ることなく採用不可の文書を送付しました。 4.不明瞭な業績再審査にもとづく懲戒処分 学園・大学側の出席者は、大学問題調査委員の津曲理事長、菱山学長、野村事務局長の外、永田治雄学園本部事務局長、伊東光晴学園理事らでした。そのなかで、伊東光晴理事(2001年理事就任)は、業績評価報告書に事実でないことを書いたとする「虚偽記載」を強く主張しました。この「虚偽記載」が処分の最大の理由になったのです。大学は、大学評議会のもとに、3名の本学大学院教授を選任して、「採用人事調査委員会」を設置し、採用不可とした候補者の業績評価をやり直させました。 2002年3月29日の学園理事会で、理事会は、八尾・田尻・馬頭の3教授に「懲戒退職処分」、亀丸教授に「減給6カ月の懲戒処分」を決定しました。黒瀬教授は、現在、「処分審議中」です。 II. 解雇の不当性 1.教学問題で解雇する不当性 教員の採用も、今回のように補充したい教員を、学部教授会とその下につくられる教員選考委員会での審査を通してなされることは、全国の大学でごく普通になされていることです。会社のように、人事部など経営サイドの意向によって採用が決まるということはあり得ないのです。 今回の教員採用問題が不当な懲戒解雇にまで至った最大のポイントは、「事実経過」の「3」から「4」への質的な飛躍のところに現れています。選考委員会と教授会は教員の採用について判断を示しました。それに対して学長は、委員会や教授会が採用を決めた候補者を採用不可にしました。たしかに、本学では、学部教授会の審議をへた後、学長にも人事の決定権がありますので、学部の意志が尊重されなかったとしても、それは学長−学部という教学レベルにおける一つの処理の仕方です。学長が新たに選考委員会の設置を指示することも、学長の推薦候補を強く推すことも教学レベルではあり得ることです。学長と教授会の意見が異なったとしても、両者の調整のもとで問題を終着させることが通常なのです。 しかし、そのような解決の方法がとられませんでした。事実経過の「4」でみたように、経営労務レベルの懲戒解雇という手段がとられました。本来、今回の問題は教学の領域に属する事柄であり、解雇権を発動する領域ではないのです。これがまかり通れば、教員の採用や昇任の審議に加わる者は、いつでも解雇されることを覚悟しなければならないことになります。 懲戒解雇処分は、勤務実績が悪かったり、刑事事件で処罰されたりする者に対してなされるものであって、学問的な業績評価の妥当性をめぐって下されるものではありません。今回の事件は、この経営労務レベルの解決の仕方と教学問題での処理の仕方の混同という、大学人として初歩的な間違いから端を発しているのです。 2.「虚偽記載」ではありえない 科目に適不適という問題は、科目の性格をどのように考えるかということで左右されます。主査は、「経営学の中の労使関係論」という基準を主張しました。大学側が主張する科目適合性の根拠は、この「経営学の中の労使関係論」におかれているものと思われます。 ところで、労使関係論は、賃金・雇用・労働組合を中心とした広い研究領域をもつ学問であり、また、その領域への分析方法も、労働経済学や社会政策学、産業社会学、経営学などからアプローチすることが可能です。「経営学の中の労使関係論」という学問体系が確立するという意見もあって良いでしょう。この点については研究者として多様な意見があり得ます。 ですから、「経営学の中の労使関係論」という科目の性格規定とは異なる視点からの業績評価報告書を書いたことが「重要な公的文書の虚偽記載」をしたと言うことになるはずがありません。副査自身、業績評価書は、副査を含め当該候補者の業績を学問的良心を持って審査してきたものだと述べています。その上、後になって設けられた「大学問題調査委員会」の2名の学外教員と、「採用人事調査委員会」の3名の学内大学院教員の判断が、副査の見解と異なったからといって、事実でないものを「事実のように見せかけ」、「虚偽記載」したという理屈は成り立ちません。選考委員会は「労使関係論」という基準 にもとづいて応募された多くの候補者のなかから、選考を重ね、候補者をしぼり、それを業績報告書にまとめただけなのです。 3.大学教員が多くの科目を担当する事情 したがって、その隣接する科目について高い研究業績はなくても、学生に体系的な知識を教育することはできます。大学の教員が、多くの科目を担当し、それをこなしているのはこのような背景があるからです。これに対して、両方の科目に高い業績がなければならないとするのは、およそ非現実的です。それならば「一科目一教員」ということになります。それは教員にとっては楽なことですが、大学の経営が成り立ち行かないことは明らかです。 III. 学者生命を断つ冷血な決定 大学・学園は、今回の懲戒解雇が、研究者にとってどのような意味をもっているのか、知っていて下したのでしょうか。研究者は、自分の研究を積み重ねながら、段々と研究水準を向上させていきます。処分された教員は、何十年もかけて研究を深めてきました。したがって、その生涯は研究者であること以外には考えられません。今回の解雇は、この鹿児島国際大学での大学教員の身分を奪うという処分ですが、さらに問題は深刻です。 大学の教員は一定の業績があり評価されれば、他の大学に移ることができます。今回の解雇がどんなに不当であっても、他の大学に移り、また教壇に立ち、研究もできるならば、研究者としての生涯はやり直すことができます。しかし、他の大学は、よほどのことがない限り、懲戒解雇者を採用しないでしょう。大学・学園の今回の処分は、3名の学者生命を断つという文字通り冷血な決定と言わざるを得ません。これまで続けてきた研究を半ばにして、その道を断たれることが大学の教員にとってどんなに悔しいことであるか、察するに余りあるものがあります。この不当な解雇を受けた3教授の解雇撤回のために、多くの方々の支援をお願い致します。 |
||